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こっちに移転しています。こちらは墓場です。 http://igofujieda.seesaa.net/
囲碁をやっていると意味の意味がよくわかります。 おそらく囲碁の最善手順というものが解明されたとしても、その手順自身は無味乾燥なものではないかと想像します。あらゆるすべての変化を見通してしまったら、その手順でしかありえないというだけで、味も素っ気もありません。ほかの手ではダメだからここに打つという繰り返しなわけですからね。 碁の変化はほとんど無限ですし、それに比べれば人間の力は限定的なわけで、ちっとも真実には到達できません。しらみつぶしに演算するということなら、すでに家庭用のPCでも人間を大きく凌駕しているのですから、碁の無限大の変化の前では人知は無力にすら感じます。しかし一方で、人間の知性は(囲碁に関しては)今だに人工知能に勝っています。単純な演算能力は劣っていても、考え方で差をつけているわけで、そこが人間の知性のすごさです。 例えば「厚み」という言葉があります。石の強弱を表わす概念ですが、これは人間が囲碁ができてから勝手に考え出したもので、実際に石が厚かったり薄かったりするということはではないのです。人間が碁盤に向かって「石の状態に強弱の差があると考えてみよう」と思った瞬間から石が厚くなったり薄くなったりするのです。そこから「厚みを生かす戦術」「厚みを殺す戦術」といったふうにいろいろな囲碁理論が生まれます。こうしてただの石にいろいろな意味づけをし、それを元に思考を広げていることで、人間はっ限られた思考能力で豊かな結果を得ます。 検討で「その手は意味がない」などと生徒を叱ることがあるのですが、ここでいう「意味」は私にとってはあたかも囲碁そのものが始めから内蔵しているような気がするものですが、実は私自身が囲碁の変化の中から見出しているにすぎません。意味があると感じている人にとっては自明のことで「当たり前だ」と思うのですが、案外当たり前ではないかもしれないのです。 「意味」というものの重要な点は、「始めから確定的な意味というものが存在するわけではなく、自分の考え方次第で意味が生じたり生じなかったりする。また考え方ひとつで生じる意味の内容も変わってくる」ということではないでしょうか。自分の中で確信の持てる「意味」も、あくまでも自分の考えの基づいてのもので普遍的な「意味」ではないことが盲点になります。意味ってかなり不完全で相対的なものでもあると思います。 「生きる意味が分からない」というよくある悩みがありますが、意味(答え)が始めからあるわけではないのです。この悩みには「自分の考えた人生の意味を正しいこと誰かに保証してもらいたい」という裏面がありますが、そんな絶対的な意味なんてはなっから存在しないので、それを求めても苦しいだけではないでしょうか。 碁盤に向かってるとき、自分の限られた知性では所詮最善手などは分からず苦しい思いをします。答えが出ないと知って考えているのだからある意味ばからしい作業です。しかし、わからないながらも自分なりの意味を込めた着手を下して、それなりの結果が出た時は非常に充実感があります。それから類推するに、生きることとかもわからないながらも懸命に生きてみると充実感を味わえるのかもしれないと思ったりします。 ともかく、無限の世界に対してどう意味を見出してゆくかが人間の知性の真価の問われるところであり、人生を豊かにしてくれるものではないかと思います。また自分の見出した意味を過信しないことが大切とも思います。 最後に余談ですが、囲碁というゲームの面白さは、ほとんど無限という変化があるために、そこで見出せる意味もほとんど無限だということにあるのではないでしょうか。考えて悩みぬく楽しみがあります。また自分の思った良い手が相手に打破されることはしょっちゅうなので、独善に陥らず謙虚な気持ちにさせてくれるところも良い点でしょうか。
