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《櫻井ジャーナル》

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2016.05.09
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 イスラエルが世界有数の核兵器保有国だということは公然の秘密だ。その秘密を内部告発したモルデカイ・バヌヌを沈黙させるため、イスラエルの検察当局は5月18日にまたまた起訴したという。

 バヌヌは1977年から8年間、技術者としてイスラエルの核施設で働いた経験があり、その経験に基づいて86年10月に同国の核兵器開発をイギリスのサンデー・タイムズ紙で内部告発、その中でイスラエルが保有する核弾頭の数は200発以上だとしていた。

 現在、実戦配備されている核弾頭の数はアメリカが2104発(保有総数4804発)、ロシアが1600発(同4480発)、イギリスが160発(同225発)、フランスが290発(同300発)だという。実戦配備の実態が公表されていない国々の場合、中国は250発、インドは110発、パキスタンは120発、朝鮮は最大で10発。勿論、イスラエルも核兵器を保有していることは確実だ。

 ディモナにある核施設でバヌヌが担当していたのは原爆用のプルトニウム製造。生産のペースから計算すると、その当時にイスラエルが保有していた原爆の数は推定で150から200発。水爆の製造に必要な物質、リチウム6やトリチウム(三重水素)の製造もバヌヌは担当、別の建物にあった水爆の写真を撮影したという。また、イスラエルは中性子爆弾の製造も始めていたとしている。中性子爆弾は保有しているだけでなく、使用しているという噂もある。

 彼が情報を最初に持ち込んだメディアはオーストラリアのシドニー・モーニング・ヘラルド紙だが、掲載を拒否される。その一方で同紙はバヌヌの話を同国の治安機関ASIO(オーストラリア安全保障情報機構)に通報、その情報はさらに対外情報機関のASIS(オーストラリア安全保障情報局)へ伝えられ、そこからイスラエルの情報機関へ流れた。

 エイジ紙にも掲載を拒否され、オーストラリアを諦めてイギリスへ向かい、そこでサンデー・タイムズ紙とデイリー・ミラー紙に接触する。デイリー・ミラー紙の国外担当編集者のニコラス・デービスはイスラエルのエージェントで、当然、イスラエルの情報機関へ情報は伝わった。

 イスラエルの情報機関モサドのロンドン支局長はイギリスの治安機関MI5にバヌヌ監視の協力を要請、MI5はイギリス国内で政治的、あるいは外交的問題を引き起こさないという条件で協力を約束した。

 バヌヌを拉致することにしたモサドはMI5とのトラブルを避けるため、彼をローマへ誘き出すことにする。そこで登場してくるのが「シンディ・ハニン・ベントフ」と名乗る女性だ。この女性の罠にかかり、バヌヌはローマへ旅行することになる。そこでモサドに拉致された。バヌヌが押し込められた大きな箱には外交特権で調べられることはなく、ローマからアシュドッドへ運ばれている。

 イスラエルでバヌヌは裁判に掛けられ、1988年3月に懲役18年の判決を受け、18年にわたって刑務所に入れられた。サンデー・タイムズ紙が記事の掲載を決定したのはバヌヌが拉致された数日後のことだ。

 バヌヌは満期を終えて刑務所を出ても「自由の身」にはなっていない。厳しい監視下に置かれ、移動する場合、当局への報告義務も課されている。取材に応じることも厳しく制限されている。

 ところで、イスラエルの核兵器開発は1952年に始まったと言われている。この年、IAEC(イスラエル原子力委員会)が国防省の下に設置され、イスラエルにおける核兵器開発の父とも言われる核科学者のエルンスト・ダビッド・ベルクマンが初代の委員長に選ばれている。

 核兵器の開発は少数の富豪、例えばアメリカのエイブ・フェインバーグやフランスのエドムンド・ド・ロスチャイルドたちの支援を受けていた。フェインバーグはベングリオンの信頼厚い人物で、資金を提供するだけでなく、ロビー活動を展開、ハリー・トルーマン米大統領のスポンサーとしても知られている。

 フランスの少なからぬ著名な科学者は技術面からイスラエルの核兵器開発に協力していた。そのひとりがベルトランド・ゴールドシュミットで、ライオネル・ネイサン・ド・ロスチャイルド(イギリスのロスチャイルド家)の娘と結婚している。核兵器の開発ではフランシス・ペリンも重要な役割を果たした。ペリンはCEA(原子力代替エネルギー委員会)で1951年から70年まで委員長を務めている。

 1956年にはシモン・ペレスがフランスでシャルル・ド・ゴールと会談し、フランスは24メガワットの原子炉を提供することになり、1957年にはフランスからイスラエルへ技術者が送り込まれている。

 1958年になるとアメリカの情報機関はイスラエルが核兵器を開発している可能性が高いことを察知、CIAの偵察機U2がネゲブ砂漠のディモナ近くで何らかの大規模な施設を建設している様子を撮影、それは秘密の原子炉ではないかという疑惑を持っている。

 そこで、CIA画像情報本部の責任者だったアーサー・ランダールはドワイト・アイゼンハワー大統領に対してディモナ周辺の詳細な調査を行うように求めたのだが、それ以上の調査が実行されることはなかった。

 核兵器の開発には重水が必要だったが、この重水をイスラエルはノルウェーからイギリス経由で秘密裏に入手する。その取り引きについてノルウェーのアメリカ大使館で筆頭書記官だったリチャード・ケリーは1959年の段階で国務省へ報告している。この書記官はアメリカの国務長官を務めているジョン・ケリーの父親だ。

 1960年3月にコンラッド・アデナウアー独首相はニューヨークでベングリオン首相と会い、核兵器を開発するため、61年から10年間に合計5億マルク(後に20億マルク以上)を融資することを決めた。後にドイツは核ミサイルを搭載できるドルフィン型潜水艦をイスラエルへ提供することになる。

 アイゼンハワーの次に大統領となったジョン・F・ケネディはイスラエルのダビッド・ベングリオン首相と後任のレビ・エシュコル首相に対し、半年ごとの査察を要求する手紙を送りつけ、核兵器開発疑惑が解消されない場合、アメリカ政府のイスラエル支援は危機的な状況になると警告している。(John J. Mearsheimer & Stephen M. Walt, “The Israel Lobby”, Farrar, Straus And Giroux, 2007)そのケネディ大統領は1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺され、この警告は実行されていない。

 フランス、ドイツ、アメリカといった国々の支援を受けて核兵器を開発したイスラエルが「核」で日本と結びついていることを2011年3月11日の地震は明らかにした。この地震が原因で東電福島第一原発は「過酷事故」を起こし、放射性物質で環境を汚染し続けているのだが、事故の直後、イスラエルのマグナBSPがセキュリティ・システムや原子炉を監視する立体映像カメラを原発内に設置していたとエルサレム・ポスト紙ハーレツ紙が報道ているのだ。事故後に残った50名には、事故の約3週間前にイスラエルでシステムに関する訓練を受けた2名も含まれていたという。





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最終更新日  2016.05.10 11:30:54



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