3月11日の東北地方太平洋沖地震 真実を知ること
大分八幡奈多宮の元宮である市杵島私たちは3月11日の東北地方太平洋沖地震ことを本当に知っているのでしょうか?春夏、秋になろうとした今、そして菅さんから野田さんとなる今、答は否。あの日、私は今までにない大きな揺れを感じました。都心の高層ビルは大きく弧を描き揺れ続け、交通網は不通となり多くの帰宅難民が出ました。その同じ時間、岩手県、宮城県、福島県で起こっていたことを知る由もありませんでした。時間をおいて、テレビの画面は息を飲む惨事を延々と流し出しました。しかし、ここで私たちは考えなおさなければいけません。私たちは、見たようでいて本当の壮絶なことははなにも見てはいないのです。テレビ画面で死体をみましたか?避難所で言い争う人たちをみましたか?カメラをずらせばそこにはおびただしい死体が本当はあったのです。その人々は波にのまれて亡くなられたかたもいるでしょうが、かなりの方々が、流れてきた車や家や木などの激突によって生を終えられてしまわれたのです。そのお姿は酷い打撲と骨折で無惨だったと聞きます。避難所はどうだったのでしょうか。私たちが見るテレビの画面の人たちは冷静でときおり涙をみせる人々でした。根気よく静かに待つ人々でした。でも、イライラして怒鳴る人がいて当然でしょう。食ってかかる人がいて然りでしょう。配給の誤差に抗議する人いて当たり前でしょう。しかし、テレビの画面にはそういう人たちはいませんでした。漁港では5万匹の魚が冷凍された冷凍貯蔵庫がこわれそれらの魚が外に放り出され腐敗しました。腐敗臭と死臭とわきでる虫虫虫。私たちは、知っているようでなにもわかってはいないのです。他方では、建屋が吹き飛びました。その時の音は、この世のものではないほどの音だったといいます。テレビの音声はコントロールされて、わたしたちはその音すら知らないのです。報道規制というものがあるのは確かです。放送コードに抵触するものは放送できない。そうでしょうそうでしょう。残酷なもは子供に見せてはいけないし大人だって見たくない。しかし、もし3月11日におこった東日本大震災の真実をある程度、私たちがテレビ画面といえどこの目で見、この耳で聞くことができたらならば、ことの重大性、ことの取り返しのつかなさ、ことの残忍残虐のようしゃなさにわたしたちはもっともっと気づき世の中の方向が変わったのではないでしょうか。今現在のように安のんとしてはいないのではないでしょうか。正視に堪えないものを見なければならなかったのではないでしょうか。正視に堪えないものを報道しなければいけなかったのではないでしょうか。そうすれば、絶対に甘ちゃんな私たちではいられなくなるでしょう。被災された方々をお気の毒だとか、東北の方は我慢強いなどという言葉を投げかけたりはしないでしょう。いえ、その言葉だけで終わったりはしないでしょう。遅々として進まぬ被災地の復興を知るにつけ、正視に堪えないものに蓋をしてしまった報道を、「現地報道」として見てしまっていたことに腹がたってしまいます。このような報道の在り方があるわけだから私たちは想像力をもって考えぬかなければと思っています。