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いうまでもなく、君が代は『国旗及び国歌に関する法律』で定められた、日本の国歌である。
この君が代について、様々な議論や事件が起こり混乱が生じている。 その多くは、君が代の「君」が指すものについての理解によって生じていると言える。 君が代の「君」って誰? 小・中学生あたりに聞いたら、半分が「天皇陛下」と答え、半分が「分からない」と答えるだろう。 まず、間違いなく言えることは正解は後者の「分からない」だということだ。 そもそも、君が代の歌詞は平安時代の詠み人知らずの詩である。 だから「君」が誰なのか、詠い手以外の誰も知っているはずがないのだ。 もともとこの「君が代」については、詠み人が自分を厚遇してくれた家に、その家系が永く安泰であるよう誓願した詩という説が根強い。 さらには恋人説、恩人説など、自分が大切に思う人の幸せを願った詩という説もある。 天皇説もないわけではないが、仮にそうであれば内容から御前披露された歌(端的にいえば「おべっか」)であろうから、貴族または皇族であるはずの詠み人の名が残っていないのはいかにも不自然というもっともな疑問がある。 だいたい、当時「神」であった天皇に対して「君が…」などという呼び方は畏れ多くてとても出来ない。 当時なら不敬として処罰ものだろう。そんなミスをすることはありえない。 要は「君=天皇」とすると文法的に整合性がとれないのだ。 このため、「君=天皇」説に多くの学識者は否定的である。 「君」は天皇以外であるのは文法からも明らかだらだ。 君が代は平安時代から貴族などの間で親しまれていた普通の「縁起のよい歌」だった。 明治になって政府の英国人顧問が日本に国歌がない・・・というより国歌という概念そのものがないことを知り、大山巌(西郷隆盛の従兄弟、後の元帥)に「いまや国歌のない先進国などない。日本の国際化のために国歌を作るべきだ」と進言した。 そこで大山巌らは、永く広く親しまれていた「君が代」に曲をつけて、即席国歌とした。 この時点で「君=天皇」などという解釈は一般的でなく、日本古来の雅歌に曲を付けたもの、という程度の(有り体に言えば簡単に作った)国歌であった。 そのような即席国歌であったが、君が代は日本国歌として、国内外の公式舞台で歌われ、世界的に認知度を広めていった。 特に猛々しい国歌の多いヨーロッパ人は、君が代に日本的な美しさを見いだし高く評価していた。 君が代をとりまく情勢が急変したのは満州事変以来の第二次世界大戦。 統帥権(軍部は天皇直属であって独立性があるという主張)をふりかざした軍部は「天皇」の威光を徹底的に利用した。 それから「君=天皇陛下」という解釈が強調されたのだが、いうまでもなく、これは政治意図をはらんだこじつけの域を出ない。 そして・・・太平洋大戦後。 内心の自由を保証した日本国憲法が成立した後も、いまだ「君とは『天皇』のことで間違いない!」と勝手に強弁しているのは、日教組や左翼・右翼団体である。 (日教組には古典の教師もいるだろうに、文法上おかしいことを無視するのか?) 日教組や思想団体が「君とは天皇陛下」「君が代は天皇陛下賛歌」と勝手に言っているのだ。 ウソだと思うなら、政府・・・国旗国歌法を所管する文部科学省に「君が代の『君』とは天皇陛下のことですか?」と聞いてみるといい。 文部科学省は「いいえ、君を天皇とするのも国家とするのも他のものとするのも、解釈はあくまで個人の自由に委ねられています。」と答えるだろう。 実際、国旗国歌法が施行された後の国会答弁では、そのようなやりとりがあった。 政府は「君は天皇あるいは日本国とする解釈が普及している」としながらも、「あくまでも『君』の解釈は内心の自由に委ねられる」と明言している。 だから、日本国民の一人一人が「『君』とはわたしの大切なるもの」と解釈して、君が代を歌ってよい。 それこそが憲法が保証する内心の自由というものである。 