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テーマ:映画館で観た映画(8348)
カテゴリ:洋画(か行)
原題: CADILLAC RECORDS 監督・脚本 : ダーネル・マーティン 出演 : エイドリアン・ブロディ 、 ジェフリー・ライト 、 ビヨンセ・ノウルズ 、 コロンバス・ショート 、 モス・デフ 鑑賞劇場 : 恵比寿ガーデンシネマ 公式サイトはこちら。 <Story> 1947年のシカゴ。 バーのオーナーでポーランド系移民のチェス(エイドリアン・ブロディ)は、才能に溢れたギタリストのウォーターズ(ジェフリー・ライト)とハーモニカ奏者のウォルター(コロンバス・ショート)と出会う。 チェスは自らのレーベル「チェス・レコード」を設立し、2人の売り出しに成功する。 その後、ハウリン・ウルフ(イーモン・ウォーカー)、ウィリー・ディクスン(セドリック・ジ・エンターテイナー)といったブルース・ミュージシャンから、チャック・ベリー(モス・デフ)のようなロックン・ローラーをレーベルから輩出していく。 しかし時代の流れは、変わっていた。 キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語 - goo 映画 <感想> 本当に本当に公開を待ち焦がれていた1本かも。 やっぱりビヨンセが出てるっていうのがすごく魅力的なんです。 『ドリームガールズ』も大好きでした。 というかもともと音楽映画が好きなので。 予告を見る限りでは、『ドリームガールズ』よりも前の時代の話ということで、ちょっと地味な感じもしますけど、代わりにシュールな現実がありました。 1950年代の音楽は正直馴染みがない。 だけどクラプトン、ストーンズなら辛うじてわかる。 ビートルズなら大体わかる。 ビヨンセならもっとわかる。 彼らがインスパイアされ、彼らのソウルとなっている楽曲、それこそがまさに50年代にちりばめられた楽曲なのである。 モータウンよりももっと前のシカゴ、チェス・レコード。 ここから巣立ったアーティストたち。 マディ・ウォーターズ、エタ・ジェイムズ、リトル・ウォルター、チャック・ベリー、・・・。 『ドリームガールズ』が、1960年代に黒人音楽をショービズに乗せるための闘いだとしたら、これはその一時代前の、まさに黒人音楽を世に出すための闘いを描いている。 公民権運動よりももっと前の時代ですから、その壁のどこを崩して攻めていくかということは命題でもあった。 黒人音楽に惚れこんだレナード・チェス自身がポーランドからの移民だったため、同じマイノリティ同士という絡みもあってか、自由自在な発想に縛られないで売り出していけたのはラッキーではなかったか。 前例や、枠がないメリット。 アイデアをどんどん実行していくことによって、今のプロモーションの基本のようなものができていくのがわかる。 そしてやはり、いいものはいいと、大衆もわかっていく。 そこには人種の壁はもはやなくなっていく。 彼らが世に出て脚光を浴びてもなお、心に去来するのは自分自身への不安との戦いである。 その壁を克服することは難しい。 社会的にもまだまだ地位が低かった時代の黒人音楽を、商業ベースに乗せるまでの、途方もない苦労。 人種差別の壁、本人の過去のトラウマからの脱却、酒・女・クスリの呪縛。 ありとあらゆる角度から彼らを阻むもの。 そしてそれに溺れていく者。 チャック・ベリーのように、今もなお健在で、存在感を残しているアーティストもいるが、せっかくのチャンスをつかみながらも、志半ばにして音楽シーンを去って行く姿は哀れである。 だが、去っていった者たちの音楽も強烈なインパクトを残していく。 劇中彼らに魅せられてやってくる、若き日のローリング・ストーンズ(→ ミックが可愛かった^^)のように、自分たちのテイストの中に彼らの影を残しているアーティストは多い。 それがいま私たちが聴いている音楽のルーツともなっている。 例え草創期の黒人アーティストたちが、自分たちの音楽を成し遂げられなかったとしても、そのソウルは後世のアーティストたちの血となり肉となっていった。
マディのどうしようもないスター性や、リトル・ウォルターの天才的なテクニック、チャック・ベリーの絶対の音楽センス、それにももちろん唸らされるんですが、やはりビヨンセの歌にあるソウルと、彼女が音楽に対して抱く想いが押し寄せてきた。 劇中何曲か彼女は歌っているが、どれもが地の底から絞り出すような想いを持ち合わせている。 「つらい思い出が、曲に深みを与える」と、チェスは言った。 本当にその想いを味わったことがないと、その歌は歌えない。 ビヨンセ演じるエタ・ジェイムスが、去っていくチェスへの想いをあふれさせて歌う、"I'd Rather Go Blind"。 彼へのありったけの想いを込めて歌う、この曲は圧巻です。 哀しい出来事が、歌に深みを増していく・・・。 それは何と皮肉なことだろうか。 分かっていながらも、その激しい情熱に、心が震えるのを感じずにはいられない。 製作総指揮にも携わっているビヨンセ。 彼女のこの映画、そして音楽に賭ける想いも、歌に全てこもっています。 そして、決して綺麗ごとでは済まなかった、草創期の黒人アーティストたち。 彼らの想いは1つ、自分たちの音楽を求めたこと。 白人の世界にかすめ取られることなく、きちんと確立した音楽を求めていく。 それは60年代のモータウンなどにも続いていく。 また1つ、ほろ苦さが沁みてくる映画に出逢ってしまったかな・・・? 震えるほどの感動、いかがですか?
今日の評価 : ★★★★☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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