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《櫻井ジャーナル》

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2016.12.27
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12月19日にトルコのアンカラでトルコ駐在のアンドレイ・カルロフ露大使を射殺した非番の警官、メブリュート・アルチンタスがカタールを訪れていたとトルコで報じられている。7月15日にレジェップ・タイイップ・エルドアン政権の打倒を目指す勢力が武装蜂起して失敗、その翌月に2回、そして10月にもカタールを訪れた。

 言うまでもなく、カタールはサウジアラビアやネオコンと同じように、今でもシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒そうともがいている。昨年9月末からロシアがシリアで空爆を始めてから戦況が一変、アメリカやペルシャ湾岸産油国をはじめとする侵略勢力の目論見は崩れつつある。アレッポを政府軍はほぼ奪還したことは侵略側に大きなダメージを与えたはずだ。

 アレッポで戦う自分たちの手先を守るため、アメリカ軍は自分たちが主導する連合軍を使って9月17日にシリア北東部の都市デリゾールを空爆した。F-16戦闘機2機とA-10対地攻撃機2機を使い、攻勢に出る直前だったシリア政府軍を攻撃したのだ。60名とも80名とも言われる兵士を殺したと言われている。シリア政府軍を空爆した7分後、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の部隊が地上でシリア政府軍に対する攻撃を開始、空と陸で連携していた可能性が高いことは何度も指摘してきた通り。

 アメリカ側はミスだとしているが、これまで連合軍はこの地域でアル・カイダ系武装集団やそこから派生した空爆を実施したダーイッシュを攻撃したことはなく、現在の戦闘システムや現地の状況から考えても意図的な攻撃だった可能性が高い。そこまでバラク・オバマ政権は追い詰められているとも言える。

 侵略勢力のシリア軍に対する空爆でロシア政府はアメリカ政府に気兼ねすることなくアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュを攻撃するようになる。ロシア系メディア(アラビア語のスプートニク)によると、シリア沖にいるロシア軍の艦船が9月20日に3発の超音速巡航ミサイルを発射、アレッポの山岳地帯にある外国軍の司令部を破壊、その攻撃で約30名が殺されたという。死亡者はアメリカ、イギリス、イスラエル、トルコ、サウジアラビア、カタールから派遣された軍人や情報機関の人間で、デリゾールででの空爆を指揮したのはこの司令部だとも言われている。9月28日に侵略軍は2つの橋を破壊、30日にも別の橋2つを爆撃、政府軍の進撃を止めようと試み、ロシアの異動病院も攻撃されて2名以上の医療関係者が殺されている。

 シリア政府軍がアレッポを制圧した際、反政府軍側で戦っていた14名以上の外国人将校をシリアの特殊部隊が拘束したと伝えられている。その出身国はアメリカ、トルコ、イスラエル、サウジアラビア、カタール、ヨルダン、モロッコだとされている。また別の情報によると、拘束された将校はアメリカ人22名、イギリス人16名、フランス人21名、イスラエル人7名、トルコ人62名だという。トルコやイスラエルの出身者がいたとする情報が正しいなら、両国政府の方針転換についていけなかったのか、反発して残ったのだろう。

 アメリカ政府は舞台をシリア北部に派遣したと伝えられていたので、拘束された人数が多くても不思議ではない。イランのメディアFARSによると、アメリカ軍は部隊を7つの基地に派遣、そのうちマブロウカには少なくとも45名、アイン・イッサには100名以上、コバネには300名以上、タル・アブヤダには少なくとも200名だとされている。

 イスラエルがロシアへ接近を諮り始めたのは今年5月。ベンヤミン・ネタニヤフ首相はロシアとパイプを持っているアビグドル・リーバーマンを国防大臣に据え、ネタニヤフ自身も盛んにモスクワを訪問、6月7日にはプーチン大統領と会談している。

 6月下旬にはトルコのエルドアン大統領がウラジミル・プーチン露大統領に対し、ロシア軍機の撃墜を謝罪し、7月13日にはトルコの首相がシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆している。イスラエルと同じように、トルコもアメリカから離れはじめ多様に見える。クーデター未遂はその2日後だ。

 武装蜂起を鎮圧した後、エルドアン政権はフェトフッラー・ギュレンを黒幕だとして批判している。このギュレンは1999年、ビル・クリントン政権の時にアメリカへ渡ってからアメリカ支配層の保護下にあるとされている。

 サウジアラビアから流れてきた情報によると、同国の副皇太子で国防相でもあるモハンマド・ビン・サルマンがクーデターに関与、この副皇太子と連携しているひとりがアラブ首長国連邦のモハンマド・アル-ナヒャン皇太子で、この人物はアメリカへ亡命しているギュレンと関係があるという。エルドアン政権はカルロフ大使の暗殺にこのギュレンが関係しているとしている。トルコ政府の主張を裏付ける明確な証拠は示されていないが、ありえない話ではない。

 暗殺の背景はともかく、大使殺害でロシアとトルコが進める関係修復の動きが止まることはなさそうだ。1914年6月28日にオーストリア皇太子がサラエボで暗殺された後のような展開になる可能性は小さいということである。





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最終更新日  2016.12.27 03:06:19



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