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カテゴリ:中国の横暴
今朝9月5日、みのもんたの「あさズバ!」で尖閣の話があった。
そこで、琉球国図なるものが出てきたのだが、oyajiには勉強不足で初耳であった。 早速、ネットで確認すると 琉球国図というのは、 琉球図説 / 鄭若曾 著 の中に書かれたものであることが分かった。 これは早稲田大学が所有し、著者は1503-1570年の人のようだ。 そして、今度は「鄭若曾」を探すと ”『籌海図編』(ちゅうかいずへん)とは、中国の明代・嘉靖41(1562)年に地理学者鄭若曽が著した日本研究書” というのがヒットした。 『籌海図編』というのは、尖閣問題で、中国が日本人に読めと勧める京大教授の論文 「尖閣」列島--釣魚諸島の史的解明 井上 清 にもこのように出てくる。 -----以下引用 おそくとも十六世紀には、釣魚諸島が中国領であったことを示す、もう一種の文献がある。それは、陳侃や郭汝霖とほぼ同時代の胡宗憲(こそうけん)が編纂した『籌海図編』(ちゅうかいずへん)(一五六一年の序文あり)である。胡宗憲は、当時中国沿海を荒らしまわっていた倭寇と、数十百戦してこれを撃退した名将で、右の書は、その経験を総括し、倭寇防衛の戦略戦術と城塞・哨所などの配置や兵器・船艦の制などを説明した本である。 本書の巻一「沿海山沙図」の「福七」~「福八」にまたがって、福建省の羅源県、寧徳県の沿海の島々が示されている。そこに「鶏籠山」、「彭加山」、「釣魚嶼」、「化瓶山」、「黄尾山」、「橄欖山」、「赤嶼」が、この順に西から東へ連なっている。これらの島々が現在のどれに当るか、いちいちの考証は私はまだしていない。しかし、これらの島々が、福州南方の海に、台湾の基隆沖から東に連なるもので、釣魚諸島をふくんでいることは疑いない。 この図は、釣魚諸島が福建沿海の中国領の島々の中に加えられていたことを示している。『籌海図編』の巻一は、福建のみでなく倭寇のおそう中国沿海の全域にわたる地図を、西南地方から東北地方の順にかかげているが、そのどれにも、中国領以外の地域は入っていないので、釣魚諸島だけが中国領でないとする根拠はどこにもない。 一九七一年十二月三十日の中華人民共和国外交部声明の中に、「早くも明代に、これらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域にふくまれており」というのは、あるいはこの図によるものであろうか。じっさいこの図によって、釣魚諸島が当時の中国の倭寇防衛圏内にあったことが知られる。 ---------- 井上教授や中国は、「1561年に書かれた籌海図編に「釣魚嶼」の名前が出てくるから、中国の領土だ」と言うのだが、 同じ頃、書かれた琉球図説の琉球国図の中にも同じ「釣魚嶼」の名前が「古米山=久米島」と並んで書いてある。 前者は倭寇の進入路として名前があるのだが、後者には琉球国として名前がある。 これをどう説明するのだろう。 これは地図の左半分だが、前のページに「琉球国図」として右半分がある。 ただここで思ったのは、この琉球図説であるが検索しても一つしかヒットしない。 あまり知られていないのだろうか。 早稲田大学で所有しているなら、これを寝かさないで、積極的に発表すべき時ではないだろうか。 そのうち、中国の古い地図同様、知らない間に誰かが持ち出して紛失するかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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