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大阪堂島ペルー料理★ラテンキッチン★クスコのスタッフ日記♪ [全121件]
1986年の春にペルー大使館商務部からペルーへの買い付けミッションに参加してほしいと依頼がありました。 買い付けミッションとは、大使館の紹介でペルーの企業の商品を日本の企業が買いに行く、国主催のお買い物ツアーのようなものです。 そのため、現地でのお出迎えも桁違い、ペルー空港に到着すると軍人の高官が出迎えてくれ,我々全員のパスポートを一括して渡し、いとも簡単に税関を通過することができました。通常であれば考えられない、さすが政府主催のお買い物ツアーです。 もちろん、参加者の顔ぶれも豪華でミッションの団長はある有名な飲料メーカーの社長で、その他香料、色素、繊維会社そして商社の人達で20名ぐらいでした。 その後も、リムジンと高級バスが私たちを待っていて、実にVIP待遇なツアーでした。 ペルーへ向かう、カナディアン・パシィフィクの機内で知り合ったチーフパーサーが偶然、ペルーの友人の知り合いで、これまた偶然に帰りの便でも同じパーサーに出会いました。 すると、彼はこっそりと私の席をエコノミークラスからファーストクラスにグレードアップしてくれました。おかげで、とても快適な空の旅になりました。 今回の話のメインである、ミッションにはたくさんのピスコ会社が参加していました。しかし、なかには輸出は初めてのところもあったり、自社のピスコのアルコール度数を知らなかったり、また、今にも抜けそうなコルク栓を使用している会社などもあり、日本の企業では考えられないアバウトさ、やはりペルーらしいなと思ったユニークな経験でした。 Last updated 2010年11月1日 2時52分44秒
いつもラテンキッチンクスコをご愛顧いただきましてありがとうございます。 下記のとおり、8月14日(土曜日)の営業をお休みさせていただきます。 ・8月13日(金曜日)・・・通常営業(ランチ/ディナ-) ・8月14日(土曜日)・・・お休み ・8月15日(日曜日)・・・定休日 ・8月16日(月曜日)・・・通常営業(ランチ/ディナ-) Last updated 2010年8月9日 6時33分37秒
ペルーの太平洋沿岸を寒流のペルー海流(フンボルト海流)と暖流が流れており、 そのおかげで、ペルー沿岸では多種類の新鮮な魚介類が採れ、 「ルクマ」はペルー原産で、主に海岸砂漠地帯で1~5月に収穫される果物です。 そしてその気になるその味は、なかなか言葉では上手く表現できませんが、 (気になる方は、ルクマのパウダーをペルーから取り寄せ、自家製ルクマアイスとしてメニューに取り入れている「クスコ」にご来店ください。) この「ルクマ」に限らず、ペルーの食べ物に懐かしい昔の日本の味を感じる事があるのは、やはり大昔に大陸が繋がっていたという証なのかもしれません。 Last updated 2010年7月17日 8時54分56秒
Internacional Pressに紹介いただきました。 日本で編纂されているスペイン語新聞。週1回発行されています。 ![]() パイオニア シェフ 上岡清剛は、34年前から大阪でペルー料理レストラン「クスコ」を営んでいる。 1973年、23才の日本人、上岡清剛は、イタリアン、フレンチ、中華料理のコックとして東京のレストランで働いていた。その時、一人の友人が、彼にペルー料理の魅力を教えた。 同年、上岡は旅支度をし、ペルーの首都リマへ向かった。先ずは、レストラン「ス・カサ」で働き始めたが、その後、ケイタリングの世界では名が知れ始めた日系2世のシェフ、ウンベルト・サトウ氏にスカウトされた。 上岡は、そこでペルー料理に大きな影響を受けた。それは、想像を絶した。 アロス・コン・カルネ、パパ・レジェーナ、ポーヨ・ア・ラ・ブラサ等の美味で素朴な味に惹かれた。「一度に4羽のポーヨ・ア・ラ・ブラサを食べたこともあります。」と思い出して言う。 帰国後、1976年3月4日、大阪にペルー料理レストラン「クスコ」をオープンした。今や日本で一番古いペルー料理レストランとして知られている。 当時、オリジナルペルー料理を作るためには、想像力や適応性、それに大いなる努力が要求された。