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トニー・ブレア元英首相を戦争犯罪人として裁くべきだとする人が増えている。そうした中、10月25日にブレアはCNNの番組で「自分たちが知らされた情報が間違っていた事実」を謝罪した。しかも、サダム・フセインを排除したことについて誤ることは拒否している。自分に対する風当たりが強くなっているため、一種の「ガス抜き」をしようとしたのだろう。いわゆる「ダメージ・コントロール」だ。
逆風を強めた一因はコリン・パウエルの書いたメモにある。ジョージ・W・ブッシュ政権の国務大臣だったパウエルは2002年3月28日、ブレア首相はアメリカの軍事行動に加わるとメモに書いているのだ。この時点でブレアは開戦に同意していることになるが、この当時、ブレアはそうしたことを言っていない。 この頃、アメリカではネオコン/シオニストなど好戦派はイラクを先制攻撃、サダム/フセイン体制を破壊しようと目論んでいたのだが、統合参謀本部では大義がないうえ、無謀だとして反対意見が多く、揉めていた。イギリスでも開戦が認められるような雰囲気ではなかった。 そこで、アメリカやイギリスの政府はイラク攻撃を正当化するために「大量破壊兵器」を宣伝する。ブレア政権が「イラク大量破壊兵器、イギリス政府の評価」というタイトルの報告書を作成したのはパウエルのメモが書かれた半年後、2002年9月のこと。 その報告書、いわゆる「9月文書」はイラクが45分で大量破壊兵器を使用できると主張している。しかも文書の内容がリークされ、サン紙は「破滅から45分のイギリス人」というセンセーショナルなタイトルの記事を掲載した。この報告書をパウエル国務長官は絶賛したが、大学院生の論文を無断引用した代物で、内容もイラクの脅威を正当化するために改竄されていたことが後にわかる。 それに対し、2003年5月29日にBBCのアンドリュー・ギリガンはラジオ番組で「9月文書」は粉飾されていると語り、サンデー・オン・メール紙でアラステアー・キャンベル首席補佐官が情報機関の反対を押し切って「45分話」を挿入したと主張した。 キャンベルはブレア首相の側近で広報を担当していた。デイリー・メール紙で記者をしていた経験があり、メール・グループを統括していたロバート・マクスウェルから可愛がられていたのだが、マクスウェルはイギリスやイスラエルの情報機関に協力していた人物だとされている。キャンベルも親イスラエル。ブレアがイスラエル系の富豪を資金源にしていたことは本ブログでも何度か書いた。 つまり、ブレアは2002年3月以前にイラクを先制攻撃することを決断、それを実現するため、9月には嘘を承知で大量破壊兵器の話を広めて開戦へ結びつけたのであり、情報機関から「正しい情報」を知らされたにもかかわらず、「間違った情報」を発信したのだ。 その結果、2003年3月20日にアメリカ軍はイギリス軍などを引き連れてイラクを先制攻撃、フセイン体制を倒し、12年以上を経た今でも戦闘は続いている。その間、フセインは処刑された。 2006年10月に出されたイギリスの医学雑誌「ランセット」によると、2003年3月から06年7月までの間に65万4965名以上のイラク人が死亡、そのうち60万1027名は暴力行為(要するに戦闘)が原因だとしている。またイギリスのORB(オピニオン・リサーチ・ビジネス)は2007年夏までに約100万人が殺されたという調査結果を公表した。 今回、ブレアは「謝罪」という言葉を使ったものの、本当に謝罪しているわけではない。戦争犯罪で裁けという意見が強まる中、ダメージ・コントロールを図ったのだ。 少しでも思考力があれば2002年や03年でも大量破壊兵器の話に疑問を感じていただろうが、日本の政治家やマスコミは戦争熱を煽るだけ。テレビに登場するのはそうした類いの人物ばかりで、例外は橋田信介くらいだった。その橋田は2004年5月、自衛隊駐屯地へ立入許可証を受け取りに行った帰りに甥の小川功太郎とともに殺害された。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.10.28 04:00:48
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