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tdo1976の日記 [全66件]
クロージングトーナメントの予選最終戦の試合終了のホイッスルが鳴り響き、初夏の到来を告げる斜陽がまだ鮮やかにピッチに照り返している。 仲間の悔しさを滲ました表情、相手チームの歓喜。 そしてもう左腕にキャプテンマークを巻くことはないのだと思うと、少し寂しい気がした。 サッカーに、そしてチームに真摯に向き合い続けることを決めてから1年が経ったのだ。 やがて夕暮れの陽が美しい光束となって、シーズンエンドパーティの参加者達を等しく彩る。 僕等の座るテーブルからは、遠く隣接するゴルフ場のなだらかで柔らかな芝生の起伏が見える。 頭上を見上げると、北極星がもう6月の帳に煌びやかな姿を見せている。 心から美しい瞬間だと思う。人生の一瞬、だけれど確かにサッカーを通じて交差した人々の温もりに包まれた一時。 ヨーロッパ、南米、アジア、オセアニア、アメリカ・・・・拙いかすかな英語でだけれど、確かに繋がった人々との交流。 この1年を、どう形容したらいいのだろうか? この1年自分がやってきたことがなんだったのか? この1年自分が向き合い続けた物事がなんだったのか? キャプテンのオファーを受けて、自分なりに悩み抜いた末に、それを引き受けたこと。 サッカーが上手なわけでもない。 リーダシップで集団を纏めるというよりも、元来自分が納得できればそれでいいと思う個人主義のタイプ。 誰とでも仲良くなれるわけでもない。 何故だろう。それでもそれを是非やってみたいと思う、自分がいた。 それからの1年は本当に等比級数のようにあっという間に過ぎ去り、今日このパーティの宴に帰結したわけだ。 チームの結果には満足をしていない。チームの結果を最良に導けず悔しい気持ちも多分にある。 いっぱい失敗をし、沢山間違いを犯し、選択を多々誤まり、もうドジばっかりだった。 それでもなんだろう。この充実感は。 終わりの段になって、初めて気付く。 ああ、俺はこの仲間と、この仲間達と1年を向き合い続けることができたんだな。と。 そして仲間も同じく僕と向き合ってくれたんだと。 だからこそ今のこの瞬間、このぬくもりがある。 それこそが僕のこの1年の一切だったんだ。と。 こんなに苦しくて、しんどくて、でもこれほどの充実感、達成感はない。 逃げないこと、言い訳をしないこと。そして真摯であること。 乾杯を酌み交わし、だれかれともなく「ありがとう」或いは「お疲れ」という言葉をいただく。 それが全てなのだ。 僕はそれだけでもう単純で、真っ直ぐで、それだけでもう 本当に仲間に、チームに胸いっぱいだ。 感謝。感謝。ひたすらの感謝。 Last updated 2007.06.10 01:46:20
![]() オランダ・デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園を吹く風はもう晩秋のそれのように肌に刺さる。 アムステルダムからバスを乗り継ぎながら片道2時間半の道のりをかけてやってきただけのことはある。 あたりはもうアムスのような箱庭的なメルヘン観光地の賑やかなそれではなく、牧草地が果てしなく広がり、乳牛や羊が草を食み、その奥深くには針葉樹の森がうねうねと幾重にも曲線を描きながら秋の高い空の下に続いている。 広大な国立公園の森の中央奥深くに佇むクレラー・ミュラー・ミュージアムの正面玄関に辿りついた時、決心はとっくについているつもりだった。 この世でもっとも敬愛する画家が描いた「夜のカフェテラス」 1人のどこにでもいるありふれた青年が真剣に人生の意味を考え始めるきっかけを与えた絵。 僕の青春はあの絵と始まり、以来心の底辺には常にあのカフェの灯りがあったように思う。 大切な人を喪い(そのことの本当の意味を噛み締めるのはずっと後になってからだけれど) それから10年 それとどう向き合い、或いはどう向き合ってきたか、それを心の闇からそっと照らす灯火だった。 数百年という時の洗礼を受けた絵画たちが静かに額縁に納まっている回廊を静かに僕等は歩く。 ゆっくりとそれらの一つ一つを見定めていく。対面していく。 時にはそれらのうちの何かが僕の心の何かと触れ合う。だけれどそれが何かは僕には上手く把握できない。 やがてその瞬間は不意にやってくる。絵はゴッホルームの中央に掛けられてた。 実物は心の想像よりも小さかった。 額縁は最近変えられたのだろうか?新品のような目新しさを醸し出していて、 絵自体が放つ深い質感との間でアンバランスさを際立たせている。 