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テーマ:映画館で観た映画(8328)
カテゴリ:洋画(あ行)
原題:LE PERE DE MES ENFANTS 監督・脚本:ミア・ハンセン=ラブ 出演:キアラ・カゼッリ、ルイ=ドー・ド・ランクザン、アリス・ド・ランクザン 鑑賞劇場 : TOHOシネマズ六本木ヒルズ 2009年カンヌ国際映画祭《ある視点部門》審査員特別賞 『あの夏の子供たち』 公式サイトはこちら。 「フランス映画祭2010」 公式サイトはこちら。 <Story> パリの街を携帯電話を片手に足早で歩く、映画プロデューサーのグレゴワール・カンヴェル(ルイ=ドー・ド・ランクザン)。 映画製作会社ムーン・フィルムを経営する、映画愛とユーモアに満ちた魅力ある彼は、殺人的な仕事量さえも楽しんでいるかのようだった。 仕事にも情熱を注ぎながらも、家に帰れば家族を愛する良き父親であるグレゴワールは、週末は妻シルヴィア(キアラ・カゼッリ)と3人の娘たちと共にパリ近郊の別荘で過ごしていた。 思春期の長女クレマンス(アリス・ド・ランクザン)、父親譲りのユーモアを持つ次女のヴァランティーヌ(アリス・ゴーティエ)、末娘のビリー(マネル・ドリス)。 今週末も一家は幸せなときを過ごしていた。 (公式サイトより) (初夏、恵比寿ガーデンシネマにてロードショー) <感想> これが今年のフランス映画祭最後に鑑賞した作品です。 ミア・ハンセン=ラブ監督は、オリヴィエ・アサイヤス監督作品『8月の終わり、9月の初め』(98)で女優デビュー、のちに監督業に進出。 アサイヤス監督との間に昨年1児を設けている。 タイトルの『あの夏の子供たち』っていうのがあまりにもほのぼのとして幸福な家族のイメージなのですが、 待ち受けている現実は本当にシュールでした。 この映画のモデルが実際に監督の周囲にいるそうです。 現実として、映画界も不況の影響をまともに受けているので、かなり考えさせられてしまいます。 家族の思い出。 家族で一緒に行った夏の水辺の映像があまりにも楽しそうで、 それから暗転した後のシーンとの対比が際立ちます。 一体この子たちはこれからどうやって暮らしていくんだろう? 残された現実はあまりにも過酷なことばかりなのだけど、 それを知らない子どもたちは無邪気に振舞います。 それでも、何も分からない末っ子のビリーとは違い、年長のクレマンスはさすがに現実の厳しさというものについて考えています。 そして映画のラストに流れるのが、有名な "Que Sera, Sera "の曲。 幼い日に、何になるんだろう? 楽しみだな・・・ そうやって夢を描いているのに、 待ち受けている現実は、苦しいことや悲しいことの方が圧倒的に多い。 それを知らずに育つ幼児期の子ども、そして薄々現実に気がつき始める思春期の子ども。 それぞれの年齢でとらえ方は違うかもしれないけど、 待っていることのシュールさ、辛辣さ、残酷さを思うと、 観ているこちら側の胸が痛くなって来ます。 本作は、夢見るようなお話ばかりではないのですが、 それでもあくまでもスタイルとしては、さらりと軽い感覚で描いています。 お涙頂戴とか感傷的には描いていない。 「それがかえって感情を高める効果をもたらしています」と、トークショーでは監督が仰せでした。 映画を見ながら、この着地点って一体どこなんだろうと考えていましたが、 最後に「ケ・セラ・セラ」を持ってくることによって、一気に映画が動き出し、 命が再度吹きこまれるような感覚にとらわれてきました。 それまでのあらすじを反芻しながら、最後にこの曲の意味を深く考えていくことによって、 観客はこの家族の行く末をぼんやりと想像するとともに、 現実の、自分たちの人生の行く先までにも思いを馳せることができるような気がします。 トークショーには監督が登場。 女優出身だけあってさすがに美しい方です。 以下要旨。 キャスティングに関して。 グレゴワールはもうルイ=ドー・ド・ランクザンしかなかった。 彼にはどことなく貴族的な雰囲気があり、そのことが、ただ単に精力的に仕事をしているプロデューサーという位置づけだけではなく、雰囲気を持たせていた。 そして長女のクレマンスには、ルイ=ドー・ド・ランクザンの実の娘であるアリス・ド・ランクザンを起用した。 彼女は昔から知っていたけど、彼女の成熟した落ち着きのある雰囲気を見て、これはクレマンスに必要な要素と感じて依頼した。 いつも映画の音楽にはあいまいな曲を使用していますが、 今回は人気の高い「ケ・セラ・セラ」を使用しました。 自分の人生観として、「自分の運命を受け入れる、そしてそれを好きになっていく」 というものがあり、この曲を起用することで訴えたいことがよりはっきりして来るように感じました。 家族が集う水辺は、トスカーナ地方の硫黄泉があるような場所でした。 タルコフスキーの「ノスタルジア」に出てくる場所の雰囲気に似ています。 時の流れを表しているような雰囲気を目指しました。 決して家族のほのぼのさや、そこから暗転する事態への慟哭だけを 声高に主張はせず、 あくまで客観的な目線でとらえていく手法。 なので観客は話にのめりこみ過ぎず、そして映画の余韻をじっくりと味わえる。 派手さはないですが、積み上げたモチーフがじんわりと胸を打ってくるような1本でした。 *********************************** 今日の評価 : ★★★★☆ 4.5/5点 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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