戦地訪問 宮津湾対空戦
台北日本人学校時代の友人と丹波篠山の教頭先生宅を訪問しました。教頭先生は中国にて終戦の調停をした北支那方面軍の陸軍中将小林浅二郎氏の親族だそうです。驚きました。先生のお宅には台湾の歴史資料館で展示してある小林浅二郎中将の書がありました。 日本百景・天橋立。沖縄特攻作戦の後の7月30日、ここ宮津湾にて駆逐艦雪風と初霜は二百機の米軍機の猛攻を受け奮戦します。狭い湾内では船は大きく揺れて祖父は艦内の壁を歩いて移動したそうです。実際に目の当たりにした湾内はとても狭く操艦が大変だったことを痛感します。惜しくも初霜は敵機雷により触雷し陸に乗り上げ、雪風は戦死者を出してしまいます。激闘の宮津湾対空戦を生き残った雪風は伊根港の岸壁につけて、木で艦をカモフラージュし、陸戦の準備をしていました。 祖父は伊根のこのあたりに滞在して自転車に乗って雪風に出勤していたそうです。そして8月15日に雪風甲板にて玉音放送を拝聴。祖父はここで終戦を迎えました。感慨無量なるものがあったそうです。教頭先生、たかし君、同級生の七子さん、今回の旅のチャンスをいただいて感謝します!!