しかし、日教組が「君とは天皇のことだから、君が代斉唱は天皇賛美、ひいては民主政治の崩壊と軍国化につながる」と子供達に教えがっているとしたら、それこそ恣意的な解釈と主義主張の刷り込み。 日教組がやっていることこそが、子供達の内心の自由を束縛する違憲行為に他ならない。 さらに言えば、内心の自由とは 「君が代の君が天皇陛下で何が悪い」 「君が代は美しい歌だ」 「天皇陛下は上品だし温厚そうで好きだ」 と考えてもまったく自由ということだ。 内心の自由の前には、教師であっても子ども達に「天皇を敵視せよ、君が代を拒否せよ」などと束縛することはできない。 極端に言えば、内心の自由とは 「日本も中国共産党やナチ党の様な独裁制をとるべきだ」 「中国やナチスドイツのようにどんどん侵略戦争をすべき」 というような考えであっても弾圧してはいけないという考え方なのだ。 ここで現場の教師の皆さんにはっきり申し上げたい。 国歌斉唱が気にくわなければ不本意に面従腹背する必要はない。 ただちに教師を辞めればよい。 伴奏しない?起立しない?国歌斉唱を妨害する? 民主国家で法を変える術を知らず、テロまがいをやる輩に教師たる資格はない。 ただちに教壇から去るべきだ。 もう一度申し上げる。 教師がテロや反民主・反自由の模範を示してどうする!! 即刻現場から去れ!!そして子供たちを二度と汚すな!! 良識ある現場の教師の皆さんに心よりお願いしたい。 子供達に君が代を説明するときには 「『君』というのは天皇や日本でなくてもよいのです。 国が憲法が『君』はあなたの大切に思うものでよいと公式に認めています。 この歌は、あなたの大切なものが永く平安でありますようにという歌ですよ」 ときちんと教えて欲しい。 日本国憲法が堅守する思想・内心の自由のもとに高らかに歌いあげられる君が代。 「わが大切なるものよ どうか永く永く安泰なれ」という日本国歌。 「君」はなにも我が国や天皇陛下などでなくてよい。 家族や友人・恋人でもよい。 地球を「君」と想いながら恒久の安泰を歌ってもいいのだ。 これこそまさに平和憲法の国にふさわしい国歌だと私は思うが、いかがだろうか? -------------------------------- 日の丸――。最高だ。 こんなに美しい国旗、他にないよ。 どんなに苦しくても、膝が痛くても、日の丸をつけていると思うと頑張れる。 ほんと不思議。これまで何度もそんなことあったね。 ユニフォームの日の丸。スタンドで揺れる日の丸。 日の丸が目に入ると、こんなところで諦めていいのかって、また闘志が湧いてくるんだ。 オレ、日の丸背負ってなかったら、あんなに頑張れなかったよ。 ドーハの時、オレは三八歳。 あのクソ暑い中で、そんなオジサンが全試合、それもほとんどフル出場。 練習だって若いヤツらと同じメニューをこなしてたんだ。 自分のためだけだったら、とっくに辞めてたよ。 (ラモス瑠偉 元サッカー選手・監督、ブラジル出身、32歳で日本に帰化) -------------------------------- [水のメモ]カテゴリの最新記事
TBを頂き誠にありがとうございます。
この問題に対する、実に明快かつ要領を得たブログ内容に、心底敬服いたします。 さて、私にとっての「君」は・・・ 今一度すべての日本人が自問してみるのも必要な時代なのかもしれませんね。(2007/07/20 10:25:37 PM)
>無邪気な放浪詩人さん
お褒めの言葉恐縮です。 「美しい国」「愛国心」という言葉だけが一人歩きし、被害妄想に駆られた輩が国家や国旗に拒絶反応を示すという奇妙な時代です。 安部首相の肩を持つ気はありませんが、この国の愛すべき文化とは何なのかを、「君」を考えることを通して国民が自問する時代だと思います。 家庭で、教育の現場で、そして自分で考えたいものですね。(2007/07/21 02:18:32 AM)
「君が代の君とは」で検索しており、御HPに辿り着きました。貴殿解釈と事実?に相違があり、こちらに報告いたします。文部科学省のHPより抜粋しました。
