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第1話はこちら うさぎ探偵! PROF.2 臭い物には乾杯(2) 02 曲垣俊太郎は死んでいた。 突然、何の前触れもなく倒れたのである。 萌子も最初は冗談かと思った。 だが付き人達が慌てふためき、心臓の止まった彼に人工呼吸を施すのを見ていると、どうやら本当らしいという実感が沸いてきた。 もしこれが冗談でないなら、普通は食中毒を疑うところだ。なぜなら食事中に倒れたのだから。 だが3分後に到着した救急隊の人達は、テキパキと被害者を担架に乗せながら、落ち着いた声で通信機にこう言ったのである。 「アルカロイド中毒の可能性あり。警察に通報してください」 と。 「毒を盛られたかもしれないんだってさ」 紋次郎が耳元でそう教えてくれた。だが教えられずとも、そうじゃないかと何となく雰囲気で分かった。 *** 刑事が到着したのはわずか数分後で、萌子達にしてみれば身構える暇もなかった。 何人か部下を従えて入ってきたのは、独特の雰囲気のある私服刑事。着崩れたスーツがやけに印象深く、チンピラヤクザのような鋭く突き刺す視線が少し怖かった。 彼は不躾に背を丸めたまま、 「お初にお目にかかります。神奈川県警、捜査課の清里と申します。すいませんが、あっしも急に行けと言われて、何が何だか分かりません。お話を伺う代わりに、自己紹介を1人ずつお願いします。まずは店長さんから」 なんだかやけにいい加減な物言いをした。 「あ、はい。店長は私です。坂尾修平といいます」 店長はやや小太りの男性で、はきはきした物言いをする人だった。だが口数は少ないようで、名前だけ言って黙ってしまった。 「失礼を承知で訊きますが、お客さんが倒れなすったことに心当たりは? たとえば、食中毒とか。メニューが随分と珍妙ですが、食べられる物を出してたんです?」 「当然です。うちは話題作りのためにおかしな料理を出していますが、焼きそばに青い食紅を入れたり、変な飾り付けにしてるだけです。変な物を食べさせたりはしていません」 そりゃそうだろう。曲がりなりにも客から金を取っているのだ。 にも関わらずこの女は。 「え? なんだー。そうか」 愛菜はすげーガッカリした声でつぶやいたのである。 「当たり前だと思うけど」 萌子は苦笑した。 「そちらのお嬢さん方、この店のこと、何かご存じで?」 つぶやきが聞こえてしまったようで、清里刑事はこちらへ話を振ってきた。 「あ、いえ、ネットで有名なお店なんです。一度食べてみたくて」 「へぇ。ネットというと、インターネットですか。それで、あなた方は?」 「……あ、あたし佐々木愛菜(ささきまなな)といいます。それからこっちは親友の由川萌子(ゆいかわもえこ)です。今日は都内から食べにきました」 愛菜がこちらの分も話してくれたので、萌子は何も言わずにいた。 「そうですか。では次」 ちなみに、刑事は賢明にも紋次郎には自己紹介を求めなかった。 そのことで彼は少しムッとした顔をしたが、うさぎである自分がしゃべると色々面倒臭いことになる、という意識はあるようで、黙っていた。 次に口を開いたのは曲垣の付き人の男――沢口だった。 「私どもは《変な味巡りの会》と申します。会名通り、あまり普通でない物を食べ歩くツアーのようなものを、定期的に開催しております。会長は先ほど病院へ運んでいただいた曲垣俊太郎です。私は付き人で沢口信也と申します」 彼がお辞儀があまりに丁寧で、刑事は恐縮したようにペコリと頭を下げた。 「メンバーは、私の向かい側にいらっしゃいます後藤様を除き、全員が曲垣人材派遣社の従業員です。後藤様よりお一言ずつお願いします」 「は、はい。僕は後藤俊輔(ごとうしゅんすけ)です。曲垣とは大学の友人同士で、たまにこうして一緒に変な店に行ったりしてます」 後藤は少し曇ったようなしゃべり方をした。耳をすませないと、言ってることが聞き取れなかった。 それからその隣にいるのは、スラッとした女性。 「はじめまして。夢野美衣子です。