ゴッホはこの絵を描いたとき、弟のテオへの手紙でこう言っている。 「因習的な夜の闇から抜け出す唯一の方法によって描いた絵だ」 絵の技法のことを言っているのかどうかは遺された僕等には正確にはわからないけれど、 少なくとも、そこには純粋で直向な1人の人間の決意が見て取れる。 オランダのある作家がこう言っている。 「ゴッホの遺された手紙はオランダ文学史上最高の作品だ」 目新しい額縁。 そこに閉じられた120年前のアルル。 人の温もりに包まれた夜のカフェテラス。 そしてそれを描く孤独の画家。 多分目新しく無機質な額縁が絵と交じり合いそれらが一体となって見るものに映るには、なお幾十年の歳月を要するのだろう。 その頃にはもう僕はこの世にはいない。 これからも幾多の人々がこの絵と対峙し、時に自らの心の何かを揺り動かすことになるのかもしれない。 クレラーミュラーを辞するとき見上げた空は 10年前、あの11月の夕暮とダブって見えた。 「夜には昼よりも多くの光が存在する。僕はそう思うよ。」 V.Gogh 20代最後の旅はまだ終わらない。 Last updated 2006.11.01 20:27:05
Jに待望の第一子が生まれた。 Jとは大学時代からの付き合いで、以来不思議な縁に導かれるように互いの人生の節目節目で再会を果たしながら、今ではここ上海でお互いに駐在員として家族同士の付き合いをさせてもらっている。 そのJから今日メールで吉報が届いた。 「無事に子供が生まれた。」と。 いつかこんな日が来るだろうとは思っていたのだけれど、なんだか不思議な気分だ。 18歳の時に出会った彼が父親となった。 ともに青春の街長崎で暮らした彼が。 ともに八ヶ岳に白馬岳に富士山に屋久島に登ったあいつが。 互いの結婚式で人生最良の日を祝い合った大切な友が。 添付された愛娘とご家族の写真からは、それがどれだけある家族においてささやかだけれど幸せな一時なのかが、真っ直ぐに伝わってくる。 愛娘の名は「明日花」。 素敵なパパのお気に入りの友人として我が身を覚えてもらえる日が待ち遠しい。 今宵はJに乾杯。 Last updated 2006.09.21 18:55:58
昨晩は、上海外国人リーグの永遠のライバルチーム「Shooters」のメンバーの1人、Steveのお別れパーティがあり、我々Japanからも3人でちょっとだけ顔を出した。 正直、欧米系(笑)のノリについていけるかいささか心配だったのだけれど、やはり行ってよかった。我々が顔を出したことに、Steve本人もいたく喜んでくれたし、Shootersのそれ以外の面々や普段リーグで良く顔を合わしている他チームのメンバーも沢山来ていて、結構お互いに気さくに挨拶を交わし、とってもフレンドリーで親密な気持ちに包まれた。 最後に壇上でShootersの監督のJohnがなにやらお別れ挨拶&メモリアルグッズをSteveに手渡すとSteveは男泣き。やはりこういう場面は国や人種に関わらずやっぱりいいものだなと。 そしてスピーチの中でも「Japanも着てくれてありがとう云々」といったちょっとした謝辞があり、彼等のそうした何気ない配慮というか礼節に感動。 自分がもしそういうことをされたら本当に素直に嬉しいだろうし、たとえ言葉がそれほど深く通じ合えないとしても、人間としての心は通じるということなんだろう。 何を行動として示すかが、人と人とのつながりの基本なんだと改めて感じさせられた夜だった。 髭の濃いアングロサクソン系顔に2つの純粋な瞳があって、それはちょっと潤んで輝いていて、なんだか上海でサッカーを通じて出会った人々との繋がりに胸がほっこりとしたそんな気持ち。 Last updated 2006.09.17 10:23:41
昨晩は外国人サッカーリーグのリーグコミッティミーティングに参加した。 普段アジアンなんちゃってイングリッシュに慣れきっている身には欧米系の本場英語での2時間は堪えた。 ヒアリングはある程度問題なかったのだけれど、(それでもアイルランド系のはメチャ聞き取りにくかったなあ。)やはり自分の伝えたいことや言いたい事をそうした場で発言するのは 難しいなと。 イタリア人やオランダ人、フランス人なんかもメチャクチャ流暢に英語喋っていて、おとなしいのはやはり韓国、中国、そして日本というアジアン。お国側がでているなあ。 でも言い回しとか、結構すぐにパクれそうなのがあったので早速実践してみよう。 でも大変刺激になった。 蘇州河に面した隠れ家的なBARの 屋上オープンバーで、 夏の夜風に吹かれながら、 サッカーを通じて出会った 様々な異国の人との交わりは。 同行したチームメンバーのKちゃんとその後、下の階で飲みなおしながら「これからは英語やなと。」と盛り上がったりなどして。(単純) いずれにせよ、こうした機会を与えてくれたチームに感謝。 この1年、自分自身の責任をチームに果たしたいと改めて感じた夜だった。 上海ライフの集大成としてもラスト1年余りを仕事、プライベート通じて完全燃焼しようと思う今日この頃。 Last updated 2006.08.16 14:00:24
