カテゴリ:水のメモ
私がいつも通る道に野良猫が多い一帯がある。
野良猫が多いのは訳があって「餌やり」オバさんがいるのだ。 数日前の話である。 私がいつものように道を通っていると、餌やりオバさんが野良猫に餌をあげていた。 餌やりオバさんは、空家?前の道路で、イチゴパック五皿を並べて、五匹の猫に魚の切り身らしき餌を与えていた。 おばさんは猫たちに何か語りかけながら、携帯で写真を撮っていた。 猫たちが並んで餌を食べている様子を携帯電話で撮影しているようだ。 私は呆れながらも、公道で餌やりする非常識を注意しようか?迷っていた。 その時、オバさんが(写真を撮るのに猫の並びかたが気に入らなかったらしい)一匹の猫を無理やりずらそうと手を伸ばした。 猫に手が触れた瞬間! 触られた野良猫は「グワッ!!」と怒りの声を出すと同時におばさんの手を引っかき、手のひらにガブッと噛みついた。 当たり前だ。 野良猫の・・・それも、野に生まれ、野に育った野良F1以降のガチ野良の・・・食事の邪魔をすれば反撃されるのは当然だ。 野生動物は、食事中など無防備な時に攻撃されるのを最も恐れるものだ。常識である。 そんな野良猫の正当防衛に対し、オバさんは「ギャー」と声を上げて携帯電話を落とし、中腰の格好のまま後ろに転んだ。 あたふたして、自分の手から血が流れているのを見た餌やりオバさんは、なんと!自分に噛みついた野良猫を蹴飛ばした!? 野良猫はのろまなキックをかわしたが、つま先がかすって逃げていった。 憎き猫に逃げられた餌やりオバさんはどうしたか? 私は目を疑った! なんと!?オバさんは怒りさめやらず、ギャーギャーわめきながら、他の猫を蹴飛ばしはじめたのだ!! 猫はオバさんの攻撃をかわし、散り散りになって逃げだした。 餌やりオバさんの暴挙に、私は「ちょっと!」と思わず怒鳴っていた。 ハッと気づいたおばさんは 「なによっ!○◇※☆×××よ!!」(・・・聞き取れない。恐らく猫が悪いと言っている)と叫びながら逃げるように去っていった。 先ほどの猫は、遠巻きに見ている。 一人になった私は、後に残されたイチゴパックと餌を片付けようとした。 すると、様子を見ていたらしい、道路を挟んで向いの家のおじいさんが恐る恐る出てきた。 おじいさんは 「注意してくれてありがとうねぇ ワタシ、年寄りだから なに言っても聞いてくれなくて… あの人怖いから…」 おじいさんは、一度は餌やりオバさんに止めてくれるようお願いしたが、その後、様々な嫌がらせや暴言を浴びせかけられ、何も言えなくなっていたそうだ。 散らかった餌を片付けながら、おじいさんは 「猫は困るけど憎くはない。 それより、あまりに可哀想でならない」 と言った。 この地域、野良猫が多いといっても、猫がのどかに昼寝している心温まる風景ではない。 野良猫が集まり、餌や異性をめぐって喧嘩して、毎晩のように阿鼻叫喚の騒ぎ。 激しい喧嘩をしたのだろう。中には片目が潰れている猫もいる。 餌によって猫が密集するため、感染症がまん延し、成猫には腹水がたまり餓鬼のような姿のものがいる。 生まれて間もない子猫は、猫カゼだろうか?目やにや鼻水で目鼻がふさがっている。 そして、バタバタと死んでゆく。。。 春になると週に一度や二度は子猫の死骸を見かける。 タイヤに牽かれたのであろう、潰れて原型を留めいない遺骸。 感染症で死んだのか、やせ細った遺骸。 その遺骸をカラス(猫への置き餌をつつきに来る)がつつき、無残な姿に変わり果てている。 肉片になった遺骸を、近所の人々がうんざりした顔でビニール袋に入れて片づける。 そんな痛ましい光景を何度か目にした。 おじいさんによると、この地域の地獄絵図は、十年程前に餌やりオバさんが引っ越してきてから始まったらしい。 もちろん、自治会、保健所、(まともな)動物愛護団体が「餌やりをやめてくれ」「やるならちゃんと飼ってくれ」と頼んだが、オバさんは全く聞き入れなかった。 中でも、この惨状を改善しようとした動物愛護団体の涙ぐましい努力は数年にわたったらしい。 最初は餌やりオバさんを優しく説得していた愛護団体だったが 「私は可哀想な猫にご飯を食べさせている良い人。 でも、猫が死ぬのは自然の摂理だから関係ない」 という、驚異的に無責任で不思議な(そして餌やり人にはありふれた)強弁に、ついに説得を諦めた。 本当の自然状態ならば、猫はこんなに集まらないし、増えないし、感染症や事故で死んだりもしない。 (山猫や野猫を考えれば、容易に分かることだろう) おそらく、愛護団体はおばさんを「まともじゃない人」と認定したのだろう。 餌やりオバさんの説得をあきらめた愛護団体は、自治会と協力し、捕獲器で野良猫を保護し、不妊手術をして放つ(TNR活動)など、不幸な命が増えるのを必死にくい止めようとした。 