こんな普通の服を着てますが、仕事はいわゆるメイドです。以上」 にべもなく、スパッと言い切るような口調。このセリフのみから本人の性格を推測しろと言われたら、『冷たい人』と萌子は答えるだろう。 そして最後は、やけに小さいと感じさせる女性。背は、もしかすると萌子自身と同じくらいしかないかもしれない。 「あの、あたし、三国鈴素(さんごくりりす)です。鈴の素と書いてりりすと読みます。土日はいつも俊太郎様に付き合ってこういうお店に来ています」 世の中、声の質と見た目が一致せず驚くことも多いが、彼女の場合は見た目通りだった。キーが高く、後藤とは逆の意味で聞き取りづらかった。 この5人の関係をまとめると、倒れた曲垣俊太郎の下に付き人として沢口信也がおり、そのサポートにメイドの夢野美衣子と三国鈴素がいる。そこに後藤俊輔が友達としてくっついている、という構図らしい。 清里刑事は全員をざっと見渡し、 「ありがとうございやした。それで沢口さん。曲垣さんが倒れたなさったこと、何か心当たりはありませんか。具体的にいうと持病がなかったかってことなんですが」 「いえ。持病はありません。定期検診の結果は私の方で把握しておりますので、間違いありません」 「そうですか。では倒れる直前に何か口にされましたか?」 「はい。我々が隣の席のお客様とお話しておりました最中に、サラダを。不躾なのでやめるようにいつも言ってはいたのですが、直していただけませんで……」 沢口達の机を見ると、幾種類かの料理が並んでいたが、どれがサラダなのか分からなかった。どれもなんだかウゾウゾしていて、人の食べる物には見えなかったからだ。だが先ほどの店長の言葉が正しければ、悪いのは見た目だけだ。 「食べたのはサラダだけでやすか?」 「はい。それ以外は何も食べていないはずです」 「ちなみにサラダを食べたのは、本人だけで?」 「いえ、まずは最初に出て来た物を全員で食べようということで、皆で食べました」 「そうですか」 清里刑事は聞いた話を手帳にメモしていると、不意に彼の携帯電話が鳴った。 彼は少し物ぐさな仕草で胸ポケットから取り出し、 「はい。………………了解。お疲れさまです。引き続きお願いしやす」 相手の話を聞くだけ聞いて通話を切った。 「今のは……」 慌てたように用件を訊こうとする沢口を手で制し、 「はい。残念ですが……曲垣さん、亡くなったそうで。死因は、典型的なアルカロイド中毒のショック死。司法解剖はまだやってませんが、ほぼ間違いないそうでやす」 清里刑事はゆっくりと諭すように言う。 「…………」 それを聞いた途端、萌子は周囲の空気がガラッと変わったのを感じた。たとえるなら、紐を引いて暗幕を一瞬にして降ろしたような。 沢口は唇を噛み、何かに耐えるようにゆっくりと腰を下ろした。 「ただアルカロイド中毒というだけなら、食中毒もありえたやもしれやせん。ですが、救急隊の方が初見だけで言い切ってるのは、服毒量が多くて分かりやすかったからでしょう。あれは顔色に出やすからね。体質によって効いたり効かなかったりするものじゃないですから、店長さんのミスで食べ物に毒が入った可能性は、ほぼありえないことになりやす。なので、何か食っちゃいけねぇもん勝手に食ったんじゃなきゃ、あとは他殺としか……」 「…………」 「…………」 清里の言葉を最後に、全員が黙った。 萌子はその静かな空気に、無性に居づらいものを感じていた。 ただ何も考えず、唯一彼女にできたのは死者の冥福を暗に祈ることくらい。 愛菜も同じようで、口に手を当ててうつむいていた。彼女は夏休みに同級生同士の殺人事件に巻き込まれて以来、人の死に敏感になっているのだ。最近、お葬式の家の前で足を速めたりするのである。 だが紋次郎だけは、人間特有のそうした感慨とは無縁のようだった。 隣にようやく聞こえる程度の小声だったが、普通だったら言いにくいことを眉に皺を寄せてさらっと言ったのである。 「ふぅん。犯人はやっぱあン中にいるなぁ」 と。 つづく こちらも絶好調連載中!! 公式HP
