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前回のブログを更新したのが、2月2日の夕方でした。 この日は、チョコレートを刻んだのを少し食べたり、夕食には、大好きなイカサシを刻んでネギと叩いたのを数口。 そして日本酒が飲みたいと、小さなお猪口に2口。 毎日泊まりに来る5年生の孫がお休みの挨拶を言いに行くと、うなずいていました。 その翌日の 3日は、午前中訪問看護師がきたのですが、主人は熱が出てきて朝から殆ど食べず、ウトウトしている状態。午後には訪問医も来てくれました。 飲み物も飲もうとしません。 その日は、節分。 例年は「オニ」になって、孫から豆をぶつけられて、はしゃぎながら逃げ惑う「ジジオニ」でしたが、今年はベッドの中。 夜、豆を持ってきた孫たちに、「オニは~ソト!!」という大きな声をかけられても、昨日と違い、今日はあまり反応してくれず。 「ご飯食べないの?」「ちっとも?」心配そうな孫たち。 呼吸も、時々休みがちで、泊まりに来てくれている娘と2人、眠り続ける主人に、代わる代わる手足のマッサージしていました。 夜10時過ぎ頃から、手先と足先の色が悪くなってきて(チアノーゼ)、マッサージすると、また血行が回復する状態。 もう長くはない状態に来てしまっている事を覚悟しました。 看護師と医師には連絡し、ずっと手足を交互にさすり続けました。 呼んだり頬をさすると呼吸が回復する状態は、夜中ずっと続き、とうとう4日(金曜日)の明け方に、呼吸が止まりました。 眠り続けたまま、ふっと呼吸が止まり、呼んでもほっぺをさすっても、戻ってきませんでした。 閉じたまぶたをを開けてみたら、瞳孔が散大していました。 看護師さんに連絡し、来ていただいた後、昼間も診ていただいていた医師にきて貰い死亡を確認したのが2月4日、朝午前6時でした。 私と娘で、主人の体を綺麗にして、お寺や葬儀社に連絡。 それからは、息子や娘が色々手伝ってくれて、翌日(土曜)にはお通夜、日曜日には葬儀が出来ました。 喪主は私で、施主は息子。 親戚への連絡や葬儀社との打ち合わせなど、子供たちが全部やってくれて、とても頼りになりました。 娘はこまごまとした雑用に気付き、率先してやってくれ、本当に助けられました。 密を避けるため、お通夜や葬儀の会場以外(ロビー)に、別の焼香台を設け、随時焼香してお帰りいただくようにしました。 ロビーには、主人の作品や経歴をまとめて展示するメモリアルコーナーを設置しました。 遺影は、孫たちと一緒に撮った、「とびきり笑顔」の、写真にしました。 訪れた人たちが、写真を見て、異口同音に、こんな笑顔は見たことが無いと驚いていました。 「へぇ~こんな優しい顔をするんだねぇ~!」って。 それもそう、 妻や子供たち、知り合いにはなかなか見せてくれない、「孫限定笑顔」です。 こんな時期なのに、主人の美術仲間、ゴルフ友達、昔の教え子など、沢山の人が訪れて下さいました。 車椅子で駆けつけて下さった恩師や親せき、40年~50年以上前の教え子たち。 葬儀の打ち合わせ手配などを息子に任せ、お通夜が始まるまで、私は1一人一人ご挨拶に専念できました。 何十年ぶりにお会いする方々もいて、1人1人挨拶しながら、胸が一杯でした。 とてもいい葬儀でした。 今は、自宅に、家族用のメモリアルコーナーを設けてお参りしています。 毎日、孫たちもお参りに来てくれています。 ところで、 3日の夜から明け方まで、主人の手を握りさすり続けていましたが、その時、初めて気づいたのは主人の手の大きさと指の太さです。 右手だけがとても大きく、1本ずつ握る指が太いのに、左手の指は意外なほど華奢でした。 50年以上連れ添って、今頃気づくなんてね。 今まで、ちゃんと手を握っていなかったみたいです(笑) 一晩で、50年分以上の手を握りました。 主人の希望通り、ずっと自宅にいたい。 その時が来たら無理な延命処置をせず、静かに逝かせてくれという願いはかないましたが・・。 1年かかって覚悟を決めてきた家族にも、あまりに急な変化でした。 10日前には車いすでトイレにも行けたのに・・。
みじめな姿を見せたくない、プライドの高い主人らしい最後だったと思います。 昨日(10日)の朝、7時半という早い時間に初七日のお経をあげて貰いました。 金曜日でしたが、学校や仕事に行く前に、子供たちも参列。 朝日が差し込む明るい部屋で、主人は微笑んでいます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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