エリザベス女王からの黒革の財布☆
★ツイッターも書いたことですが、補足も含めてここにも書き記しておきます。1975年、エリザベス女王とフィリップス殿下を乗せた近鉄特急の『お召列車』が京都から運転された時のお話です。初日の降車駅だった五十鈴川で突然、女王から運転士に「特別車両まで来るように」とお声がかかったのです。もちろん運転士だけでなく、近鉄関係者も「何事か!?」と緊張。直立不動の運転士に、エリザベス女王はねぎらいの言葉と『EIIR』と金文字が入っている黒革の財布を手渡したのです。エリザベス女王御一行は伊勢で一泊され、翌日のお召列車は鳥羽から名古屋まで無事に運行され、その帰りを担当した運転士にも女王からのプレゼントはがあったのですが・・・実は初日の京都からのお召列車は途中の大和八木で交代しているので、そこまで担当した運転士にはなかったのです。「同じ苦労しているのに一人だけ欠けては気の毒」と近鉄本社がシブる外務省にかけあい、その運転士の分も後にイギリスの王室から贈られてきたというチョットいいお話でした。大和八木から五十鈴川まで担当されたK運転士は同じ職場の大先輩でもあったのですが、エリザベス女王からの財布を「家宝」として大切に保管されていたのですが、お召列車を運転した直後に体調も崩されたこともあり運転士のまま定年を迎えました。催促して(笑)財布をもらったN運転士は後に、自分の上司となった時期もありましたが、それなりに出世コースを歩んだ感じです。この話、私の入社式の当日(1980年)教習所所長を兼任していた当時の運輸課長のG氏(お召列車を仕切っていた方)から聞かされたのが最初ですが、もう一つの総谷トンネルでの衝突事故とともに語り継がなきゃいけないという変な使命感が自分にはあります。※お召列車に使われた新スナックカーの前面の表示は「臨時」で側面は白ベタでした。特別車両の車番12356の御座所付近は当然、防弾ガラス仕様。写真は社史より。さて自分は優秀な運転士でなかったので、お召列車を運転するとかそんな縁はありません。でも、陛下が乗車されたお召列車の直前を走る列車を担当する機会はありました。「絶対、遅らすなよ!」と上司からプレッシャーをかけられつつも、駅はもちろん、全ての踏切やトンネルに警備の人員を配置され、運転指令からの「○○駅、進路開通良し」を聞きながらの運転は最高に気持ちのいいものでした。以下、雑感。昔は昼間、前照灯を切ってましたが、お召列車だけは例外でした。よくトンネルを通過後、前照灯を切るのを忘れていれば「お前はお召か!?」と同僚から冷やかされたものです。夜間でも、折り返し駅で切るのを忘れ、上司に「お前はホタルか!」と怒られた思い出も。(車掌さんに気づいて欲しかった)運転中、前部のホロを止めていた金具が外れて、ビローンなってしまい「お前は象さんか!」になったことも。現在はどうなのかは知りませんが、自分の現役時代はお召列車の前をダミーの「先行列車」を運転させており、撮り鉄(当時、そんな言葉はなかったが)さんが慌てたり・・・まあこんな逸話はキリがないのですが、また機会があれば淡い記憶を拙い文字として残したいと思います。鮮魚列車のことはこちらに。