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《櫻井ジャーナル》

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2019.01.24
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 犯罪組織を描いた小説や映画は少なくないが、特に目立つのはマフィアとヤクザ。マフィアはコーザ・ノストラとも呼ばれているようだ。

 マフィアは19世紀に誕生したと言われている。シチリア島の支配システムが封建制から資本主義制へ移行する過程で土地所有者が細分化され、土地を管理する形態のひとつとして島の西側で広まったという。

 イタリアがファシズム体制になるとマフィアは弾圧されて消滅寸前になるが、それを復活させたのがアメリカ軍。1943年7月にイギリス軍とともにシチリア島へ上陸したが、その際、マフィアの協力を受けている。

 戦争が終わってからシチリア島ではマフィアのボスが行政を支配するようになるが、それは大きな影響力を持っていたコミュニストを押さえ込むためでもあった。マフィアにはアメリカ支配層の手先という側面もあるのだ。

 アメリカやイギリスがあわててシチリア島上陸作戦を敢行したのは、1942年11月にドイツ軍がスターリングラードの戦いで壊滅、翌年の1月に降伏したため。

 1941年6月に始まったドイツ軍のソ連侵攻、つまりバルバロッサ作戦では310万人が投入された。西側に残されたのは90万人のみ。ドイツ軍がソ連で壊滅したということは、第2次世界大戦の勝敗が決したということでもあった。

 日本でヤクザ、つまり広域暴力団が出現するのは第2次世界大戦の後。敗戦で支配体制が揺らいだ日本では労働運動が盛んになり、そうした動きに対抗するために法務総裁(後の法務大臣)だった木村篤太郎が考えた反共抜刀隊の構想から始まる。博徒やテキ屋を統合、組織化しようとしたのだ。

 この構想は途中で挫折したが、広域暴力団に発展する下地になった。ヤクザという呼び名が広まるのもこの後。暴力団系の右翼団体が少なくない理由もここにある。

 広域暴力団の中で特に大きな存在が田岡一雄の作り上げた山口組だろう。現在は山口組、神戸山口組、任侠山口組に分裂しているが、その影響力はまだ大きい。

 山口組が強大な力を持つようになった一因は港湾労働者を支配するという支配層の要望。民主化の進展で労働者は組合を結成して闘争を展開、荷がストップする事態が生じていたのだが、それをなんとかしてほしいということだ。

 1949年に国鉄を舞台にして引き起こされた「怪事件」で労働運動は大きなダメージを受けたが、海運も陸運と同じようにコントロールする必要があった。1950年に朝鮮半島で戦争を始めたアメリカ軍も荷の流れを止められては困る。

 当時の物流は海運が中心で、神戸港と横浜港が特に重要な存在だった。神戸港を管理することになったのが田岡であり、横浜港は藤木企業の藤木幸太郎だったと言われている。

 アンダーグラウンドの世界の秩序を維持するために警察が広域暴力団を利用したという側面もある。敗戦直後の混乱期、警察が手を出せない領域の管理を担当することになったのが広域暴力団だった。ある広域暴力団の組長が同郷の警察官僚と連携していたという噂もある。

 また、関東の暴力団の場合、警視庁の刑事部長や4課長と月に1度程度の頻度で会っていたとも言われている。溝口敦の『五代目山口組』に登場する「山口組最高幹部」によると、「警視庁の十七階に何があるか知らしまへんけど、よく行くいうてました。月に一回くらいは刑事部長や四課長と会うようなこと大っぴらにいいますな」という。(溝口敦著『ドキュメント 五代目山口組』三一書房、1990年)

 時代の変化にともない、広域暴力団に対する締め付けは厳しくなったが、それによってアンダーグラウンドの世界の構図が変化しているようだ。そうした変化に日本の支配層(アメリカ支配層の傀儡)が対応できているとは思えない。






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最終更新日  2019.01.24 12:00:13



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