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《櫻井ジャーナル》

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2017.06.18
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シリア政府の要請でロシア軍が2015年9月30日に空爆を始めて以来、中東や北アフリカで猛威を振るっていたアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の支配地は急速に縮小、戦闘員の移動が伝えられているが、その一方でアジア大陸の東岸地域での活動が目立つようになった。

今年2月下旬から約1カ月にわたってサウジアラビアのサルマン・ビン・アブドゥルアジズ・アル・サウド国王は1000名以上の人間を引き連れてマレーシア、インドネシア、ブルネイ、日本、中国、モルディブを歴訪、その時から東/東南アジアの中東化を懸念する声が出ていたが、それが現実になった形だ。

そうした動きを象徴するような出来事が5月23日にあった。フィリピンのミンダナオ島にあるマラウィ市でマウテ・グループやアブ・サヤフ、つまりダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)とつながる武装集団が制圧し、ロドリゴ・ドゥテルテ政権は同島に戒厳令を敷いたのだ。その日、ドゥテルテはモスクワでウラジミル・プーチン露大統領と両国の関係を強めるための話し合いをしている最中だった。

インドネシアでは普通のイスラム教徒をワッハーブ派へ改宗させる工作が数十年にわたって続けられ、2016年1月14日には首都のジャカルタで何回かの爆破と銃撃戦があり、攻撃グループの5名を含む7名が死亡している。その実行グループもダーイッシュを名乗っていた。

アル・カイダ系武装勢力にしろダーイッシュにしろ、主力はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団だが、チェチェンや中国の新疆ウイグル自治区を含む地域からも戦闘員は入っていた。インドネシアからは約700名がシリアへ渡り、ダーイッシュに加わったと言われている。そうした人々が帰国している可能性はある。

1965年9月30日にインドネシアでは小規模な若手将校グループが武装蜂起してジャカルタの主要箇所を占拠、その反乱を利用してスハルト将軍を中心とする軍の一部がアーメド・スカルノ政権を倒している。

その前からCIAはスカルノ政権を倒す目的で秘密工作を開始、フィリピン、台湾、シンガポール、そして沖縄に訓練や兵站の拠点にしている。1958年にはCIAの爆撃機やアメリカ海軍の潜水艦の支援を受けてクーデターを試みたが失敗したが、65年には成功したわけだ。クーデター後、9月から10月までの間に30万人から100万人が殺害されたと推測されている。

1965年のクーデターでは、イスラム勢力やインドネシアからの留学生を手先として利用された。留学生は貴族階級の若者たちで、カリフォルニア大学バークレー校、マサチューセッツ工科大学、ハーバード大学、コーネル大学などが含を含む大学へ送り込まれ、後にバークレー・ボーイズとかバークレー・マフィアと呼ばれているようになる。(スーザン・ジョージ著、小南祐一郎、谷口真里子訳『なぜ世界の半分が飢えるのか』朝日選書、1984年)

その後、インドネシアでサウジアラビアは普通のイスラム教徒をワッハーブ派へ改宗させる工作を数十年にわたって続けてきたが、フィリピンの南部での武装闘争を支援している。

マレーシアのナジブ・ラザク首相は2013年に再選される直前、タックスヘイブンの英領バージン諸島からスイスの銀行のシンガポール支店へというルートでサウジアラビア王室から6億8100万ドルを受け取ったことが判明している。ちなみに、MH370が行方不明になったのはラザク首相が再選された直後だ。





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最終更新日  2017.06.18 18:41:43



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