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2015年06月04日
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カテゴリ:横川典視
 木曜担当のよこてんです。

 さて今回は、もちろんこの話題から。1日に行われた『岩手ダービーダイヤモンドカップ』、そのレースを10馬身差で優勝したロールボヌールのお話です。

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★岩手ダービーダイヤモンドカップ優勝 ロールボヌール

 当初12頭あった登録馬が枠順確定してみれば7頭立てに。さらに一頭出走取消となって6頭立てという少頭数になった今年のダイヤモンドカップ。ネットではいろいろな言われようをした頭数なのですが、結局の所ロールボヌールが“明らかにモノが違う、違いすぎる馬”だと、他陣営から見られているからこうなった・・・と言う他はないですよね。

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 勝ちタイム2分8秒5は、当日の馬場傾向がやや時計速めだった事を考慮しても例年のダイヤモンドカップの水準以上でしょうし、実質単走だった点を踏まえればもっと短縮できる余地はあったはずです。今の馬場でなら、2分7秒台を出せる手応えがあれば上々でしょう。

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 レース後、次走は一條記念みちのく大賞典に挑戦したいという意向が陣営から発表されました。例え相手が古馬の一線級であっても、それでも勝ち負けできるくらいでなければ・・・という意気込みからのローテーション選択だとの事。

 正直、それはいくらロールボヌールであってもなかなか高いハードルではないかと思います。
 2012年にその年のダイヤモンドカップ勝馬アスペクトが挑戦して結果は10着。ただそれは、同馬が当時水沢コースが大の苦手だったことを考慮すれば参考外とみなしていいのかも。
 それはそれとしても、岩手競馬で3歳馬が古馬重賞を制した“時期”は、地元馬としては2009年9月の青藍賞をマヨノエンゼルが勝ったのが“最速”、他地区馬も含めれば、1996年8月のクラスターカップを当時の4歳馬トキオクラフティーが制したのが“最速”。今の時期の牡牝混合の古馬重賞で3歳馬が勝ち負けに至るのは、結構難しいように思います。
 相手関係的にも、ナムラタイタンこそ秋まで休養、みちのく大賞典には登場しないでしょうが、今やナムラタイタンとも肩を並べようかというコミュニティはじめモズやケイジータイタンといった馬たちは、決して与し易い相手ではないはずです。

 やや否定的な書き方になりましたが、あくまで過去の結果から見ればそう言わざるを得ないという事であって、それを跳ね返す力があれば話は変わってきます。ロールボヌールはそれだけの力を秘めた馬だとも思います。

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 ちなみに一條記念みちのく大賞典の競走条件、4歳以上57kgの負担重量に対して3歳馬は55kg。この時期の2kg差はそれほど有利な条件ではないですよね。
 全国的にも5月くらいから競走条件が「3歳以上」になる重賞が増えますが、3歳馬の負担重量が古馬-2kgの設定が多いように見えます。
 岩手ではシアンモア記念から4歳上と3歳馬の負担重量設定が出てきます。一部の芝重賞・短距離重賞(と、グレード別定のマーキュリーC・クラスターC)を除けば3歳馬は2kg減が普通です。
 5月21日に門別で行われた牝馬重賞「ヒダカソウカップ」は3歳馬のルージュロワイヤルが勝ちましたが、この時の斤量設定が古馬A級57kgに対し3歳馬52kgでした。そこまでとは言いませんが、7月、8月くらいまでは3歳馬は3~4kg軽くしてもいいんじゃないかという気がします。

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★トーホクライデン

 ダイヤモンドカップ2着だったトーホクライデン。これが自身三度目の重賞2着となりました。管理する櫻田浩樹調教師がよく「“最強の2着馬”だと思わない?」と冗談を言ったり、「生まれた時代が悪かったな~」とぼやいていたりするのですが、実際キャリア16戦で掲示板を外したのは芝のはまなす賞の一度だけ。ダートの重賞では5戦2着3回3着1回4着1回ですから、そうぼやきたくなる気持ちも分かります。
 しかし、初の2000mでもちゃんとこの馬のレースをしましたし、やはり力はあるなと再確認。血統面でも、父も母も岩手競馬と相性が良い血筋。いずれタイトルを手にする日も来るんじゃないでしょうか。

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★トーホクライデンの母アキノクロス(左)JRA未勝利→岩手で3勝。写真は05年10月1日に勝った時のもの

 残念だったのがシーキングザライト。2周目の4角で故障発生、競走中止。重賞で二戦連続3着に食い込んで、まさにこれからという時期のアクシデントになりました。
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 もうひとつ残念な話題。菊地康朗騎手が免許を返上、引退しました。地全協のデータベースではまだ現役になっていますが、すでに調整ルームなんかも引き払っているし、2週間騎乗がないし、なんとなくそのままになるよりは書いてしまおうと思います。

 菊地康朗騎手は2003年10月19日のデビュー。初勝利は同年12月22日となっていますが、実はその前に一度「1着」になったものの降着になるという“幻の初勝利”なエピソードがありました。その時の話を菊地康朗騎手に振ると「あの時は号泣しましたよ」と苦笑いしていたものです。

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★デビュー翌日の菊地騎手

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★初勝利翌日の菊地騎手。当時はゴール写真とか撮ってなかったのでこんなタイミングの写真

 2008年に初特別勝ち。2012年にはトーホクキングでみちのく大賞典を勝ち、初重賞タイトルを手にしました。

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★初特別は菊地騎手が「パンチさん」と呼んでいたというスピードパンチでV

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★2012年みちのく大賞典

 今年5月3日の6Rがラスト勝利、5月25日の8Rで6着になったのがラスト騎乗・・・という事になりました。

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★ラスト勝利になった5月3日の6R

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★ラスト騎乗、5月25日の8R

 黙っている限りメチャイケメン(笑)。あまりのイケメンぶりに、まだ減量騎手の頃に雑誌「テシオ」の表紙に起用した事もありました。

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★上が元の写真、下が表紙にデザインされたもの

 何も言わないでいなくなってしまうのはヤスらしいといえばらしいけどさ・・・。
 馬運車に書かれた「トーホクキング」の名を見る度にヤスの事を思い出すのかな。





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最終更新日  2015年06月05日 00時35分23秒



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