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きのうのうちに画像を物色するつもりだったんですが、はかどらなくて(汗)
きょうは画像の要らない話にとどめましょうかね。 福音書の物語は、もちろんありとあらゆる宗教画に描かれ続けてきました。「最後の晩餐」も何百人もの手によって描かれたし、あと生誕のシーンとか、さまざまな奇跡とか・・・ その中でもとりわけ多いのは、もちろん磔刑のシーンです。画像を見なくても、十字架にかけられたイエスの絵といえば、だいたいどんな人物が描かれているか、だれでもイメージは描けますね。そしてそれらの絵は、だいたいにおいて、聖書にあるこの場面の記述に忠実に描かれている・・・と、誰しも思いますよね。 で、聖書の記述ですが・・・処刑の場に居合わせたのは、もちろんイエスその人、同時に処刑された罪人たち。ローマ軍の兵士たち。あと、野次馬たちも含めて、遠くから見守る一般市民たち。そんなところだったでしょうね。ヨハネ福音書には、聖母マリアをはじめ、数人の女性たち、その中にはもちろんマグダレーナがいたと書かれています。で、このときイエスは母マリアと、そのそばに立っていた最愛の弟子に向かって、「見なさい、これがあなたの子だ」「これがあなたの母だ」と言ったとされています。最愛の弟子、というのは、もちろんヨハネのことと解釈されてますけど(そうではない、という説もありますが) ところが他の3つの福音書には、この言葉はもちろん、その場に聖母マリアがいたことさえ書かれてはいません。マグダレーナをはじめ、ガリラヤから従ってきた婦人たちが遠くから見守っていた、と書かれているだけです。たしかに、このとき聖母がエルサレムにやってきていたことを示す記述は、ヨハネ福音書の中にさえありませんから、彼女はこのゴルゴタの丘に突如ワープしてきたかのように現れたわけです(汗)・・・そばに立っていたというヨハネにしても、ゲッセマネの園で四散してしまった弟子たちのようすからすると、一味として逮捕される危険を冒して、処刑場に現れるというのは無理があります。どうやらこのシーンは、ヨハネによる「フライング」のようですね。 もちろんその時代の処刑風景なんて想像するしかありませんが、日本の時代劇でも磔刑シーンといえば、周りには竹矢来が組まれ、一般の見物人は外から遠巻きに見守るのみ。まさか近くで受刑者と言葉が交わせるような状況ではないでしょう。その場に聖母マリアが来ていたというのをそのまま信用するとしても、事実はどうやら、マグダレーナたちと同様、遠くから見守ることしかできなかったことでしょうね・・・ では、その場面が宗教画家たちの手にかかるとどうなるか?・・・次はちゃんと画像を用意しますから(爆) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.14 00:27:45
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