「終戦後,日本国憲法が制定され,天皇の地位も戦前とは変わったことから,日本国憲法下においては,国歌君が代の「君」は,日本国及び日本国民統合の象徴であり,その地位が主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことを指しており,君が代は,日本国民の総意に基づき,天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のことであり,君が代の歌詞も,そうした我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解することが適当であると考え,かつ,君が代についてこのような理解は,今日広く各世代の理解を得られるものと考えておるところでございます。 (平成11年7月21日 衆議院内閣委員会 内閣総理大臣) ではメロンソーダを飲んで、「国家と愛」について考えてきます。(2007/08/24 07:30:39 AM)
常てんさん
お示しの発言は有名ですので、存じ上げております。 さて、その直後、プロレスラーで元国語教師という異例の経歴を持つ自民党・馳議員が君が代について質問をしたことをご存じでしょうか? 国旗及び国歌に関する特別委員会会(平成11年8月2日) 馳議員:「国民には、政府の解釈は解釈として、別に自分なりの解釈をする自由はあるのでしょうか。」 大森内閣法制局長官:「法律の規定の意味解釈につきましては、これは国民一般としては、政府がこういう意味である、あるいは国会審議においてこういう意味であるということが明らかにされましたところと異なる解釈をするということにつきましては、 なんらその由由を制約するものはございません。」 さらに翌8月6日、公明党・山下議員が同様の質問をしています。 これに対して野中国務大臣はこう回答しています。 野中国務大臣「生徒や児童一人一人が君が代の歌詞の意味などについてどのように受けとめていくかは、最終的には個々人の内心にかかわる事柄であろうと考えております。」 これらが最終的な政府見解で、私の記事の根拠です。 政府の結論はやはり「『君』は個人の自由解釈」なのです。 ですので、官庁職員も「解釈は個人の自由と答えるであろう」と書いたわけです。 暑い日が続きますね。 メロンソーダはさぞかし美味しいことでしょう。(2007/08/27 12:26:15 AM)
一青窈さんの「ハナミズキ」にも「君」が出てきますよね。
千代に八千代に…ではなく、百年続きますように…と。 君が代も、同じような感じ方で良いでのはないかと思います。 もちろん、「君=天皇」と感じる方の思想信条の自由を侵すものではありません。(2008/06/04 04:47:26 PM)
>えのまんさん
私もその通りだと思います。 一青窈が君が代をどの程度意識したかは分かりませんが、ともに愛の歌には代わりありません。 そもそも文法的に「君が」という用法は、相手が対等かせいぜい多少上格の人への使い方です。 少なくとも歌が詠まれた当時、現人神だった天皇を差すというのは「学術的に」大間違いというのは文学者の共通する指摘です。 (馳議員が審問で指摘済み) 教師の方々には、日教組主導の思想テロ(たとえば、伴奏や斉唱の拒否)ではなく、正確な情報と、正確な憲法を子供たちに教える義務があるはずです。 内心の自由に基づいて、「君」を家族、隣人、世界の友人として歌うことが明確に保証されてます。 このような愛の歌・君が代に匹敵する国家は、世界中のどこにもないのですから、平和を愛する日本として、誇っていい。 そんな素晴らしい国歌を、右左の人や日教組が歪めているのが(そして商業新聞がそれを煽っているのが)、紛れもない現実です。(2008/06/08 12:32:44 AM)
中高生は君が代の君、という意味は天皇陛下だけじゃあないと理解しておりますよ。もちろん、私が住んでいる所だけの「中高生」かもしれませんが。日教組の影響が小さい(と言われている)大阪府に住んでおりますので、他都道府県のことはあまり知らないのですけれど。
