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《櫻井ジャーナル》

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2016.03.07
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 街の書店で本を買わなくなって久しい。理由は簡単で、欲しい本が手に入らないからである。インターネットが広がる前、必要な洋書があると出版社に手紙を書き、値段を聞いて為替を組んで送り、本を送ってもらっていた。本を手にするまでに2、3カ月は必要だったが、それでも大手書店を通じて購入するよりは早く、安く買えた。ある有名書店を介して頼んだ本が届くまでに1年以上かかったこともある。

 その当時、1980年代は日本のマスコミが急速に腐敗した時期でもある。いわゆる「バブル」でカネ回りが良くなり、マスコミは広告収入で潤っていた。記事や番組の中身には関係なくスポンサーがつく状態で、手間暇をかけるより手を抜いた方がトラブルのリスクは小さく、「コストパフォーマンス」が良いと経営陣は判断していたようだ。体制に批判的なメディアを支えていた総会屋が粛清されたことも大きい。日本の言論とはその程度だったということでもある。

 この時期は欧米でもメディアの劣化が進んだ。そのひとつの理由が印刷システムが大きく変化したこと。植字工が活字を拾う活版印刷からDTPなどコンピュータを使用した方式へ変更され、労働組合活動の先端を走っていた印刷工の組合が弱体化、体制色の濃い編集部門が主導権を握った影響を無視できない。

 編集部門にも気骨のある人物はいて、例えば、ベトナム戦争でも一部のジャーナリストはアメリカ支配層の意に反する報道をしている。それに反発した支配層は1970年代からメディア支配を強化、権力者に立ち向かおうとする反骨精神旺盛な人びとが次々と排除され、規制緩和で巨大資本によるメディア支配が進められていった。

 ウォーターゲート事件を追及した記者のひとりとして有名なカール・バーンスタインは1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、その直後にローリング・ストーン誌で「CIAとメディア」という記事を書いている。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)その記事によると、当時、400名以上のジャーナリストがCIAのために働き、1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。

 バーンスタインが働いていたワシントン・ポスト紙は情報統制と深く結びついている。アメリカの支配層は第2次世界大戦が終わって間もない1948年頃、「モッキンバード」と呼ばれる情報操作プログラムをスタートさせている。その中心人物は4名。大戦中からアメリカの情報活動を指揮していたアレン・ダレス、その側近で戦後は破壊工作を目的とする極秘機関OPCを指揮したフランク・ウィズナー、やはりダレスの側近で後にCIA長官となるリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムである。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979)

 ちなみにダレスとウィズナーはウォール街の弁護士、ヘルムズの祖父にあたるゲイツ・ホワイト・マクガラーは国際的な投資家で、グラハムの義父、つまりウォーターゲート事件で「言論の自由」を象徴する人物に祭り上げられているキャサリン・グラハムの実父であるユージン・メイアーは世界銀行の初代総裁だ。

 この4名のほか、CBS社長のウィリアム・ペイリー、TIME/LIFEを発行していたヘンリー・ルース、ニューヨーク・タイムズの発行人だったアーサー・シュルツバーガー、クリスチャン・サイエンス・モニターの編集者だったジョセフ・ハリソン、フォーチュンやLIFEの発行人だったC・D・ジャクソンなどもモッキンバードの協力者だという。ジョン・F・ケネディ大統領暗殺の瞬間を撮影した「ザプルーダー・フィルム」を隠すように命じたのはC・D・ジャクソンである。

 フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテも有力メディアとCIAとの関係を告発している。それによると、ドイツだけでなく多くの国のジャーナリストがCIAに買収され、例えば、人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開しているという。

 ウルフコテは2014年2月にこの問題に関する本を出しているが、その前からメディアに登場し、告発に至った理由を説明していた。ジャーナリストとして過ごした25年の間に教わったことは、嘘をつき、裏切り、人びとに真実を知らせないことで、ドイツやアメリカのメディアがヨーロッパの人びとをロシアとの戦争へと導き、引き返すことのできない地点にさしかかっていることに危機感を抱いたようだ。西側、特にアメリカやイギリスの有力メディアに情報を頼ると、必然的に侵略戦争へと導かれることになる。

