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2017年02月20日
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カテゴリ:大川 充夫

ミツオーです。そうなんですよ、ツイッターというものを遅まきながら始めてしまったのです。竹之上さんにトピックとして取り上げていただくとは…。恐縮です。



さて、先日、うつのみや競馬晩年の馬について書いてみました(ファイトエルフなど)。よこてんさんには、当時のお写真など提供していただいて、反応していただいたことにも、モノを見せていただけたことにも感激しています。ありがとうございます!



そして、さらに。



当時、宇都宮競馬場へ通い、写真を数多く撮影されていた方に問い合わせたところ、ご紹介した馬たちの写真を保存されていることが判明。こころよく提供していただきました。



写真を提供してくださった小林美砂子さま、ご協力くださった小林康光さま、ありがとうございました!



以下、先日ご紹介した馬たち。



ファイトエルフ。
ご紹介したとおり、宇都宮競馬最終日の05年3月14日のレース「キングオブスパーク賞」では、鞍上の藤江渉騎手がご覧のガッツポーズ。



引き上げてくるときにも、こうして大きく手をあげ、ファンの声援に応えていたのですねえ。
この晴れやかな笑顔。…この日をもって所属場が廃止となる、ということを知ってこの表情を見ると、ただの「晴れやかな」顔とも思えなくなるから不思議です。



モエレスキャン。
鞍上は、宇都宮競馬に君臨した5名の2000勝ジョッキーのうちの一人、鈴木正騎手。



鈴木正騎手は、宇都宮競馬廃止後、栃木県内の競走馬育成牧場に就職。
2011年のフェブラリーステークス直前、訪れた川島正行調教師の依頼を受け、フリオーソの追い切りに騎乗したと話してくれました。
現在は茨城県内の牧場に勤務されています。



ヤマヨダイナミック。
JRA遠征時のもの。鞍上は、こちらも2000勝ジョッキーの早川順一騎手。




早川騎手は、宇都宮競馬廃止後、完全に競馬界から離れたと聞いています。



同じくJRA遠征時のヤマヨダイナミック。
この写真では鞍上は大木義一騎手。



大木騎手も競馬界を離れた組です。が、一時は境町トレーニングセンター内でスタッフとして働くなど、競馬界に戻った時期も。



堀江富雄調教師の姿(右)も。

ヤマヨダイナミックは、先日もご紹介したとおり、各地を転戦したのち、水沢で最後のレースを迎えました。



今回は、同じ岩手がらみというわけではないですが、ここでまた1頭。オリエントボスという馬をご紹介します。



調べてみたら、宇都宮で3走しかしていないのですが、宇都宮最晩年に、ヤマヨダイナミック的な期待を、ファンや関係者にもたせてくれた馬として、オリエントボスっていたなあと思い出したのです。



オリエントボスは、ファイトエルフやヤマヨダイナミックのひとつ下の世代。つまり、フジエスミリオーネ3歳のときの2歳馬で、これはもうホントのホントの宇都宮最終世代ということになります。




こうして考えてみると、3月で廃止になりますよっていう競馬場に、それでも2歳馬が入厩して競走をしてたんですなあ。

あらためてその事実を思うだけで、なんだか泣けてくる。



オリエントボスはですね、デビュー戦からしてちょっとセンセーショナルでした。



オリエントボスのデビューは04年9月。




この夏、7月だったか8月だったかくわしい日付は覚えていないんですが、とにかく9月より前の段階では「この年度をもって宇都宮競馬は廃止」と決まっていました。ええと、正確には議会で「廃止ってことで…」という議決が夏にあり、その後秋になって首長=この場合栃木県知事による正式決断がなされ、05年3月14日を最終日とするというふうに決まるわけなんですが。



つまり、夏の段階で廃止が「決まっていた」というのは、県議会での議決があったということをさします。





オリエントボスのデビュー戦は、うつのみや競馬廃止決定後、なのです。


廃止になるんだよねえ、ということが関係者の間でも受け止められていながらも、そうは言っても日々の仕事はせにゃならんというので厩舎関係者(…実況アナウンサも)は仕事を淡々とこなしていました。馬を鍛え、レースに出していたわけです。



そんな中、



「今度デビューさせる2歳で、強いのがいるんだよ!」



と言っていたのが、平石正己調教師。馬はマルハチクラスター(現在、この馬の写真も探していただいています)。
マルハチクラスターは、デビュー前に厩舎へお邪魔して見てみたところ、2歳馬とは思えないほど雄大な馬格で漆黒の馬体。どこまで本気かわかりませんが、平石師は、



「この馬はダービーに出るんだからね」



とおっしゃっていました。
…北関東ダービー、来年(05年)はないんですけど。と思ったわたくし、おそらく怪訝な顔をしたんだろうと思うのですが、平石師はそんなわたしを見て、



「日本ダービーだよ!」



と言い放ったのでした。

わたくしこの世界に入って20年になろうとしていますが、いまだに馬を見る目がありません。
何かの拍子に「スゴくいい!!」と思う馬はありますが、だいたいにおいて目の前にいる馬がいいんだか悪いんだか、ハッキリ言ってよくわかりません。