だが、オバさんが次から次へ新たな野良猫を呼び寄せるので、効果はあがらず、ついには手術代で破たん寸前になった。 愛護の人は、餌やりオバさんの無責任に屈し、保護活動を断念した。 自治会の会合に出席した愛護の人は、野良猫対策を打ち切る無念を語った後 「こういった無責任餌やりこそ動物虐待だ! 本当なら、虐待として行政が処罰すべきだ!」 と憤然と言い放ったという。 その通り。全くの正論だ。 だが、おじいさんは役所の人の苦労も知っている。 「役所の人もねぇ、何べんも来て、あの人と話してくれたんです。 いろいろ頑張ってくれたんですけどねぇ・・・ でも、法律がないから取り締まれないんだそうです。 ああいう人はね、牢屋に入れないと絶対やめないでしょう? 今はもう役所には来てもらわないんです・・・どうせダメだから」 私も過去に記事を書いたので、ある程度知っている。 おじいさんの言うとおりだと思う。 厳しい罰則がなければ、(総じて社会適合性が欠落している)無責任餌やり人はやりたい放題だ。 野良猫餌やりが招く「無関心による猫虐待」は、法改正が必要だし、国がやらないのであれば、自治体が条例で取り締まるしかない。 実際、いくつかの自治体は「無責任餌やり禁止条例」を作ったが、自称・動物愛護家から、猛烈な反発を受けている。 だが、本当の動物愛護家にとって、「無責任餌やり」は不幸な命を増やし、その責任はとらない ・・・つまり、猫の保護は愛護家の自己負担で行わざるを得ない・・・ という、憎むべき行為なのだから、「無責任餌やり禁止条例」に、一見もっともらしい論調で反対しているのは、愛護の皮を被ったニセ愛護=虐待者だと見るべきだろう。 ニセ愛護の判別の方法は簡単だ。 彼らは、野良猫に餌は与えるが、よくよく突っ込んで話を聞いてみると、猫の命や、周辺住民の迷惑には「関心がない」。 本当の愛護家は、そのような無責任な連中とは全く違う。 野良猫を保護して不妊手術をし、混合ワクチンも打つ。 (猫のいくつかのウイルス感染症はほぼ不治の病だ) 餌を与えるのは最小限。カラスやゴキブリが寄ってこないよう残りはすぐに片づける。 近所の家から苦情が来れば、糞尿の掃除にも行く。 それでも土地所有者から「ここで餌やりをするのは困る」と言われたら場所を移す。 自分たちの意志で野良猫を管理し保護するのだから、野良猫について責任があり、ご近所には迷惑をかけないという明確な自覚を持っている。 要するに「まとも」で「常識がある」のが本当の愛護家だ。 残念ながら、日本は"無責任餌やり将棋名人"・加藤一二三氏らのような「自称・愛護家、実態・猫増やし虐待者」がほとんどで、本物はほとんどいないようだが・・・ これに対し、ニセ愛護は非常識・無責任の見本のような輩だ。 「餌やりオバさん」はニセ愛護ですらない。 ただの道楽餌やり人で、自分は猫を助けていると陶酔している変人だ。 結果、不幸に生きるために生まれさせられるのは猫。 ゴミ(放置エサ)や、猫のみならずカラスや虫の被害を受けるのは住民。 対応を迫られるのは真面目な行政と本物の愛護家。 無責任餌やり人だけが愉しみ、満足し、なんら被害を受けない。 こんなのは間違っている! 住民と愛護家と行政、そして野良猫はお互いにいがみ合っているかもしれない。 だが、その4者の本当の敵は無責任餌やりだ。 無責任餌やりは、本質的に海外の児童売春と同じである。 極貧国に行き、現地の少女に、日本円にすれば千円にも満たないお金を与え、肉体関係を強要する。 生きるため、屈辱に応じざるを得ない少女に、奴らはこう言う。 「お金ないと飢え死にしてしまうよ。 なぁに、深く考えなければ気持ちの良いことをするだけだ」 そして自分が満足したら、さっさと帰国する。 自分の行為で少女が妊娠しようが、赤ちゃんが死のうが関知しない。 少女やその赤ちゃんの命に責任を持つつもりなど最初からないのだ。 ただ、自分の悦しみのために、お金を与えたにすぎないのだ。 ・・・最も憎むべき人道的罪悪の一つだ。 猫は本来、優れた・・・恐ろしいハンターだ。 (猫を飼ったことのある人は皆ご存じのはずだ) 特に生粋のガチ野良は怖い。 悪業オヤジが、貧しさゆえ金に従うしかない少女たちを見下しているよう、餌やりオバさんは自分の与えた餌を食べる野良猫を見下していたのだろう。 餌やりオバさんの受難は、これまで数代にわたって、オバさんの道楽にされ、見殺しにされてきた野良猫の誇りある一太刀に思えた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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