 アメリカの支配層は第2次世界大戦の前からメディアを支配していた。1932年にウォール街と対立していたニューディール派を率いていたフランクリン・ルーズベルトが大統領に選ばれた後、金融界の大物たちはニューディール派を引きずり下ろし、ファシズム体制の政権を樹立するためにクーデターを計画した。その際、ルーズベルトは病気で職務に耐えられないというキャンペーンを目論んでいたとしていたという。これはスメドリー・バトラー少将が議会で証言、その記録が残っている。(本ブログでは何度も取り上げたので、今回は詳細を割愛する。)

 米英の支配層は人心を操作するためにメディアを作り出した。有力紙の典型とも言えるイギリスのタイムズ紙を創刊したひとりはロスチャイルド財閥を後ろ盾としていたセシル・ローズ。同紙は一般に「エリート」と見なされている人びとを操るために使われ、センセーショナルな記事が特徴のデイリー・メールなどは「騙されやすい人びと」が対象だったという。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)

 そうしたメディアが自分たちに刃向かうことを支配層は許せなかったと言える。日本での出来事を振り返ると、まず目につくには1972年の出来事。毎日新聞の政治部記者だった西山太吉と外務省の女性事務官が逮捕されたのだ。

 沖縄の「返還」にともなう復元費用400万ドルはアメリカが自発的に払うことになっていたが、実際には日本が肩代わりする旨の密約の存在するという事実を西山は明らかにした。後にこの報道を裏付ける文書がアメリカの公文書館で発見され、返還交渉を外務省アメリカ局長として担当した吉野文六も密約の存在を認めている。

 密約情報を西山は外務省の女性事務官から入手していた。マスコミは密約の内容よりも西山と女性事務官との関係に報道の焦点をあて、「ひそかに情を通じ」て情報を手に入れたとして西山を激しく攻撃する。

 1974年1月の一審判決で西山は無罪、事務官は有罪になるのだが、2月から事務官夫妻は週刊誌やテレビへ登場し、「反西山」の立場から人びとの心情へ訴え始めた。真偽不明だが、この女性は自衛隊の某幹部に協力していた人物で、情報の漏洩自体が工作だったという噂がある。その後、反毎日キャンペーンをマスコミが展開、同紙の経営にダメージを与え、倒産の一因になったと見る人もいる。

 沖縄の「返還」では別の密約が存在している。佐藤栄作首相の密使を務めた若泉敬によると、「重大な緊急事態が生じた際には、米国政府は、日本国政府と事前協議を行った上で、核兵器を沖縄に持ち込むこと、及び沖縄を通過する権利が認められることを必要とする」というアメリカ側の事情に対し、日本政府は「かかる事前協議が行われた場合には、遅滞なくそれらの必要をみたす」ということになっていたという。(若泉敬著『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』文藝春秋、1994年)当初、この話は隠されていた。

 1987年5月3日に朝日新聞阪神支局が襲撃された事件も興味深い。散弾銃を持ち、目出し帽を被った人物が侵入、小尻知博を射殺し、犬飼兵衛記者に重傷を負わせたのである。「赤報隊」を名乗る人物、あるいは集団から犯行声明が出されていることから「赤報隊事件」とも呼ばれている。

 この事件が引き起こされる4カ月前、朝日新聞東京本社に散弾2発が、また4カ月後には同紙の名古屋本社寮にも散弾が撃ち込まれ、1988年3月には静岡支局で爆破未遂事件があった。いずれの事件とも真相は未だに不明だ。その後、こうした事件がなくなったのは実行グループが効果を認めたからではないかという見方もある。つまり、マスコミは屈服したということ。

 むのたけじは1991年に開かれた「新聞・放送・出版・写真・広告の分野で働く800人の団体」が主催する講演会の冒頭、「ジャーナリズムはとうにくたばった」と発言したという。その後、この団体からは疎んじられるようにようになったらしいが、この指摘は正しい。(むのたけじ著『希望は絶望のど真ん中に』岩波新書、2011年)





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最終更新日  2016.03.08 06:58:30



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