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《櫻井ジャーナル》

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2015.10.26
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 愛媛県の中村時広知事は10月26日、県庁で四国電力の佐伯勇人社長と会い、伊方原発3号機の再稼働に同意すると伝えたようだ。「津波という観点では福島とは同じことは起こらない」としたうえで、「原子力発電所に代わりうるコスト、出力、安定供給という3条件が満たされた代替エネルギーが見つかるまでは最新の知見に基づく安全対策を施して向き合って行かざるをえない」と語ったという。

 言うまでもなく、事故が起こる原因は千差万別、「同じことは起こらない」。東電福島第一原発の事故原因が第三者の手で詳しく調査された事実はなく、政府や東電はデータを隠している。そうした限られた情報ではあるが、揺れで配管の破損など致命的な破壊が起こり、「津波」は原因のひとつにすぎないと見る人は少なくない。「放射性物質は薄めれば環境中へ放出しても問題ない」とい言う人もいるようだが、これは「確率が低いから事故は起こらない」という主張と同じ。

 事故を起こした原発は40年で廃炉できることになっているらしいが、福島第一原発の小野明所長も飛躍的な技術の進歩がない限り、不可能かもしれないと語っている。イギリスのタイムズ紙は廃炉までに200年という数字を出しているが、数百年はかかると見るのが常識的。その間のコストは膨大で、リスクは高い。今後、健康、環境への影響も顕在化し、人間は「種」としての存続が危うくなることも考えられる。

 原発は事故が起こらなくても莫大な経費が必要で、リスクも高い。放射性廃棄物の処理は困難で、数万年の間、安全に保管する場所を探すことも困難。警備も必要になる。そうしたことは多くの人びとが指摘してきたが、中村知事は気にしていないようだ。原発が電力を「安定供給」できず、「最新の知見に基づく安全対策」が無力だということを福島第一原発の事故が明確に示した。

 通常の運転中も原発は環境に悪い影響を与え続ける。勿論、放射性物資が環境中に漏洩するという危険性もあるが、温排水によって海水温を上昇させるという問題もある。原発推進の理由として「温暖化対策」を挙げることはできないのだ。

 伊方原発が抱える大きな問題のひとつは近くに中央構造線が存在していること。勿論、地震が起こるからではない。日本の場合、地震はどこでも起こりえる。活断層が動いたなら、その上の建造物は崩壊してしまうから恐ろしいのだ。

 コスト面や安全面で原発にメリットはないが、推進側には魅力を感じる理由がある。カネ儲けと核兵器の開発だ。アメリカの情報機関では日本が核兵器を開発していると確信、監視を続けてきた。

 戦争中、仁科芳雄を中心とする理研の「ニ号研究」や海軍と京都帝大の「F研究」が進められていたが、敗戦後に核兵器の開発を諦めはしなかった。例えば、1965年に訪米した佐藤栄作首相はリンドン・ジョンソン米大統領に対して「個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝え、67年には「わが国に対するあらゆる攻撃、核攻撃に対しても日本を守ると言うことを期待したい」と求め、ジョンソン大統領は「私が大統領である限り、我々の約束は守る」と答えたという。(「“核”を求めた日本」NHK、2010年10月3日)

 1967年には「動燃(動力炉・核燃料開発事業団/現在の日本原子力開発機構)」が設立されたが、その2年後の2月に日本政府は西ドイツ政府と秘密協議、日本側はアメリカから自立し、核武装によって超大国への道を歩もうと日本側は主張したという。

 秘密会談の前月、アメリカではリチャード・ニクソン政権がスタート、ヘンリー・キッシンジャーが大統領補佐官に就任している。そのキッシンジャーは彼のスタッフに対し、日本もイスラエルと同じように核武装をすべきだと語っていたという。(Seymour M. Hersh, “The Samson Option,” Random House, 1991)

 イスラエルではエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドやアブラハム・フェインバーグといった富豪の支援を受け、1949年から核兵器の開発が始まられた。当初はフランスの支援を受けていたが、1960年には西ドイツのコンラッド・アデナウアー首相がイスラエルのダビッド・ベングリオン首相とニューヨークで会談、核兵器を開発するため、六61年から10年間に合計5億マルク(後に20億マルク以上)を融資することを決めた。

 これに対し、1961年からアメリカ大統領を務めたジョン・F・ケネディ大統領はイスラエルの核兵器開発に厳しい姿勢で臨む。ベングリオン首相と後任のレビ・エシュコル首相に対し、半年ごとの査察を要求する手紙を送りつけ、核兵器開発疑惑が解消されない場合、アメリカ政府のイスラエル支援は危機的な状況になると警告したのだ。(John J. Mearsheimer & Stephen M. Walt, “The Israel Lobby”, Farrar, Straus And Giroux, 2007)

 しかし、このケネディ大統領は1963年11月に暗殺され、引き継いだリンドン・ジョンソンは議員時代から知られた親イスラエル派。そのジョンソンも日本の核武装には反対していたようだが、キッシンジャーは違った。

 1977年にアメリカではジミー・カーター政権が始まるが、この年に試運転が始まった東海村の核燃料再処理工場と核兵器開発を結びつける見方もある。カーター大統領は日本に兵器級のプルトニウムを生産させないため、常陽のブランケットを外させたともいう。

 1981年にロナルド・レーガンが大統領になると状況は一変、アメリカ政府の内部に日本の核武装計画を支援する動きが出てくる。東海再処理工場に付属する施設として1995年に着工されたRETF(リサイクル機器試験施設)はプルトニウムを分離/抽出するための施設だが、この施設にアメリカ政府は「機微な核技術」、つまり軍事技術が含まれている。ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、福島第一原発が過酷事故を起こした当時、日本には約70トンの兵器級プルトニウムがあったという。自らが生産した可能性もあるが、外から持ち込まれた可能性もある。





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最終更新日  2015.10.27 11:44:22



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