うさぎ探偵! PROF.2 臭い物には乾杯(1) 01 街に冷たい風が吹き始める11月終盤になると、世の人は2種に分類される。 目先の敵に矛を身構える者と、さらにその先の未来を見据える者である。 具体的にいえば、期末試験のためにしっかり勉強する奴と、冬休みのことしか頭にない奴だ。 んで、目の前にいるこのコギャルどもはどうかってぇと、どう見たって前者には見えなかった。 なんせ今いる場所が場所で、やってることがやってることだからね。 ライダースーツに身を包み、端麗な眉をなびかせる(一見)美少女の佐々木愛菜(ささきまなな)。 それから、その後ろを、親のあとを追う仔ペンギンのようについて回る、テケテケちんまり由川萌子(ゆかわもえこ)。 「ねぇ、愛菜、ホントに飲むの? それ……」 場所は小田原城下町。 駅から少し離れた商店街の脇にバイクを停め、彼女が手に持っているのは、単なるジュースの缶だった。 「何言ってるの、そのためにここまで来たんじゃん。ちゃんと写真撮ってよ。飲んだっていう証拠になるんだから」 「う、うん……」 不審がる萌子に、愛菜は何を今さら、とコンパクトカメラを手渡す。 萌子の反応は無理もない。 なんせ愛菜の缶。ラベルに《うこんサイダー》とか書かれてたりするのだ。 いわゆる、クチコミで有名な『アレな奴』である。 しかも、それを飲む『だけ』のために、都内からわざわざやって来たというのだから、気合いというか馬鹿々々しいというか。 「好きにやらせとけよ! 気にしてやるだけ時間の無駄だ」 だが不意に、女子高生2人組だけのはずのその場に、男の声がした。 「だって、うんこサイダーだよ!? お腹とか壊したりしないのかな……」 返事をして萌子が目を向けたのは、背中のリュックの中。 「うこんだよアホ! それに、仮に奴が死んだとしても、馬鹿が1人減って人類の進化に貢献するだけだろうが」 そう言って、ひょこっとリュックから顔を出したのは、何とうさぎだったのである。 茶色くて、ふわふわで、耳が長く、ちょっと偉ぶった表情の小動物。 「えー!? 愛菜が死んだら困るよ! あたし、帰り道知らないんだから!」 「心配するな。俺が知ってる。電車での帰り方はヤフー路線で調べてある」 「あ、そなの? それなら……」 萌子は手で小槌を打ちかけ、「って駄目じゃん!」 と頭を抱える。 「……ははは」 その反応を見て、そいつは苦笑したのだった。 つまるところ、普通のうさぎがしゃべってるのだ。しかもネットも使いこなしているらしい。 無論、周囲を通る通行人の人達はギョッとしてこちらを見つつ、ボソボソと噂して行くのだが、当の萌子はうさぎがしゃべるなんて普通のことだ、という顔をしていた。その辺り、この少女ももう駄目かもしれなかった。 彼の名は紋次郎。 この萌子のペットだ。胸にぶら下がるスピーカー形のペンダントは、飼い主いわく『バンダイで開発されたうさぎ語翻訳機の試作品』。少なくとも彼女自身は、紋次郎としゃべれるのはそのおかげと信じているようだ。 だが彼は本当に人間のようにふるまうので、たかが機械を取って付けたくらいでそこまでできるモンなのかは分からない。 「ぐわぁ! まっずー! この会社、こんなもん作っててよく倒産しないわよね~」 萌子と紋次郎の会話も聞かず、愛菜はうこんサイダーを飲んでいた。そんなに美味しくないなら飲まなきゃいいと思うのだが、実に楽しげである。 「おまえみたいなのが買うからだ!」 「愛菜ちゃん、お小遣いもったいないよ。もっと有意義に使おうよ」 「何言ってるの萌子! お金を回さなきゃ日本経済は成り立たないのよ!」 佐々木愛菜。 ワケ分からなすぎ……。 こういうことにだけ目の色を変える親友の姿に、萌子は我知らず、ため息などをついていたのである。 *** この少女。 日本全国津々浦々の奇品珍品をバイクで収集するのが趣味で、とりわけゲテモノじみた食べ物が大好きという、かなり人生爆走気味の女の子だ。なまじ顔だけはモデルみたいに端正であるだけに、余計タチが悪い。 それにいちいち付き合う萌子も、人がいいというか友達を選ばないというか。