基本的には普及活動の問題で、とにかくもっともっと普及させなければならない。特にこどもと女性に対するアプローチに力を入れるべき。 また日本棋院の普及活動の重要課題は、普及活動そのものよりも、普及活動を支える人材の育成にもっと注目し力を注ぐべき。(教える人を育てるのが棋院の仕事)旧来の支部活動の世話役や学校の囲碁部顧問などは高齢化が進んでおり、既に壊滅状態のところもある。比較的状況のよいところでも10年も持たないところがほとんどというのが私見。このままでは大都市圏でしか組織的継続的普及活動ができなくなるのではと懸念している。 プロ棋士に関して問題なのは2点。 1)国内棋戦は長い伝統と世界最高峰の賞金を誇るが、そのトップを争う日本(所属)棋士は世界戦ではあまり活躍できず、その権威は疑わざるを得ない。世界戦での勝ち星ランキング(中韓棋士ばかり)と、世界賞金ランキング(上位のほとんどは日本棋士)との間にはねじれが生じており、それをどう説明するのか、あるいは解消してゆくのか? 2)一度入段すればトーナメントプロとして引退を強要されることがないため、長年大幅な負け越しを続けているような棋士も存在する。負けても一定の手合料は入ることから、もはや勝つ意欲もないのに収入のために参加しているのではと疑いたくなるような事例もある。勝利を目指して腕を磨き、ファンを楽しませるような碁を打つことがトーナメントプロの使命であるとするならば、このような状態は健全ではない。 1は深刻で、どう解決してゆくかは大問題だと思う。 もはやファンも世界戦重視で、日本棋士よりも李昌鎬や李世ドル、古力など世界のトップ棋士に憧れや尊敬の念を抱いている人も多いのではないだろうか。最近入段した某若手プロは張栩と井山をのぞき国内棋士の棋譜は一切並べないそうだ。曰く弱い棋士の棋譜を並べても仕方がない、と。これは極端な例だが、国際棋戦での日本トップ棋士の負けっぷりを見れば、憧れることができないといわれても仕方がないものがあるのものがある。最近いろいろなところで見る、「国内棋戦を海外棋士にオープンにしろ」という議論はここから出てくるのだろう。 しかし、二日制七番勝負は、日本の伝統や文化に根付いたものであるのである。最高の宿、最高の温泉、最高の料理に最高の景色。一般の人間が味わうことのできないような最高の空間が準備されそこで対局を行うというのは、棋士と棋譜たいする尊敬の念を抱いた日本独自の文化である。国際棋戦は良くも悪くも「試合」でしかない。七番勝負はそれ以上のものとして、大げさに言えば歴史的イベントとして演出されている。二日制のタイトル戦は日本人独特な優雅な囲碁の楽しみ方だといえる。 だから、ただ碁が強いからといって日本の囲碁文化を理解しない外国人に二日制タイトル戦を食い荒らされるのはどうかと思う。外国棋士が参加するにしても、七番勝負の伝統や文化を理解し、それに憧れて参加するというのが好ましい。 個人的には、「世界戦を複数回優賞経験のある棋士は、日本棋院棋への転籍を認める」というような形でのオープン化がよいのではないかと思っている。(絶対に実現しなさそうだが)日本に在住し、国内タイトル戦を重視のスケージュール(例えば名人戦を戦う棋士は秋開始のLG杯は出られないなど)で過ごすことが条件となる。随分高飛車な態度だが、日本の七番勝負は非常に値打ちのあるものだと信じているので、これくらいのことがあってもよいと思う。敢えて日本に移り住んでまで参加したいとう意気込みがあるのなら、七番勝負を移し核は充分にあると思う。李昌鎬や常コウが日本国内で碁を打つようになれば、日本の棋士も学ぶところは多いはずである。 2に関しては、トーナメントプロは150名から200名ほどの規模が適正ではないかと思う。人数はともかく、実力じゃない棋士はトーナメントに参加できなくても仕方がない。トーナメントプロとレッスンプロの線を明確にすべきだろう。幾つか思いつくことを箇条書きにすると・・・ ・もちろんシード枠(150~200)から漏れた棋士に再挑戦のチャンスは残す。シード枠下位者を含めた入れ替え戦を定期的に行う。入れ替え戦は、棋譜の水準はさほどではないかもしれないが、生々しい勝負の世界の厳しさを見られるのでコンテンツとしては面白く、工業としても成り立つかもしれない。 ・新入段の棋士のレベルが常に高いとは限らないので、必用ならば入段10年目までシード権を与えるなどの救済措置は要検討。もちろん院生レベルがあがり、新入段が実力でシードを獲得できるバリバリの実力を持つことが理想。 ・もしくは上記入れ替え戦を勝ち抜くことを入段条件にしてしまうのも一法。シード権を取れるから入段というのはわかりやすい。実力者が揃っているときは多く入段させられるという利点もある。 ・参加棋士をしぼることで、賞金の高額化などが行われることになるだろうが、すべての余剰金を賞金に振り分けるのではなく幾分かは契約金として棋院本体に入れる。それらの資金でレッスンの仕事を用意してシード落ちの棋士にも一定の収入は約束されるようなシステムを作ることが必須。シード落ちした瞬間路頭に迷うというのでは棋士という職業そのものが魅力がなくなってしまうので最低限度の保障は必要だろう。
