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■"脱・官僚依存"してニッポンは良くなる?
鳩山首相をはじめ民主党議員は「脱・官僚依存」または「脱官僚」という。 私は脱・官僚依存には大賛成だ。 ただ、民主党が言っているそれとは若干ニュアンスが違う。 そのことについて述べたい。 民間人や秘書あがりの政治家はもともと「素人」といっていい。 当然のごとくリアルな政治感覚がなかったり、交渉力がなかったり、政策立案能力がなかったり・・ 実際、純粋な議員立法など皆無に等しく、官僚補助立法か官僚立法がほとんどというのがまぎれもない現実だ。 想定質問を作って、大臣の答弁を用意するのも官僚、裏で根回しをするのも官僚。 議会や内閣の官僚依存度はかなり高い。 そんな現状なのに、鳩山民主党は「脱・官僚依存」という。 これは「官僚=悪」というシンプルな理論に転換され、マスゴミの歪曲報道に使われている。 そして、一部の民衆が、官僚の仕事や重要さも知らずにこれに賛意してしまっている。 しかし 「いまの官僚のどの点がどう悪いのか?」 「脱・官僚依存したら日本はどう良くなるのか?」 こういった当たり前の疑問に、まともに答えられる支持者や議員はどれほどいるだろう? 元はと言えば、官僚が議会に割り込んできたわけではない。 政治家が無能ゆえ、官僚の能力を必要としたから起こった。 そして、今現在、政治家や内閣は官僚に多くを依存している。 ■脱・官僚依存は官僚打倒ではなく官僚改革 常々思うのだが、いまの日本は、官僚さえいれば、首相をはじめ内閣はお飾りでもやっていける。 国会期間が今の半分でも、あとは官僚が予算やとりまとめをやってくれるだろう。 考えてもみてほしい。 こんなにコロコロと首相が替わる国がG7(やG8)に入っているのを、諸外国は不思議に思ってるに違いないだろう。 政治家がダメでも(つまり我々有権者が無能な政治家を立てても)、官僚が優秀だから日本の体裁を保てた。 その結果、我々は「政治家なんて誰がやっても一緒」などと脳天気なことが言えた。 国民は官僚の恩恵にあずかっている。これは認めざるをえないと思う。 官僚にべったり依存しておきながら、マスゴミに踊らされ、官僚が優遇されている!官僚腐敗がけしからん!という。 それは、一面的な見方に偏りすぎて、あまりにもわが国の現状を知らないのだろう。 ■脱・官僚依存のカギは無能議員の排除にあり もともと、鳩山首相のいう「脱・官僚依存」とは、官僚を排除しましょうという話ではない。 本来、有能な官僚を「国会で」使うのではなく「本業で」どう活用するかという話だ。 利権官僚の暗躍や、縦割り行政など有能すぎる(が誠実でない)官僚の弊害を無くすため、国会と官僚の距離を保つという話だった。 だが、官僚の過度な干渉をゆるす土壌は容易に変えられない。 民主党のやろうとしている官僚規制でなく、政治家の改革で対処しなければ根本解決にならない。 つまり、脱・官僚依存とは、官僚の補助なしではなにも分からない・できない無能な議員を国会から排除し、官僚のカンペがなければ答弁できない大臣を無くすというお話だ。 いま国会で問題なのは、官僚公害ではなく無能議員公害だ。 ここから手をつけずして、脱・官僚依存など、有害の方が大きくなるだけだろう。 ■「ヤメ官」のススメ とはいえ、政治家が急に有能になったり専門スキルが身に付くわけがない。 政策ブレインとして民間専門家を集める習慣も日本では未熟で、官僚がその代わりをしているのが現状。 こういった現実の前に"脱・官僚依存"と、非現実なお題目を何遍繰り返しても意味がない。 では、官僚を議員のブレインとすればいいのか? 官僚が省庁を退職し、専業ブレインになるのならばそれ有効だろう。 ただ、私は当の議員が元・官僚を嫌うと思う。彼らの方が有能だから。(笑) それよりもいい方法がある。 官僚は、実務のプロフェッショナルだ。 そこらの議員と比べるのが馬鹿らしいぐらい、国政に精通しているのは当然だ。 ・・・それを直視すれば、いい官僚はいい議員になる素質があるともいえる。 だから、私は憂国の官僚に「ヤメ官」を勧めたい。 たとえば、私は過去の記事『「キャバ嬢」の勲章を得た太田氏、「エリート」のレッテルを貼られた齋藤氏 』に取り上げた斉藤健氏(衆議院議員・自民)がヤメ官の典型かなと思う。 ■民主党トップ陣を沈黙させた恐るべき1年生議員 斉藤健氏は東大を卒業し経産省へ。 埼玉県・上田知事に特に乞われて副知事に。 その後H21年に千葉7区より衆議院初当選。 この人は、門外漢なのに歴史好きが昂じて「転落の歴史に何を見るか」という近代史検証の本を書いている。 私も読んだが、明治日本の「ジェネラリスト元老」が消滅し、代わって旧・日本軍が統帥権を振りかざして台頭。その軍が官僚化、硬直化した弊害を的確に指摘している。 斉藤健氏は官僚制度が腐敗すると、国家にとっていかに害悪かを知っているようだ。 斎藤健氏の公約の基本概念を一言でいうと「フェアな社会を実現する」という事だろう。 特に産・官・政の「既得権益打破」を強調している。 国益主義者で、外国人参政権にも反対の立場を取っている。 