丸子紅茶江戸時代、日本には紅茶はありませんでしたが、明治維新を経て、紅茶も国産が登場することに。静岡の丸子で、紅茶を栽培したのが、多田元吉(ただ もときち)。 1869年、幕府崩壊後、徳川慶喜に従い駿河(静岡県)へ。拝領した長田村(現、静岡市丸子)にて茶園を開拓、茶の栽培を始める。 1875年、明治政府は彼の技術を評価し、中国、インドの視察を命令。 1876年、インドのアッサム地方、ダージリン地方とセイロン島(スリランカ)に向かう。 1877年、帰国し、アッサム地方から持ち帰った紅茶の原木の種を丸子で栽培、アッサム種の栽培を指導。 1896年、丸子にて没。享年68。 2001年、丸子に顕彰碑が建立 多田元吉が持ち帰った種をもとに、彼は日本産の紅茶の普及に努め、紅茶は日本の輸出品となり大成功。いつかは「リプトン」を抜くとさえ言われていたとか。が、輸入の自由化で大打撃を受け、日本産の紅茶は衰退の一途。 アッサムの木は丸子の山の中に放置されることに。その後、現代となり丸子の山が開発されることになり、原木が伐採されることに。 で、アッサムの木で日本産の紅茶を作ろうと、丸子に住んでいた村松二六さんが、十年の歳月をかけて、独自のシステムを作り上げたのが、「丸子(まりこ)紅茶」です。
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