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《櫻井ジャーナル》

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2017.09.11
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9月11日には世界の流れを決める大きな出来事が引き起こされている。そのひとつが1973年9月11日にチリであったヘンリー・キッシンジャーを黒幕とする軍事クーデター。アメリカの巨大資本はラテン・アメリカを植民地化、「バナナ共和国」と呼ばれる略奪システムを作り上げていたが、その仕組みを揺るがす民主的なサルバドール・アジェンデ政権が誕生、それを潰したのである。言うまでもなく、アメリカは民主主義の「伝道者」ではなく、「破壊者」だ。

このクーデターでアジェンデ大統領は死亡、多くのチリ国民が殺された。後に設置される「チリ真実と和解委員会」によると、軍事政権の時代に殺されたり行方不明になった人は少なくとも2025名、一説によると約2万人に達する。この粛清後、ピノチェト体制に逆らう人はいなくなり、強者総取りの新自由主義経済が導入されている。

社会的な弱者から搾り取り、強者を富ませるこのシステムを導入することは容易でない。少なからぬ人々がこの不公正な仕組みに反対することが予想されるからだが、クーデターによってそうした人々は排除された。

チリへこのシステムを導入するにあたり、中心的な役割を果たしたのはシカゴ大学のミルトン・フリードマン教授やアーノルド・ハーバーガー教授、そしてその弟子たち、いわゆる「シカゴ・ボーイズ」だ。

彼らは賃金は引き下げ、労働者を保護する法律を廃止、労働組合を禁止、つまり労働環境を劣悪化、1979年には健康管理から年金、教育まで、全てを私有化しようと試みている。国有企業の私有化とは、国民の資産を略奪することにほかならない。こうした政策を賞賛する人が日本には少なくなかった。

1979年から82年にかけてチリ政府は自国の通貨を過大に評価させて輸入を奨励、そのために国産製品が売れなくなり、国内の生産活動は破綻してしまう。1980年代の後半になると人口の45%が貧困ラインの下に転落してしまった。1980年代の半ばから日本でも円高、国内産業の衰退というチリと同じようなことを行っている。日本で貧富の差が拡大したのは日米支配層の政策だということだ。

チリのクーデターは国内で富を収奪しやすくする仕組みを導入するために使われたが、国外への侵略、略奪、破壊、殺戮をもたらす流れを作ったのが2001年9月11日の出来事にほかならない。その日、ニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンにある国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されて国内は混乱、それに乗じてネオコンがホワイトハウスの主導権を握り、1992年2月に国防次官だったポール・ウォルフォウィッツが中心になって作成されたドクトリンを実行に移し始めたのである。








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最終更新日  2017.09.11 03:23:40



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