彼女と幼なじみだったのが運の尽きだ。 場所を少し変え、小田原城裏手。 目抜き通りを抜けた外れにポツンとある《喫茶・人生の山場》は、彼女の第2目的地。 店内はカントリー調のいい雰囲気なのだが、昼時だというのに他に客は1組しかいない。 それもそのはずで、そもそもメニューがおかしいのである。 悪魔の毒々シスターズ 魂(かたまり) ムーミンらしきもの 寝言は寝て言え アルミ缶の上にアルミ缶 ギニュー特選隊 最後の晩餐 全品値段適当 ――メニュー、全く意味なし!!! 萌子はかなり激しくツッコミたかったのだが、自分がそういうキャラじゃないことは理解していたことだし、何も言えなかったのでなく言わないであげたのだと、自分を信じてあげることにした。 店の壁の目立たないところに、長年の風月ですっかり黄ばんだ紙が張ってあり、そこにようやく『トーストセット500円』という字がうっすーく残っているのを見つけなければ、自分はきっとムーミンらしきものを泣きながら食べただろう。 「えーとね、えーとね! これとこれとこれと……やっぱ最後の晩餐は最後よね!」 愛菜は、久しぶりに少女に戻りました、という顔ではしゃいでいる。 「おまえメニュー制覇する気かよ! とりあえずアルミ缶いっとけ!」 何だかんだいって紋次郎も楽しげだ。テーブルの上に乗って、メニューを覗き込んでいる。 どうやらブルーデーなのは自分だけらしい。 と――。 「ねぇ、やっぱうさぎしゃべってるわよね? あたしの幻覚じゃないわよね?」 「そ、そう見えますけど……でも集団幻覚かも……」 「おまえ達、他のお客様の話はやめないか」 「いや、でもホントにしゃべってるぞ? ロボットかな?」 「着ぐるみじゃないのか?」 「中の人ちっちゃ!」 和やかに談笑していた隣の客が、不意に黙ったかと思うと、急にひそひそとこちらの話をしだした。 彼らはこの店のもう1組の客で、男性3人女性2人の取り合わせ。全員が20~30歳といったところ。中央にいる小太りの青年がやけにふんぞり返っていて気になった。どこぞの金持ちのお坊ちゃんといった風体。 1人が付き添いの執事、残りは友達のように見えた。だが執事っぽい人が女性を『おまえ達』と呼んでいるので、彼女らも実はメイドさんかもしれない。(今の世の中、本物の執事だのメイドだのが、その辺にゴロゴロいるとも思えないが) 当然、紋次郎はすぐに彼らの会話に気づいたのである。 ほっときゃいいのに、いつものようにガンと胸を張って啖呵を切った。 「おい、おまえら! 人前でこそこそといい度胸だ! この十字額の紋次郎、生まれながらの鉄砲玉! 痩せて枯れても女子供に手ぇ出しゃしねぇが、裏の輩は話が別だ。知らずの所業は1度許すも2度はねぇ。さぁ! お天道様に顔向けできるってんなら、堂々と名を名乗りやがれ!」 背後に花吹雪とか舞いそうな感じで。 うさぎのくせに。 相手方はしばしポカンとしたのち、 「大変失礼しました。私どもは《変な味巡りの会》と申します。会長はこの曲垣俊太郎。私は付き人の沢口です」 執事風の男が、流暢な抑揚で挨拶した。ビジネスに慣れている様子を伺わせた。 それから彼は、自分が会長と呼んだ人物の方を向き、 「俊太郎様、ご挨拶を」 と振り返る。 だが。 「…………」 当の俊太郎は頭をフラフラさせていて、何も言わなかったのである。 「俊太郎様……?」 と、次の瞬間。 ゆっくりと彼の身体が傾いたかと思うと、椅子から落ち、派手な音をたてて倒れてしまった。 受け身もとらず、床に頭から突っ込んだように見えた。 「俊太郎様!?」 「お客さん? 大丈夫ですか?」 沢口さんと店長が慌てて駆け寄る。 「ね、ねぇ、何があったの?」 愛菜は必死でメニューを見てて何も聞いてなかったようだ。 「さ、さあ……」 だが萌子にも何も言えなかった。 ふざけてるのかと思ったのである。 つづく こちらも絶好調連載中!! 公式HP
