マンガ日本史「ひめゆり学徒隊」。
明治時代に設立された「沖縄師範学校女子部」と、 「沖縄県立高等女学校」は、
大正に同じ敷地内に校舎が置かれ、
敷地内の図書館や体育館、寄宿舎、プールなど、
恵まれた教育環境で、両校生徒は、互いに助け合いながら、
時間を共有して過ごしていました。
この2つの学校の校友会誌「姫百合」にちなんで、
「ひめゆり学園」と呼ばれていたそうです。
やがて太平洋戦争が深まると、
「ひめゆり学園」でも、防空演習や、行軍訓練が行われ、
さらに、校舎の一部は兵舎となり、
生徒は、食料の自給自足のための農作業や、
陣地を築く作業に動員されていきます。
1945(昭和20)年3月、
沖縄陸軍病院にひめゆり学徒隊として派遣されます。
当初は、看護活動が主でしたが、
次第に負傷兵が増加し、
敵の目をかいくぐって水汲みをするような危険な仕事や、
遺体埋葬などの辛い仕事も昼夜を通して行われました。
そして敗戦色が濃厚となった6月18日、
突如解散命令が出されました。
この時、そのうちの10人(教師の平良松四郎と9名の生徒)は荒崎海岸で集団自決したのは、有名な話です。
未来があった若い命を無残に散らした戦争。
2度とおこしてはならないですね。