細かいことを申しますが「太平洋戦争」はGHQが占領時代に「大東亜戦争」を「太平洋戦争」と強制的に書き変えさせたものです。日本の公式呼称はは「大東亜戦争」となっております。あんまりにも素晴らしい文章でしたので、少し粗探ししてしまいました。お気に触れられましたら大変失礼いたしました。管理人様の広い御心でお許しくださいませ。 それでは。(2009/09/09 09:46:19 PM)
エスエミさん
まず、コメントとお褒めの言葉ありがとうございます。 >中高生は君が代の君、という意味は天皇陛下だけじゃあないと理解しておりますよ。 全国の中高生がそうであればいいと真剣に願います。 本文の趣旨は「君が代は天皇賛歌ではなく愛の歌である」です。 憲法に基づいて正しい教育が成されれば、日本は侵略戦争を行わず、愛の歌を国歌としていることになります。 ぜひ、国歌国旗法にかかわる記述もそのように改めて頂きたい。 >日本の公式呼称は「大東亜戦争」となっております。 ご指摘のとおりです。 戦前の法律で正式な呼称は大東亜戦争となっており、これを日本政府の決定で改めたものではありません。あくまでGHQの指導です。 私が太平洋戦争を使うのは便宜上、通称・・・といった程度の意識です。 他意も意図もありません。 ただ、日中戦争を指す「十五年戦争」という呼称は決して使いません。 建国後は戦争の実態がない時期が長く、明らかに十五年は虚偽だからです。 こんな酷い教育が教育現場で行われていることも知っておくべきかもしれません。 ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~m-isami/war/6prewar/09.htm 「15年戦争はどの段階でならとめることができたのか」 (大坂・和泉市立国府小学校) 正しい答え:日本の不拡大方針にも関わらず、中国側は民間人すら攻撃したのだからどのタイミングでも止められない。 こういう戦争の事実と常識 ・・・言いかえればリアルな戦争の宿命・・・ が分かっていないお花畑頭の偏向思想集団・日教組の教師が子供に手の込んだウソを刷り込んでいます。 私は自分で図書館に行き、教師の言っていることと、実際の歴史が違うことを早くから知っていたので毒されずにすみました。 しかし、いまネットサヨクと呼ばれる人間を見ていると、教育の名を借りた洗脳の恐ろしさに戦慄を覚えずにはいられません。。。 (2009/09/12 01:07:35 AM)
始めまして。
素晴らしい記事だったのでコメントさせていただきます。 個人の自由解釈はいいことだと思います。 ただ日本国に住む以上、 「君が代は歌うけど、日本なんかどうでも良い」という人がいなければの話ですが・・・。 ですので >「君」はなにも我が国まして天皇陛下などでなくてよい。 だけは同意できません。 政府見解は自由解釈だということですが、私個人としては「君」とは『大切な何かと日本国』を同時に指しているものだと考えています。(2009/09/13 10:56:32 AM)
junoさん
>素晴らしい記事だったのでコメントさせていただきます。 ありがとうございます。 >ただ日本国に住む以上、 >「君が代は歌うけど、日本なんかどうでも良い」という人がいなければの話ですが・・・。 私自身もそう思っています。 日本人なのに日本なんてどうでもいいなどと思って欲しくない。 内心の自由が保障されているのだから、日本人が心から日本に対する愛情を感じてこの歌を歌って欲しい。 ですから、特に何の公益も産まない自虐史観を正しい自省史観・客観史観に変え、特亜3国の干渉に毅然とする大切さを常々主張しております。 誇れる日本を子供達と世界に伝えたいと願うのは、日本人なら皆同じです。 (編狂的サヨク思想者は厳密な意味で日本人ではないので除く) (2009/09/14 12:21:22 AM) │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |