『映画は映画だ 영화는 영화다』(2008年)は
イ・ガンペ(ソ・ジソプ)とチャン・スタ(カン・ジファン)が
殴り合う態、一対一だが
『俳優は俳優だ』はオヨン(イ・ジュン)のシャドーボクシングのような
俳優魂の遍歴、演技の変遷を。
あらすじ
小劇場の端役をしながら俳優を夢見るオヨン(イ・ジュン)。
役作りにのめり込み過ぎ
現実と虚構の境界がわからなくなってしまったオヨンはある日
相手役の女優を舞台上で殺してしまいそうになり
劇場を放り出される。
しかし、そんなオヨンもスカウトされ今度は映画の世界へ。
ついに念願の俳優、トップスターに登りつめたオヨンだったが...
ソ・ヨンヒ、カン・シニョ、ミン・ジオ、ソ・ボムソク、ソン・ホンイルら共演
キム・ギドク脚本、シン・ヨンシク監督
『俳優は俳優だ 배우는 배우다』(2013年)
(以下、映画の核心に触れる部分もございます)
『映画は映画だ』を思い出しながら
比較して観ていたが
『映画は映画だ』よりも演技者の心境の変化と
それに伴う演技、演じ方の変遷に重きが置かれているよう。
冒頭、演技と現実世界の区別がつかず、
演技は演技、舞台は舞台と虚構として演技できず
現実の生としてのめり込んでしまう極端な情熱あるいは狂気は
イ・ジュンの迫真の演技と相まって
俳優の渇き、渇望、欲望としても伝わって来た。
独善的利己的なシャドーボクシングのような演技だとしても。
スターになってからの演技は
スターという虚構に寄りかかり依存する演技で
プライベートと映画の中の演技が地続きのようにも見える演出。
あれほど切実に情熱をもって
(独りよがりだが)演じていたオヨンという演技者が
スターの座から落ち消えようとしていた時
かつてシャドーボクシング、独りよがりの利己的な演技で苦しめた
小劇場舞台の相手女優ヨンヒ(ソ・ヨンヒ)が
彼の演技に呼吸を合わせてくれた。
結局スターになる前もスターになっても
オヨンの演技は相手役とのキャッチボールではなく
シャドーボクシングのように一人だけの世界だったのだが...
堕ちて初めて
相手を見つめキャッチボールを恐る恐る始めるように変わる。
その演技の質や俳優としての姿勢の変化、演じ方の変遷は
俳優の内部からの演技に昇華しているよう。
小劇場時代、実は内側からの演技、思考を備えた内発的な演技に辿りつけていなかった
表面的に外側で荒れ狂っていた演技が
沈潜して内部から流れ出て来る演技に変わったような趣も。
ただし、演技上の変化内面の変化を劇中劇的に
二重の演技で俳優が表現するのは難しかっただろうなとも思わせた。
김기덕監督は
今作について「現代に生きる私たちみなが俳優だ」と言ったそう。
そう聞くと
オヨンの浮沈に変遷、変化が俳優という世界内にとどまらず
人生のメタファーも含んでいるのかもと思ったり。
(オヨン)俳優の演技と生という虚構とリアルを行き来する
映画の世界は同時にスクリーンの内と外をも行き来し
現代に私たちの世界につながっているのかも...
今作は김기덕監督の助監督、演出チーム出身ではない、
김기덕組ではない監督によって初めて演出された。
そんな組み合わせの化学反応は100%上手く行ったとは言えないかもしれないが...
イ・ジュンの体当たり演技は印象的だった。
そしてオスのような男と
母性が対比され対峙し共存する김기덕映画らしさは感じる。
MBLAQ
けっこう好きだったから김기덕のせいでイ・ジュンは俳優に...
と少々「ぜんぶ기덕のせい」д・)
to be continued...!?
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