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奥村さんの話を受けて、今日も本の話から。 競馬ライター・須田鷹雄さんの最近の著書いい日、旅打ち。を、読み終わりました。 本の後半の、旅打ち実践編とも言える実際のレース場への旅打ち指南も、まだ見ぬレース場への興味をそそる楽しい記述。しかしこの本のキモは、この本のサブタイトルに掲げられると同時に、本の前半部分にみっちりと綴られた、「公営ギャンブル行脚の文化史」に関する記述でしょう。 いわゆる「旅打ち」に、歴史と言える文化としての歩みと、それを支えた豪傑たちがいたという事実は、これまで余り意識もせず、また知る機会もなかったことでした。私自身、学生時代から「遠征」と称して、それなりの頻度で頻繁に遠くの競馬場に足を運んだりしておりましたから、文化を創ってきた先人たちの「取り組み」、時には「ドタバタ」のエピソードにも、敬意と親近感を覚えずにはいられません。 公営競技、とりわけ競馬を楽しむ文化としての歴史が、単にそれが「ギャンブルだから」ということでは決してないということにも、大いに勇気づけられるところ。いまこれだけ競馬というジャンルが元気を失いつつあるなか、客側が物事を楽しもうというパワーの源泉は幅広く、また限りがないということを、改めて知らせてくれました。 「旅打ち」という習慣がある方は勿論、その言葉自体「何それ」という方であっても、競馬を始め公営競技ファンの皆さんなら、必ず楽しんで読んでいただける1冊として、お勧めしたいと思います。
この本を読み、私自身の旅打ちの歴史はどこから始まったのだろうとふと思い立ち、記憶をさかのぼってみました。 学生時代に競馬を本格的に見始めて、あるときには、大学の競馬サークルの先輩や仲間と、あるときには一人であちこちへ。当時から私も大の競馬好きでしたから、まさに 「競馬があるなら、遠くまで行ける」 と。そんなノリで出かけておりました。
土曜日、東京で競馬を全部見たあと、夜に都内某所に集合。そこからレンタカーで繰り出して、皆で京都競馬場に向かうというものです。 この旅には一つのルールがあります。そのルールとは、高速道路などの有料道路を一切通らないというもの。
勿論時間はかかります。箱根の山を上り下りする序盤戦から、駿河遠江にかけて町を一つひとつクリアしていく中盤戦。そして鈴鹿の山を越えて畿内に入る旅の終盤と、交代での運転とはいえとても疲れる長丁場。それでも、京都競馬場の駐車場に車を止めたときの感動と、秋の冷たい朝のすがすがしさは、今思うとその後同じ場所に着いたときにはもう味わうことが出来ないものです。
もう一つの記憶は、一人で初めて出かけた北海道。 作戦は、週末前の夜の間に海を渡り、朝から函館で競馬を見ようというもの。 最終近くの新幹線と特急電車を乗り継いで、青森からは確か深夜0時発の連絡船。幼い頃から東京に生まれ住んでいる身としては、深夜でも人でごった返す港の待合室の風景から、新鮮さに溢れていて仕方がありません。 陸を離れ、海へ出て行く連絡船。しばらく経ってデッキに出てみると、目の前に広がるのは漆黒の闇夜。本当に何も見えない暗闇というのは、それまでに全く見たことのない「風景」でした。 競馬の方も確か楽しく(馬券の成績は?ですが)、週末を過ごしたあとはそのまま札幌に移動し、当時まだ平地の競馬が行われていた岩見沢の場外馬券を楽しんだ記憶があります。いや…平地の場外は別の場所のやつで、ばんえいの岩見沢を現地に見に行ったのかな……?? この辺になると、もう記憶が曖昧。
そんな風に、競馬を頼りにしながら、「人生の旅」の幅と範囲もどんどん広がっていく。だから競馬ってやめられなくなります。
さあ、次はどこに行きましょうか?
最終更新日
2009年11月25日 00時39分07秒
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