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テーマ:囲碁全般(745)
カテゴリ:【碁】棋士評伝
第2回は秀和です。
秀和は幕末の棋士。早熟の天才で文政年間に本因坊丈和(名人)に入門。同年の道和(丈和の実子。改名が多く葛野忠左衛門、水谷順策、井上秀徹、井上因碩、節山などと同一人物)とともに跡目候補として腕を競いました。四段までは同時昇進し、そこで道和が眼病を患い脱落。そこからは着実に跡目への道を独走します。一方の道和は悲劇的な末路をたどりますが、それはまた別の機会に。 名人丈和は、名人碁所へ就くさいの強引な手法(幻庵因碩との対局を避ける一方、林(舟橋)元美の水戸系人脈から政治工作をした)が祟って引退に追い込まれます。引退に当って碁所として最後に出した免状が秀策の初段免状だったというのは有名な話です。 さて丈和を引退すれば、井上因碩(幻庵)が空位の名人の座を狙うのは自明なことなので、本因坊家としてはそれを阻まねばなりません。当主の丈策は上手(七段)ではあったけれど差ほど特別な棋士ではありません。そこで実際の争碁は跡目に秀和に託されました。当時秀和は弱冠20歳、七段。 幻庵(準名人=八段)との争碁はさまざまな駆け引きの中、実質3度行なわれています。 この勝負の焦点は幻庵が秀和の先を破れるかどうかにありました。幻庵(八段)と秀和(七段)の手合い割りは1段差ですから先先先(3局1セットで下手が2回黒を持てる)です。幻庵としては、これに勝ち越さなくては九段=名人の実力があることを証明できません。3局行なわれた争碁はいずれも秀和の先でした。 結論から言えば、秀和は先で幻庵を完封します。幻庵の豪快な打ち回しと強烈なヨリツキに対して、鉄壁の防御で凌ぎきります。野球に例えるなら、森西武ライオンズのような、つまらないが隙のない完璧な強さです。秀策の先番もすばらしいけど、秀和がこのとき見せた「負けない先番」も江戸碁の一つの結論といってもいいぐらいのものです。 ちょっと出かけるので更新はまた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005/04/04 02:36:57 PM
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