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カテゴリ:グルメ
学生時代を盛岡で過ごしたわけですが、当然の如く「じゃじゃ麺」たらふく食らっていたわけで、週に6食とかいう中毒じみた状態だったわけです。
そんなじゃじゃ麺ラブな私がこんなニュースを目にしました。 城遺構再現か 「昭和の街」か 2010年10月31日 新沼正博・盛岡市都市整備部長 颯田淳・東大通商業振興会長 ■対立解けず 見えぬ道筋 盛岡城の遺構の再現か、戦後から続くレトロな飲食店街の継続か。市が打ち出した盛岡市内丸の桜山神社参道地区の再整備計画を巡って盛岡市と地元住民が対立している問題について、2日にわたって特集します。まずは、経緯を追った上で、市の幹部と地元代表に、それぞれの考えを聞きました。(牛尾梓、朝倉義統) 桜山神社参道地区は、1937(昭和12)年に国から史跡指定された南部藩・盛岡城の跡地の一角。県庁の東南側に位置し、かつての盛岡城の内堀に3方を囲まれている。 現在の飲食店街などは、戦後、引き揚げ者がバラック店舗を開いたのが始まりとされ、「桜山」の愛称で親しまれてきた。市の09年の調査では、飲食店などが約100店あり、7世帯が住んでいる。 面積は約5900平方メートルで、土地の所有形態は3種類ある。市が50%、桜山神社が26%を所有し、残りの24%を複数の個人が所有している。 市の所有地は、1年ごとの更新で貸借されている。桜山神社の所有地は30年更新で、借りている約30人が協同組合を作り賃貸契約されている。その更新時期が4年後に迫っている。 59年に住民から建て替え申請が出された際、「公園事業実施時には協力をする」という条件で認められ、現在の姿になった。史跡に指定されているため、その後、住民たちは建物の建て替えや改修は制限されている。「公園事業実施時に……」の条件は、今も市が土地を貸す契約を結ぶ時に盛り込んでいる。 昨年10月、市は市長公約でもある「お城を中心としたまちづくり計画」を策定。測量調査やパブリックコメントを実施し、「情緒と和風感のある町並みや、歴史文化施設との連携による観光まちづくりを目指す」とし、昨年12月から、保存管理計画づくりに踏み出した。 市は盛岡城郭を明確にするため桜山地区にあった土塁をつくり、勘定所を復元することを計画に盛り込んだ。正確には「勘定所風建物」で、史跡案内や土産売り場などにするという。 整備が決まれば、桜山地区の一部の店舗に移転を求めていくことになる。 市は今年度末に計画を策定するとしていたが、住民らが反発、白紙撤回を求めて5万人を目標に署名を集めていることから、今後、協議会などの形で一般地権者や地元の商店主の代表者と話し合いの場を持ちたいとしている。勘定所風建物については、市は「それに固執する理由はないし、どうするのかをそういう場で決めたい」としている。 市は事業の完成年度や事業費の規模は明らかにしていない。 ■「史跡」位置づけから溝…盛岡・桜山再整備問題/市幹部と地元代表に考え聞く 〈盛岡市都市整備部長〉新沼正博さん(59)制約前提の議論を提案 ――住民らは提案が突然だったと感じていますが 制約や課題を理解した上で、こういう街づくりを将来した方がいいのではないかと提案しました。必ずこれで行くというわけではさらさらなく、制約や課題を理解してもらった上で、今後の街づくりのあり方や将来像をみなさんで議論しましょうという風に説明したつもりです。 勘定所風建物や移転のことなどで議論が沸騰したので、いろいろな場で市の考えを説明していきたい。 ――なぜ土塁の復元や勘定所風建物が出てきたのでしょう 土塁は史跡として保存復元、管理できるものとして提案しました。勘定所があったことは事実で、ある程度の間取りはわかる。(老朽化した)建物がずっとそのままでいいのかということと、商業機能とにぎわい機能は評価するものがあるので、新たな施設の中に(現在の商店街を)取り込むことも考えられます。 それで老朽化問題や土地の貸借の問題も解決できます。かなりの部分は従来できなかった改築などができる基準を示すことと併せて、新たな街づくりと考えました。 ――新たな建物を造る必要性はあるのでしょうか 示しているのはたたき台。将来、どんな街にしたいのかを史跡の保存管理と併せて方向付けし、街づくりをすることで、従来、建物の改築など現状変更が認められなかったのが、ある程度認められるようになります。市が独断で考えているのではなく、文化庁や専門家のアドバイスを受けてやっています。 ――勘定所風建物などの案はいつごろできましたか 今年度。地区には測量調査の時、課題や街づくりを求められている部分であることは話しました。ただ、なにがしかの建物を建ててという話はまだできていなかったので、説明がなかったといわれればそれまでです。 ―― 一から考え直すことも可能でしょうか 勘定所風建物にこだわるわけではありません。市の提案は提案として、地区の人たちがどういう風に考えているかは、ぜひ、議論したい。 その結果、今のままでいいというわけにはいきません。制約された条件でどうするかということ。現在のままの機能を続けてくださいということを考えた場合、そこは明確にしないといけません。文化財保護法や都市計画法の制約もあります。 ――史跡や公園の解除を求める声もありますが 史跡も公園も解除は難しい。法律の中でと言うと、しゃくし定規に聞こえるかも知れないが、それが法の制約。みなさんの思いと法の中で、どういう風にそれぞれの立場を踏まえ、ソフトランディングするかということだと思います。そのために相談、協議の場で対応しなければならない。協議では、住んでいる方を第一に大切に考えていきたいと思います。 東大通商業振興会長 颯田淳会長(49)法律問題なら解除要望 ――市から整備計画案を聞いて、どう思いましたか 「寝耳に水」状態でした。13日の事前説明会までは、勘定所風建物や土塁、堀などを復元する予定という説明は、市から一切ありませんでした。まずは地元の人たちに相談してほしかった。最初からボタンをかけ違えている気がします。 ――昨年6月と今年2月、市は地元説明会を開いています その時は、「何とかこの商店街を残したい。だから測量に協力してほしい」という話でした。1956年に、桜山を公園緑地化するという都市計画が決定されて、私たちは、ずっと脅威に感じていた。だから「建て替えとか、一定の改装を許可する方向で検討している」と説明会で言われた時は、非常に歓迎したし、喜びました。公園緑地化をやめてくれるのだと思っていました。 ――新しい「将来像」が浮上して、懸念されることは 桜山で新しく事業を始めようという方が、こういう計画があれば出店を躊躇(ちゅう・ちょ)する。段々、商店街が衰退していくのではないかと恐れています。また、戦後から2代、3代と続いているコミュニティ自体がバラバラになってしまうのでは、と危惧(き・ぐ)しています。 ――市とは、一緒に中心市街地を盛り上げてきました フラワーバスケット設置事業や「ゆかたの町もりおか」など盛岡市の事業に協力してやってきました。今回の問題も、お互いに協力して、良いまちづくりになるような形で進めてほしかった。地元の意見も聞かずに、こういう進め方はないです。 ――整備計画について望むことは何でしょう 他県には、昭和の町を再現して観光誘致している所もある。でも、桜山はそのままが残っている。居酒屋評論家の太田和彦さんも、「日本一の居酒屋横丁」と評しています。桜山は、十分に盛岡市の観光資源になり得ます。この商店街の形で、未来永劫(えい・ごう)続けていけるような進め方であれば、大いに協力したい。一端、かけ違えたボタンを全部外してほしい。 ――「文化財保護法」という壁があります 国や法律の問題ならば、史跡の解除なども求めていきたい。法律は人がつくったもの。合わないのであれば、見直していく必要があると思います。 ――19日から始めた署名活動は進んでいますか 市内の商店街を回ったり、大きな団体へ賛同を要請したりしています。京都や東京、大阪からも署名が届いています。現在、4万5千人分の署名用紙を配り終えました。街頭でも集める予定で、目標は5万人。11月末で1回目の集約をして、市長と議長あてに請願を出す予定です。外部の人が、桜山の魅力をたくさん話してくれる。やっぱり守っていかなければ、と再認識しています。 asahi.comより引用 このニュースが即ちじゃじゃ麺の消滅となるわけではないでしょうが、やはり白龍の狭い店内でじゃじゃ麺を食し、何もいわずに皿で卵を溶いて「ちーたん」をズズズとすするのが醍醐味なんじゃないかとこんな時間に思っていたりするわけです。 一度食べたらクセになる!元祖「白龍」の盛岡じゃじゃ麺 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年11月03日 04時17分28秒
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