H21年当時、議員1年生の斉藤氏が「ヤメ官」の凄みを発揮したのが昨年末(H21.11)の国会。 民主党の鳩山、菅、岡田を向こうに、環境政策の根拠と展望のなさをズバズバ指摘し、首相や大臣連中を完封してしまった。 2009年11月4日予算委員会・齋藤健(自由民主党・改革クラブ) ↑是非、見て欲しい。 動画をみれない人に内容をかいつまむと下記のとおりだ。 質問に立った斉藤議員は「正論で質問するから、正論で答えて欲しい」といきなり先制。 2009年9月22日にCOP15で鳩山首相がぶち挙げたCO2削減25%という無謀な目標に 「こういう経済・雇用を悪化させる目標を、国民に説明せず、先に国際公約してしまったのは国民軽視だ。 国民生活に大きな影響を与える目標設定の経緯とその効果について説明せよ」 よくぞ言った。 これは私個人も是非知りたいとろこだ。 しかし・・・答弁に立った鳩山首相はいきなりしどろもどろ。 相手が逃げようとすると見た斉藤氏は 「総理、答弁も25%削減でお願いします」と一蹴。 鳩山首相はこれでTKO。退場。 慌てて助けに入った菅副総理、岡田外相も、斉藤氏の「正論」に防戦一方。 小沢(鋭)環境相、福島消費相に至っては、壇上に呼び出される前からすでに顔がこわばってしまっている。 向こう気の強い岡田外相が「自公連立政権で決めた設定値は間違っていた!まずそれを反省しろ!」(とても現大臣の発言とは思えない・・・岡田はまだ野党気分か?)と逆ギレしたのが政府与党サイド唯一の反撃。 ・・・かに見えたが、これも斉藤氏は「現政府は、その数字すら決めていない」とピシャリ。 これには岡田外相、完全に沈黙。 この答弁。ようするに政府首脳は 「雇用や経済への影響?くわしく検討していない」 「数字?・・・そんなものは決めてない」 「あれはCOP15でリーダシップを示したくてよく考えず公表した」 と露呈してしまった。 完敗に近い判定負けを喫した形だ。 私は国会中継でも注目を浴びている審議はネットでたまに見るが、政府与党のトップがここまで完膚無きまでにやられた様子は見た記憶がない。 鳩山首相、菅副首相、岡田外相、小沢(鋭)環境相、福島瑞穂消費者相がまとめて無知・無策を晒し、前代未聞と言っていい。 これを見て、本当に優秀な官僚が議員になると、ただの専業政治家なぞ相手にならない、とつくづく思った。 ■官僚は天下りではなく「天昇り」、ヤメ官を目指せ! 斉藤氏のように官僚のポテンシャルは、正しい方向に使えば立派な公益になる。 そこで、有能な官僚の皆さんに声を大にして言いたい。 憂国の官僚は「ヤメ官」して議員を目指せ! なにも国会だけがヤメ官の舞台ではない。 地方の首長でも、地方議員でもいい。 もう天下りはやめて、これからは「天昇り」だ。 ただし、もちろんその人が個人として「国益主義者」である場合に限る。 なぜなら、官僚が優秀だとしても、国益主義者でなければ族議員化するおそれがあるからだ。 不誠実な官僚が議員になったら、族議員となって狡猾に国富をかすめ取るだろう。 ヤメ官は諸刃の剣だ。切れるだけに使い方を誤ると大けがをする。 そこまで悪くなくても太田房江・元大阪府知事(経産省出身)のようにダメなヤメ官もたくさんいる。 ■有権者の「レベル」が日本の将来を決める ヤメ官(に限らず、政治家)を選ぶために大事なのは、第一に政治への関心、次に議員を見る目だろう。 いまとなっては信じがたいことだが、この斉藤氏は2006年4月の千葉7区補欠選で民主党推薦の"元キャバ嬢・補導歴アリ"で話題になった太田和美氏(当時26歳)に負けている。 原因は自民党内部の支援体制のまずさなど沢山あるが、一番大きかったのは、我々有権者が「いい政治家を選ぼう」という真剣味に欠けていたことではなかったか。 その太田氏は、当選してから「ガソリン値下げ隊」に参加した程度。 学業で人を差別する訳ではないが 偏差値40以下だった太田氏は勉学する気がなかったか、頭が悪かったかだ。 偏差値70以上の斉藤氏は目標があって努力したか、頭が良かったかだ。 当時の公約にも違いがあった。 肩書きもあって堅物に見える斉藤氏は、あくまで地に足のついた現実路線で国民生活の向上を切々と訴えた。 若く美人で父から「会社を」貰っていた太田氏は、「負け組ゼロの社会」というお花畑公約を華やかに訴えた。 それでも太田氏が勝ったのだから、有権者は「果たして、自分たちのための政治家を選んだのか?」と猛省すべきだろう。 あなたの生活のこれからは「官僚だか議員だか、だれか偉い人が決めてくれること」ではなくて、有権者である自分が決めることだ。 戦後日本の教育は、国民を穏和にしたが、一種の無気力にもした。 誰かに追従することが、楽で、安全で、間違いがないと考える人が増えた。 私の嫌いなジャーナリスト・森達也は「思考停止の時代」と言っていたが、この点には賛同する。 ヤメ官に限らず候補者の質を見極め、彼らを自分たちのこれからのために上手に使えるかどうかは、結局、有権者のレベル・・・民度によって決まる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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