アムステルダム→ケルン(もしくはハイデルベルク)→フライブルク→フェルドベルク→パリ→オーヴェール・シュル・オワーズ→ブリュッセル→アムステルダム 行きたいところはそれこそ山ほどあるけれど、これが20代最後の旅の草案。 先日の日本出張の折に8年ぶりに購入した「地球の歩き方」ヨーロッパ編を見ながら纏めたルート。 8年前あの頃まだユーロはなく、行く先々でマルクやフラン、リラなんかに換金していたんだっけ。 秋のヨーロッパを訪れるのは初めて。もうヤッケは必要だろう。今年買ったオレンジのシェラ64パーカを卸そう。 僕の敬愛する作家は旅や異国の生活において 「理解できなくてもいい、ただ感じるだけでいいんだ。」 というような意味のことを言っていた。 それはまさしく僕の旅行観とも符合する。 無理に目的や意味を見出すことはない、ただ感じるだけでいいんだ。 それでも今回の旅はいささかの個人的な目的があるのも確かだ。 1.「彼女は林檎を齧り僕は縄を焼く」の原風景とも言うべき、黒い森との邂逅。 2.敬愛するゴッホの「夜のカフェテラス」に出会う。 3.ゴッホ終焉の地を訪れる。 あの森は今も深く、濃く樅の木々に包まれているんだろうか? あのフェルド山の頂にはまだ十字架が立っているんだろうか? そしてまた涙は頬を伝って、別の何かに変わるんだろうか? 1999年2月、ポーランド。 アウシュビッツ収容所跡地ビルケナウツヴァイ。 敷地の中央奥深く、おもむろに終わりを見せる線路は僕の人生の何かと重なった。 あの時途絶えた線路の先には、本来続くべき幾百万の人々のそれぞれの人生の軌跡があるべきだった。 そのことを思うと胸が激しく軋んだ。 世界と繋がるということは美しいことばかりではない。 世界の哀しい記憶や思い出が時として、個人的な何かと共鳴することもある。 胸の奥深くに今もしっかりと根を張る忘れえぬ様々な記憶としっかり対峙してこようと思う。 Last updated 2006.08.13 10:46:38
世界の国の数、191程度。 僕がこれまで訪れた国々及び地域 ドイツ、フランス、スペイン、スイス、イタリア、 バチカン市国、ポーランド、チェコ、オーストリア、 ハンガリー、台湾、シンガポール、マレーシア、 中国、アメリカ合衆国、韓国、ベトナム、 タイ、インドネシア。 未知の国:既知の国=10:1 こうやってリストに書き記すことで世界の大きさと人間の小ささがよくわかる。 これまで行かなければ良かった、或いはもう二度と行きたくないなんて国々は一つもなかった。 そこにはいつも何かしらの発見があり、心が震える瞬間があった。ように思う。 僕の出会ったことのない人々がリアルな日々の生活を営んでいるということ。 それは僕が今生きているこの時代に、確かに世界の人々がともに生きているということを理解するということ。 それだけでも知らなかった国を訪れる価値はある。と僕は思う。 初めて海の外の世界に触れたのは20歳を過ぎてからだった。 TVや新聞を通して示される海の外の出来事。 10代を過ぎて20代を迎えてもなお、それらは常に僕の外側にあるものであった。 僕の世界は日本だけであり、岡山であり長崎であった。 それから10年にも満たない間に僕は海の外に一歩を踏み出し、そして今に至ってはその外なる世界でリアルな生活を営んでいる。 不思議は縁(よすが)だと思わずにはいられない。 どのような世界であれ、文化であれ、 違いを見出すこと、多様性を理解すること。 それは今までよりもほんの少しかもしれないけれど世界に参加したということになるんだろう。 そして 世界はまだまだ広く、あらゆる示唆に満ち満ちている。 20代最後の年。 その視座をもたらせてくれたあの国へ足を運ぼうと思う。 奇しくも2006年ワールドカップはそこで行われる。 祭りが終わり、夏を過ぎて鮮やかな秋となれば僕は青春の残り香を確かめにあの山にまた登るのだ。 Last updated 2006.05.11 18:27:58 |一覧| |
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