棋聖戦が終わってしまった。第6局は依田先生が勝ってもおかしくない碁だったと思いますが、最後競り負け。6局で終わってしまいちと残念です。 十段戦が黄金カードなので、引き続きそちらを楽しむことにしましょう。 BCカード杯は32強戦で井山八段が韓国の温四段を破って16強に進出。棋譜を見ましたが、序盤で厚くなって攻め倒した碁で、内容も素晴らしかったのではと思います。次は趙漢乗九段と安初段の勝者と。実績では趙漢乗ですが、韓国の初段は韓尚勲の例を見てもわかるとおり強いですからわかりません。 BCカードはオープン化(アマチュアでも勝ち抜けば出られる)と本戦のみの賞金制度(ベスト64からはじめて賞金が出る)が導入された棋戦です。本線に出られた日本棋士は、国シード枠の2名(趙治、井山)のみ。一方で韓国の研究生5名が勝ち抜いており、その現実を踏まえると日本は非常に厳しいですね。(もっとも今回は急な開催で日本からの予選参加者が僅か8名だったということもありますが) 日本と中韓の戦力比は、関西棋院と日本棋院の戦力比よりも大きそうですね。囲碁人口の桁が違ってしまっていてどうにもならない感じがします。
棋譜並べがはかどりません。というよりもはかどらせる気がないのか。 まだ100局以上残っています。 上巻がやっと終わりそう。日本の打碁集にしては誤植が多すぎですが。シロクロ反転とかありえん。 日本囲碁年鑑2008も道半ば。 今のところツン読状態。 5局くらい並べましたが面白い。そのうち方円書庫で紹介します。
今日はこども教室で久々プレステの詰碁ソフトを使ってみました。 まずは手本をと私が解いていたのですが、この問題でちょっと手が止まってしまいました。一応読みきって正解できましたが、どきどきしました。一合マスは難しいですね。
今日、静岡市の労政会館で行われました。 この大会は「こども十傑戦」(28名参加)で、現在では唯一の小中高3世代合同の棋戦です。全国大会でも実績のある寛君、洸矢君、恵斗君が欠席(残念)だったので「県内最強」を争うという意味にはならなかったですが、その次を狙う選手にとっての登竜門ではあるでしょう。結果は・・・ 優勝 水品(高) 準優勝諏訪部(中) 3位 小林(小) 4位 佐藤(中) 5位 斉藤(中) 6位 荒井(中) 7位 望月(高) 8位 田中(中) 9位 平林(小) 10位 高橋(高) ということになりました。水品君はうれしい初優勝。去年、同じく初優勝した永田君もその後アマ棋戦などでも活躍しましたから、水品君もこれをきっかけにブレークするかもしれません。 全然関係ないことですが、7位の望月君(塾長門下)は休み時間に棋譜をつけたり、師匠(塾長)に講評してもらったりと、囲碁に真摯に取り組んでいる様子が窺えてて好感を持ちました。こども十傑戦に出場しているこたちは県下でも強豪ということになるわけですが、それでもやはり勝ってうれしい、負けて悔しいといいつつ、それだけで終わってしまう場合がほとんどのようです。
お客さんから現代囲碁大系を頂いたのをきっかけに、コンプリートを目指して粛々と棋譜並べに取り組んでいます。 現在1~9巻を制覇。まだ30冊以上ありますが。 最近はこども教室の生徒も挑戦しだし、昨日現在こんな状態。 和平 「小林光一」途中 流星 「武宮正樹」、「藤沢秀行(上)」途中 陽 「大竹英雄(上)」「大竹英雄(下)」途中 颯一郎「大平修三」途中 流星と陽の兄弟は来る回数が異常に多い(昨日まで7回/11営業日)上に、午前午後の2部練の場合もあるので、ものすごいペースで進んでいます。成果が出ると信じたい・・・ 1~9巻は「明治大正名棋家集一、二」「昭和名棋士集一、二」「岩本薫」「橋本宇太郎(上下)」「木谷實(上下)」という感じ。今は「前田陳爾 宮下秀洋」(店)と「関山利一 半田道玄」(家)に取り組んでいます。 ここまで並べてきて認識を改めたのは関西のレベルの高さ。橋本宇太郎はもちろん、木谷實も初代本因坊関山利一も関西出身。久保松勝喜代が三弟子(村島、橋本、木谷)を関西にいても限界があると東京に送り込んだ話は有名ですが、ちょっとあとの高川秀格なんかもみんな東京に出て東京の棋士になってしまうわけです。(関西棋院を創設した橋本宇太郎にしたって戦前は東京在住)人材的に見れば関西にプロ組織が早く整備されていれば、むしろ東京よりも厚い時代があったのではと思います。
高校の東海大会が、ほぼ望んだ形の結末でほっとひと息。 で、次は第6回秋季こども囲碁大会。5月の少年少女以来、久々のこども大会です。今回はみな調子は上々なので昇級してくれるのではないかと期待していますが・・・この大会は高校生も出場できるので、何人か秘密兵器を出走予定。そちらも楽しみです。 │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |