27221528 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

《櫻井ジャーナル》

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

サイド自由欄

バックナンバー

2016.12.05
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
アル・カイダ系武装勢力やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)に支配されていた要衝のアレッポをシリア政府軍が制圧しようとしている。本ブログでは何度も指摘してきたが、この武装勢力はアメリカ、イギリス、フランス、トルコのNATO加盟国、サウジアラビアやカタールといったペルシャ湾岸産油国、あるいはイスラエルが編成、武器や兵器を供給、戦闘員を訓練してきた。白ヘルはその別働隊だ。

 ダーイッシュとアメリカ耶蘇の同盟国との関係についてはアメリカの軍人や副大統領も語っている。例えば、2014年9月に空軍のトーマス・マッキナニー中将はアメリカがダーイッシュを作る手助けしたとテレビで語り、マーティン・デンプシー統合参謀本部議長(当時)は議会でアラブの主要同盟国がダーイッシュに資金を提供していると発言、同年10月にはジョー・バイデン米副大統領がハーバーバード大学で中東におけるアメリカの主要な同盟国がダーイッシュの背後にいると話し、2015年にはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官もアメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたと述べている。

 そして2015年8月、次期政権の安全保障担当補佐官に内定しているマイケル・フリン元DIA局長はアル・ジャジーラの番組へ出演した際、バラク・オバマ政権はDIAの警告を無視して反シリア政府軍を支援し、その決定がダーイッシュの勢力を拡大させたと語っている。アル・カイダ系武装集団やダーイッシュを作り上げたのはシリアのアサド政権を倒そうとする国外の勢力なのだ。

 しかし、そのダーイッシュを組織したのはシリアのバシャール・アル・アサド政権だとする記事を書いた「ジャーナリスト」がいる。かつてピューリッツァー賞を授与されたことのあるロイ・ガットマンだ。今回の話はイスタンブールのカフェで「講談師」を名乗る人物などに聞いたのだが、裏付けはなく、インターネット上でからかわれている

 ガットマンは1982年にニューズデイに入り、89年から94年にかけてヨーロッパ支局長を務めている。ドイツのボンにある支局にいた彼は1992年8月、ボスニアで16歳の女性が3名のセルビア兵にレイプされたと書いていた。現地を取材したわけではなく、ヤドランカ・シゲリなる人物の情報を垂れ流したのだ。

 このシゲリはクロアチアの与党HDZ(クロアチア民主団)の副党首で、クロアチアの亡命者が創設したプロパガンダ組織CIC(クロアチア情報センター)のザグレブ事務所の責任者でもあった。

 ガットマンの記事が発表されて以降、セルビア人によるレイプは西側で売れ筋のテーマとなり、多くのマスメディア関係者が現地を訪れている。そうしたひとりがアレクサンドラ・スティグルマイアー。ボスニア・ヘルツェゴビナでレイプの実態を調べ始めるが、被害者の発見に苦労、ひとりを見つけるのがやっとだった。

 スティグルマイアーの友人でフリーランスのジャーナリスト、マーティン・レットマイアーは証言を映像化する目的で現地に入るのだが、レイプ現場とされた場所にはセルビア人警察官の未亡人が住む小さな家があるだけで、あるはずのスタジアムはなく、証言に合致する事実を見つけることはできなかった。

 そこで彼はクロアチアの首都ザグレブへ戻り、セルビアの収容所でレイプされ、妊娠した女性で混雑しているとされた病院を取材するのだが、そこでも希望した映像を記録できなかった。病院スタッフの話では、過去7ヶ月の間にレイプで妊娠した患者は3名だけだというのだ。

 現地を取材したジャーナリストはマスメディアから相手にされなかったが、ガットマンは脚光を浴び、1993年に「セルビア人による残虐行為」を報道したとしてピューリッツァー賞を贈られた。シゲリは人権問題のヒロインとなり、1996年にはジョージ・ソロスと近い関係にあることで知られている「人権擁護団体」のHRWが彼女を主役にしたドキュメント映画を制作している。

 当時の状況について、ICRC(赤十字国際委員会)はガットマンたちとは違うことを言っている。つまり、戦争では全ての勢力が「不適切な行為」を行っているが、セルビア人による組織的なレイプが行われた証拠はないというのだ。(Diana Johnstone, "Fools' Crusade," Monthly Review Press, 2002)

 この間、アメリカのビル・クリントン政権はバルカン半島への軍事介入に消極的だったのだが、1997年1月に国務長官がウォーレン・クリストファーからマデリーン・オルブライトへ交代すると状況は一変、98年秋にオルブライトはユーゴスラビアに対する空爆を支持すると表明している。1999年にはNATO軍がユーゴスラビアを先制攻撃したが、この時も西側は偽情報を盛んに流していた。その一端を担っていたのがガットマン。その功績でかれはピューリッツァー賞を受賞できたわけだ。そのガットマンがシリアでも登場してきた。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2016.12.06 02:44:16



© Rakuten Group, Inc.