第1話はこちら 第2話はこちら 第3話はこちら 第4話はこちら 第5話はこちら 第6話はこちら 第7話はこちら 第8話はこちら 第9話はこちら うさぎ探偵! PROF.1 夏休みは殺人(Last) 10 「いるんだろ? 出てこいよ! 蓬餅!」 紋次郎が誰に対してともなく叫んだとき、愛菜はギョッとして周囲を見渡した。 ――蓬餅(よもぎもち)……! それは、今回の事件の真犯人で、かつ最後まで正体不明だった人物である。 この近くにいる――。 そう思っただけで、愛菜の心臓はビクンと跳ね上がった。 「…………」 自分のみならず、まどかもこちらに組み伏せられたまま、ジッと成り行きを見つめていた。 と――。 『バタン!』 急に何か物が倒れる音がして、それから隣の部屋で突発的な騒ぎが起こった。 「待て!」 それは、自分らの近くにいたはずの柳瀬刑事の声で、続けて別の男性の、 「刑事をなめるなよ!」 という声もした。 格闘戦らしき物音が十数秒ほども続き、大きな音がするたびに愛菜はやきもきした。 だがやがて静かになると、廊下の方から2人の刑事に連れられて男が現れた。 「……!!」 それを見て愛菜は本当に背筋が凍るかと思った。腹巻きのような毛糸状の布で、顔全体をずっぽりと覆った覆面男だったからである。 柳瀬刑事の手には、男から取り上げたと思われる包丁。総身こそ短いが、鋭利でよく切れそうな。(アジ切り包丁という名前は、後で紋次郎に聞いた) ――殺人鬼。 そう呼ぶのに、これほどふさわしい人物もいないように見えた。 「……ったく、何回逃げれば気が済むんだ。さっきは助けに行けなくてすいません。こいつを追いかけてたんです」 柳瀬がそう愚痴ったところをみると、こちらがまどかと取っ組み合いをしてる間にも、彼らはずっとこの男を追いかけていたようだ。 「おまえ、自分が今どういう顔してるか分かるか!」 もう1人の年配の刑事が、男の覆面をはぎ取ると……。 「…………!」 愛菜は、まどかとともに、一斉に息を飲んだのである。 次期テニス部長・清水勇介だった。 普段の柔和な顔とも、部活中の真剣な顔とも違う、思い詰めた表情の。 「……ちくしょう!」 彼は叫び、最後の抵抗をみせたものの、 「もう無駄だ。今から何をしても恥の上塗りだぞ」 刑事にガッチリと腕を取られ、動けなかったようだ。 「これで分かったか、まどか! こいつは最初から、おまえも殺すつもりだったんだよ! 大方、罪を全部おまえに着せてな! それでもこいつはおまえにとって『俺の嫁』か!?」 紋次郎があまりに必死に訴えるので、彼の胸からぶら下がった翻訳機がビリビリとノイズを発した。 まどかはしばし何も答えられず、呆然と彼を見つめていたが、やがて、せきが切れたようにワッと泣き出したのだった……。 *** 犯人逮捕から3日。 旅行の日取りを縮めて東京に戻った愛菜達は、数日後には加納の告別式に出席していた。 親に頼んで喪服を出してもらい、ネットで付け焼き刃の知識を仕入れた。 一夜漬けで必死に覚えたにも関わらず、緊張のあまり焼香の手順を忘れてしまい、その辺にいた人に手当たり次第に数珠を振ったあげく(超失礼)、燃えてる香炉に手を突っ込んで「あちっ!」と叫んだ。 周囲からクスクスと笑い声が漏れたときは、顔から火が出るかと思った。紋次郎の奴めが向こう見てうずくまり、なんか背中プルプル震わせてるのを見たとき、いつか屠ってミートパイにしてやると心に決めた。 とはいえ、長い長い緊張の時間もいつかは終わるものであり、さっきまで1時だったのが、いつの間にか2時もすぎていた。 恵比須の駅前でオープンテラスのカフェに入り、コーヒーで一息つく。 「加納君のお母さん。……泣いてたね」 「……うん」 抹茶オレを飲みながらつぶやく萌子に、愛菜は静かにうなずいた。 葬式の間、加納の母親はずっと泣き通しで、まともに声も出ない姿がやけに痛々しかった。 愛菜自身、ただ顔見知りが死んだというだけで、こんなにも心が乱されているのである。これが自分の親しい人だったら――たとえば萌子が車に轢かれたら。あるいは殺したいほど小憎たらしい例の弟が、自分が手にかける前に突然死んだら……。考えたくないと思うほどの恐怖が、思考を強制停止させる。 ましてや自分の子。どれだけ悲しかっただろう。 