そんなわたしですが、目の前に見たマルハチクラスターは、日本ダービーに出られそうかどうかはともかく、確かに走りそうに見えました。
何というか、繰り返すようですが、黒々とした雄大な馬体がいかにも強そう。バランスは、どちらかというと芝生の中距離以上に向きそうな感じを受けました。

厩舎をまわってみると、マルハチクラスターの評判は高く、「アレと一緒に走るんじゃ…」というので、2歳馬のデビュー時期をずらそうかと考える陣営も複数ありました。


そんな中、真っ向から「ウチのほうが強い!」と言ってのけたのが、オリエントボスを管理する田畑勝男調教師でした。



(田畑勝男師とオリエントボス)

田畑勝男調教師は、騎手時代に東京ダービーを制したこともある方で、わたしがお話しさせていただくようになったころ、つまり宇都宮競馬晩年は、競馬場にほど近い敷地に、季節になるとたくさんの実を落とす栗の木が名物の厩舎を構えておられました。



所属の山口竜一騎手(現・ホッカイドウ競馬調教師)が、田畑調教師について、



「ウチの師匠は、ケイコの時計に厳しいから。何秒でまわって来い、って細かく指定するからね。
若いころはできなかったけど、毎日それをやってるから、おかげで身体が時計を覚えたよ」



と語ってくれたことがあります。



お話をうかがうと豪放磊落なイメージのあった田畑師ですが、緻密な方でもあったのです。
その田畑師が、「あの馬と一緒にやるのはちょっと…」と敬遠されつつあった平石厩舎のマルハチクラスターを相手に、自信をもって送り出したのが、オリエントボスでした。



04年9月19日。
うつのみや競馬第5レースにおこなわれたJRA認定競走新馬戦で、オリエントボスとマルハチクラスターはともにデビューしました。



結果。



1着 マルハチクラスター
同着 オリエントボス


3着以下 大差(大差とは2秒以上の差を言います。…このときの着差:3秒6)




同着~!?



当時のうつのみや競馬において、JRA認定新馬戦というのは、重賞競走に匹敵するか、もしかしたらそれ以上に重要なレースでした。
何しろデビュー戦の2歳馬が走るわけですから、ホントのホントの意味で一生に一度。
しかも競馬場は来春閉鎖が決まっている。


関係者のいろんな思いが集まる中、注目されているそのレースで、デビュー戦の2歳馬が、極めて高いレベルでの同着。



「こんなこと、あるんだな」


というのが、わたしの素直な感想でした。

前評判の高かったマルハチクラスターも、陣営の怪気炎が先行したようにも思えたオリエントボスも、ともによく走った。

そして、結果は「認定競走での」同着。



いい。いいよねえ。どっちも認定もらえるんだから。



廃止までのカウントダウンに入った競馬場で、ともすれば暗くなりがちな日々。
2頭の素質馬が2頭ながらに認定の権利を手にしたこの時、心の底から、



「どっちも負けなくてホントによかった」



と思ったのを覚えています。



マルハチクラスターはもちろん、この段階でオリエントボスはうつのみや競馬の期待を引き受ける存在になったのでした。



オリエントボスはその後、宇都宮で2戦していずれも勝ち、3戦3勝でJRAのレースに参戦し、…僅差の3着と健闘しました。低評価を覆してのものでした。



このオリエントボス3着の知らせは04年12月のことですが、時期が時期だけに、宇都宮の関係者やファンにとっては大きな喜びとなりました。…そして、できることならば、栃木所属の間にさらなる遠征と、勝利をモノにしてほしかったところではあるのですが。



もしも。
あのあと宇都宮競馬が続いていたならば。


オリエントボスは、栃木の期待を背負って中央へ遠征し、もしかしたらかなりの成績を残したかもしれません。


が、うつのみや競馬は05年3月で廃止。
オリエントボスは、宇都宮3戦3勝・中山で3着のあと、大井へ移籍しました。



(大井所属時のオリエントボス。鞍上には高崎から移籍したばかりの矢野貴之騎手)

大井で2戦した後、岩手へ移籍したオリエントボスは、いくらかのデコボコはあったものの上位クラスで走り続け、06年の栗駒賞で重賞タイトルを手にしています。
その06年には、クラスターカップやマイルチャンピオンシップ南部杯へも出走し、岩手で存在感をしめしたようです。



オリエントボスの引退は、09年5月。
最後はB級のレースに出走していたようです。



マルハチクラスターは、新馬戦で認定の権利をとった直後、デビュー2戦目でJRAへ遠征。芝1700メートル戦で6着のあと、さらに宇都宮で2戦し、北関東でのキャリアを終えました。



のち、船橋へ移籍。
日本ダービーに出走したりは…しませんでしたが、宇都宮時代のパートナー・野澤憲彦騎手と主にコンビを組み、南関東A級にまで出世しました。



マルハチクラスターの引退は、09年2月。
宇都宮廃止の4年後、オリエントボス引退の3か月前のことでした。


おどろきの同着デビューをはたしたライバル2頭は、ふたたび同一レースに出走することはありませんでしたが、ほぼ時を同じくして競走生活を終えたのです。






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最終更新日  2017年02月20日 11時54分09秒
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