現在のように何もかもが手近に無く、手に入らなかったためである。 それを調達出来たのはまさに奇跡だった。高島屋デパートで開催されていたペルー展でピスコ(ペルーの酒)を見つけたのは、当時としてはとても珍しく、幸運としか言いようが無かった。上岡は販売されていたピスコを全てそっくり購入し、それがレストランのメニューの中にピスコサワー(カクテル)が確立した好機となった。 それを機に色んな製品のパイオニアと変貌し、ペルーを常に頭に置きながらグルメとしてのイニシアティブをとっている。 彼の両親が酒屋を営んでいたお陰で許可がおり、ピスコ、タカマワイン等の酒類やアヒ・パンカ・セコ(乾燥とうがらし)までも輸入出来た。 1979年、彼は再びペルーに渡り、日本で最初のチキンの丸焼きの機械を手に入れた。ウエイトリフティングの経験が功を奏したのか、重さ100Kgもあるその機械を手荷物として帰りの機内に持ち込んだのである。 1984年、日本人のペルー移民を祝して、横浜の山下公園前に横付けされた氷川丸の船内においてペルー料理フェスティバルが開催され、そのシェフとなった。 1988年、ポーヨ・ア・ラ・ブラサやパパ・レジェーナ、ソパ・ミヌータ等のファーストフード1号店を兵庫県にオープンした。だが、2年後それは閉店した。「ケンタッキーのような店にしたかったのですが、立地が悪かったことと資金不足でした。でも、夢は捨てませんでした。」と彼は言う。 その後、ペルー料理の商品の独特なスタイルを作り上げた。アロス・コン・カルネ、パリウエラ、アヒ・デ・ガイ-ナ、ブラサソース等のレトルト商品である。その最たるものは、パック入りチチャ・モラーダ(バランス)である。 上岡のビジネス形態として、今やインターネットは最良のものであると言う。 (www.cuzco.co.jp) 1986年~2008年、大阪にある名の知れた辻学園のペルー料理部門では初めての講師として登録されている。それは、日本の料理学校においては 類の無い試みであった。 Internacional Press より Last updated 2010年6月1日 19時30分55秒
ペルー展の開催日前日にうちのスタッフの Last updated 2010年4月12日 12時29分23秒
日本人が南米に最初の移民として移住をしてから今年で111年になります。 Last updated 2010年3月11日 5時46分10秒
南米には日本にはない珍しい野菜が数多くあります。 その中でも代表的なのはロコトと呼ばれるナス科トウガラシ属に属する植物で、 色・形は日本のピーマンとそっくりですが、種子はピーマンと異なり 黒いのが特徴な野菜です。 私がペルーでレストランの調理場に入った初日に、そ のロコトをピーマンだと思ってスライスしました。 その後、きれいに手を洗ったにもかかわらず手で顔に触れると そこにヒリヒリと強い痛みがはしりました。 ロコトはそれほどに辛みがあり刺激の強い野菜なのです。 果肉は極めて辛いのですが日本のトウガラシとは違い、 辛いだけではなく食欲をそそる風味があります。 そのため、辛いものが好きな人には一度食べたら 癖になりそうな魅力を持った野菜です。 ペルーの大衆食堂ではテーブルにレモン(日本のライム)のぶつ切りと ロコトのスライスが皿に入れて置いてあり、 スープやセビッチェ(白身魚のレモン漬け) その他の料理にも辛さや酸味が足らなければ 調味料のように好みによって入れる事が出来るようになっているところが多いです。
ROCOTO RELLENOと言うピーマンの肉詰めに似た料理です。 ロコトを半分にカットして中にミンチ、玉ねぎをにんにく、 クミンなどで味付けした具を詰め、 とき卵を付け、フライパンで焼き、卵で蓋をした料理ですが、 当店ではそれをトマトソースで煮込んで出しています。 私はペルーでこのロコトに出会って日本での食物に対する思い込みが 大きく変わりました。 国が変われば使われる食材も違い、 新たな発見ができるのも海外での生活の醍醐味と言えるでしょう。 Last updated 2010年1月12日 2時19分33秒 |一覧| |
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