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カテゴリ:美術
東京国立近代美術館で開催されていた「揺らぐ近代 日本画と洋画のはざまに」へ行ってきました。
この展覧会、アカデミズム的にも非常に面白い試みですね。前にアジアのキュビズム、というタイトルの展覧会がありましたが、ああいう視点の面白さ、文脈の面白さで作品をチョイスし並べてみて考えるという点については、近代美術館はウマいと思います。 さて、世の中にはいわゆる「日本画」と「洋画」があります。簡単に、しかも乱暴に分類すると、以下のようになります。 日本画 ・・・岩絵の具を使って、日本的な題材を描いた絵 洋画 ・・・油絵の具を使って、西洋的な題材を描いた絵 たとえば、富士山を岩絵の具で、絹の布に描いたら「日本画」 パリの街を油絵の具でカンバスに描いたら「洋画」 ということになります。 もちろん、明治以降に油絵の具で描く「洋画」が入ってきてから、従来の伝統的な手法で描かれたものが「日本画」として分類されることとなりました。以降、日本画と洋画は絵のジャンルとして別物として歴史を重ねることとなりました。たとえば、東京藝大でも「日本画」「油画」という形で分かれていて、「平面」や「絵画」「ペインティング」という形で統合はされていません。 先程、私が乱暴に分類しましたが、こう定義しますとヘンな状態が起きてくるわけです。 たとえば、日本画の画材を使って、西洋的な題材を、洋画的な構図や色遣いで書いたものは、日本画とよべるのだろうか?はたまた、油絵の具で日本的な風景を、日本画のようなタッチで描いたら、「洋画」と言えるのか? という揺らぎが出てきます。 ここが、この展覧会の面白いところです!!! つまり、明治期以降の美術は、西洋の美術を取り入れることから始まりました。これは社会システムや法律などのジャンルでも同じですね。留学生を派遣して、外国人を雇って、と。取り入れ始めたときのように、西洋的な手法で西洋的な題材ばかり選んで描いているなら問題はないのですが、受容していく過程で「西洋的なもの」だけではなく、身近な日本的なものを描いてみよう、ということになります。そして徐々にローカルなものとの混交が進み、当初のジャンル分けが揺らいでくるわけです。 日本画の場合は、それとは全く逆に当初は日本的であるものが、西洋の美術から徐々に影響を受け、技法的なものから題材まで、西洋を取り込んでいく、と。それは従来のジャンル分けから見ると、どう評価したものか。日本画としての評価か、洋画としての評価か、というクロスジャンル的なものを、どう捉えたものか、という問題が出てくるわけです。 ボストン美術館から出展されている「道真天拝山祈祷の図」。恨みを残して死んでいく菅原道真が「天神」となる瞬間を表した絵で、ポスターにも採用されていますが、ほとんど劇画です。しかも絹布ではなく綿布に描かれています。日本画的な題材なのに、「らしくない」絵。これほど「揺らぎ」の中から面白いものが飛び出してくるとは思いませんでした。日本画から出て洋画を取り込んで、終着駅が「劇画」??(笑。 また、従来は洋画家の人でも日本画を描いたり、逆もあったり、とそのダイナミズムが非常に面白い。萬鉄五郎の日本画もあったのですが、あの毒毒しい萬の油絵とは感じがちょっと違ったりするのです。 出展されている作品も、近代の巨匠の作品が多く、それだけ見ても損はしないですが・・・これは日本の芸術家、いや日本が自らの伝統と西洋をどう解釈し、飲み込んできたかというところまで踏み込んだ、知的好奇心を刺激する展覧会でした。 一番印象に残ったのは、川端龍子の作品「龍巻」です。サイズが293.0×355.0cmと、かなり大きな日本画ですが、着想も大胆です。海におきた竜巻で、海中の魚が飛ばされて、空から降ってきている様を描いたものですが、サメやらエイやら、いろんな魚がダイナミックに吹き上げられては、落ちてきている。その水しぶきが今にもこちらにくるのではないか、と思うほどの勢いがあり、しびれましたねえ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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