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《櫻井ジャーナル》

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2015.10.13
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 安倍晋三首相に言われるまでもなく、経済政策と軍事戦略は表裏一体の関係にある。そうしたものを全て含むビジョンを描いているのはアメリカの支配層。日本の「エリート」はそのビジョンに従って動いているにすぎず、マスコミはそこから渡された情報を垂れ流すだけ。

 有り体に言えば、戦争も秘密工作もTPPも目的は巨大資本のカネ儲け。1933年から34年にかけてJPモルガンをはじめとする巨大資本の反フランクリン・ルーズベルト大統領のクーデター計画を阻止、議会で明るみに出したスメドリー・バトラー海兵隊少将の言葉を借りるならば、戦争は不正なカネ儲け、つまり押し込み強盗。「民主主義」や「人道」の伝道活動をしているわけではない。

 1991年12月にソ連が消滅、ロシアを属国にしたアメリカの支配層は「唯一の超大国」に君臨している自分たちは世界の覇者になると考えた。そこで1992年の初めに国防総省で作成されたのがDPGの草案。旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、ライバルを生む出すのに十分な資源を抱える西南アジアを支配すとしていた。これは本ブログで何度も書いてきたが、この問題に触れなければ安倍政権の政策も理解できない。

 その後、NATOがユーゴスラビアを先制攻撃、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されると、この出来事を利用してアフガニスタンやイラクを軍事侵略した。実は、ネオコンの中心的な存在であるポール・ウォルフォウィッツは1991年に5年から10年でイラク、イラン、シリアを殲滅すると語っていた。その当時、ウォルフォウィッツは国防次官。「予告」より少し遅れたが、その3カ国のうちひとつが破壊されたわけだ。

 2007年3月5日付けニューヨーカー誌で調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始した書いている。その中でサウジアラビアと緊密な関係にあると指摘されているのがムスリム同胞団とサラフ主義者。工作の実行部隊ということになる。WikiLeaksが公表した文書によると、2006年にアメリカ政府はサウジアラビアやエジプトと手を組み、宗派対立を煽ってシリアを不安定化させる工作を始めたとされている。

 リビアやシリアで戦乱が始まる切っ掛けを西側の政府やメディアは「民主化運動の弾圧」だと宣伝していたが、実際は外部からの軍事侵略にすぎなかったことは本ブログで何度も書いてきた。その侵略軍の主力はムスリム同胞団とサラフ主義者で構成されたアル・カイダ系の武装集団。

 2012年8月にアメリカ軍の情報機関DIAが作成した文書の中でも、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。2011年3月にシリアで体制転覆を目指す戦闘が始まった当時からAQIは反政府軍を支援、アル・ヌスラという名前を使い、シリア各地で軍事作戦を展開したとも説明している。IS(ISISやダーイシュとも表記)はAQIから派生したグループだ。

 こうした反シリア政府軍の雇い主はアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、イスラエル、サウジアラビア、カタールといった国々。アメリカ軍が主導する空爆でISであろうとアル・ヌスラであろうと、打撃を受けるはずはなかった。その武装集団をロシアは本当に空爆して大きなダメージを与え、イラク政府もロシア政府に空爆を要請しそうだ。

 1991年の段階でウォルフォウィッツはアメリカが軍事行動に出てもソ連/ロシアは動かないと考えていた。ところが、シリアでは小規模ながら空爆を実施、しかも結果を出している。手駒を叩かれたことでアメリカのブレジンスキー、アシュトン・カーター国防長官、あるいはジョン・マケイン上院議員などは怒り、ロシアを攻撃すべきだと主張している。イギリスでは政府がロシア軍機の撃墜を許可したと報道されたが、同国の国防省は否定したと伝えられている。

 サウジアラビア王室も中東情勢のカギを握っているのはバラク・オバマ米大統領でなくウラジミル・プーチン露大統領だと考えているようで、国王の息子がモスクワを訪れてシリア情勢を話し合っている。そのモスクワでISの戦闘員が爆破工作を目論んでいるとも言われている。

 アメリカの支配層が自分たちにとって都合の良い体制を築くために「テロリスト」を使うのは昔から。例えば、1990年10月、ジュリオ・アンドレオッチ伊首相はNATOの内部に「テロ活動」を行う秘密部隊「グラディオ」が存在することを認める報告書を出している。こうした部隊はNATOに加盟している全ての国で組織されたという。

 こうした秘密部隊は1944年にアメリカとイギリスが創設した「ジェドバラ」に行き着く。大戦後、ソ連の軍事侵略に備えるという名目でNATOが創設されたが、西ヨーロッパ諸国をアメリカが支配する仕組みとして利用されてきた。そうした目的のために秘密部隊を設置され、コミュニストの勢力が強かったイタリアでは1960年代から80年頃まで「極左」を装って爆弾攻撃を繰り返し、クーデターも試みている。いわゆる「緊張戦略」だ。

 こうした仕組みの存在は遅くとも1972年に発覚している。秘密部隊の幹部はイギリスの情報機関で訓練を受け、武器庫は139カ所に設置された。そのひとつが1972年2月に発見され、カラビニエーレ(国防省に所属する特殊警察)は捜査を開始している。

 その3カ月後、カラビニエーレの捜査官が調べていた不審車が爆発して3名が死亡、「赤い旅団」が実行したとされ、約200名のコミュニストが逮捕された。その後、武器庫の捜査は中断する。

 1984年にひとりの判事が捜査中断に気づいて捜査は再開され、不審車の爆破に使われた爆発物は「赤い旅団」が使っているものではなく、NATOが保有しているC4だと判明し、ほかの武器庫が存在することも発覚、爆破事件は右翼の「新秩序」がイタリアの情報機関SID(国防情報局)と共同で実施したこともわかる。(Daniele Ganser, "NATO's Secret Armies, Frank Cass, 2005)

 そうした捜査が続いている頃、アメリカはアフガニスタンでイスラム武装勢力をソ連軍と戦わせていた。ジミー・カーター米大統領の補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーの発案でイスラム武装勢力が組織される。ソ連軍をアフガニスタンへ誘い込み、疲弊させるというもので、1979年4月にCIAのイスラム武装勢力支援プログラムを開始、この年の12月にソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンへ軍事侵攻した。

 この時に多くの戦闘員をアメリカの軍や情報機関は生み出したが、ロビン・クック元英外相によると、アル・カイダとはCIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル。アル・カイダはアラビア語で「ベース」を意味し、「データベース」の意味でも使われる。なお、クックはこの事実を書いた翌月、保養先のスコットランドで心臓発作に襲われて死亡してしまった。享年59歳。





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最終更新日  2015.10.13 18:23:58



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