「ねぇ紋次郎……。清水先輩さ。何がしたかったんだろうね」 試しに愛菜は訊ねてみた。 彼は逮捕されたあと、取り調べのためにまだ軽井沢にいる。動機だけは最後まで分からなかった。彼のどんな衝動が、殺人を犯そうと決意するまでに彼自身を思い詰めたのか。 うさぎはテーブルの上で、クラッカーをカリカリとかじる手を止め、 「これは佐々木が、『今にして思えば』って、教えてくれた話だけどな」 と前置きしたうえで、「清水の奴、次の都大会でマスコミの注目を集めれば、プロへの近道になるって言ってたんだそうだ。だからもしかしたら、プロ並に巧い加納が邪魔だったのかもな」 そう答えた。 「まさかぁ。そんなことじゃないでしょ」 愛菜はあまりに単純な理由に、あきらかに当てずっぽうだと思った。 すると彼は少し考え、 「んー。でもさ、新聞とかによく『そんなことで人を殺すなんて』って書いてあるけど、じゃあ訊くが、どんな理由なら人を殺してもいいんだ?」 と逆に訊いてきた。 「そりゃあそうだけど……」 たしかに、人を殺していい理由なんてない。 少なくとも、建前上は。 「弱味を脅されてタカられてた、とかだと納得はしやすいけど、つまるところ一緒だろ? まどかと。周りに相談できなくて、変なことで思い詰めたって意味じゃな。清水はしっかりしてた分、自分の悩みなんかも隠したがるタイプだったみたいだし。 少なくとも言えることは、これが計画殺人だったってことだ。奴は宴会中に絶妙なタイミングで抜け出し、手早く効率的に加納を殺した。そして何1つ証拠を残さず周囲を撹乱した。それなりに長い準備期間がなきゃ、できることじゃない。ま、今さら何を言っても推測なんだけどな」 言って紋次郎は、ヒョイと肩をすくめて見せる。 そんなふうに言われると、愛菜としては納得するしかなかった。 「ところでさ。まどか、どこ行ったのかな……」 不意に萌子が、ストローから口を放し、遠くを見るように言った。 「ああ。ホント、どこだろうなぁ」 紋次郎も同じ方を見る。 風の吹く、雲の流れる青い空だった。 まどかは清水とともに逮捕はされたものの、実は翌日には家に戻っていたそうだ。情状酌量で補導扱いにするとかで、一時的に釈放されたらしい。 だが今日、愛菜達が葬式に一緒に行くために彼女の家に迎えに行ったところ、彼女はいなかった。 玄関の鍵も開いたまま、家の中は完全にもぬけの殻だったのである。 夜逃げだ。しかも一家全員で。 もしかするとこの親にしてこの子ありで、まどかの親もまた、変に思い詰めるタイプだったのだろうか。あるいは、彼女ら一家は最初からすねに傷があって、ほんのちょっとした失態に大騒ぎせざるをえなかったのかもしれない。 その辺りの事情は分からないが、ガランとした室内はやけに薄汚れて見えた。 「元気だといいな……」 萌子の言ったその一言がやけに印象的で、その後愛菜はこの言葉を長く覚えていた。 どちらにしろ、自分達の周りで殺人事件が起き、その犯人が自分達の知る人物だったという今回の事件。この経験が、自分に色々なものを刻みつけたことはたしかだろうと、愛菜は思う。 この、人のようにふるまう不思議なうさぎがいなければ、きっと事件は解決しなかったことも含めて。 「ま、元気ではいるだろうさ! 今はそう信じるしかあるめぇ?」 鼻をふんふんと鳴らし、長い耳をピンと立てて、紋次郎は萌子を元気づけるようにそう言った。 それがあまりにその通りだったので、愛菜はうなずいておくより他になかったのである。 「そうね」 人間同士の泥臭いしがらみもない、のんびりと餌を探す鳩達を眺めながら。 紋次郎にこのアンニュイな気持ちが理解できるのかどうか、彼は多少苦々しくほほ笑みつつも、それ以上何も語らずポリポリポリポリと忙しくクラッカーを噛った。 つづく ![]()
第1話はこちら 第2話はこちら 第3話はこちら 第4話はこちら 第5話はこちら 第6話はこちら 第7話はこちら 第8話はこちら うさぎ探偵! PROF.1 夏休みは殺人(9) 09 厳密にいえば、紋次郎が犯人の名を呼んだのは部屋が明るくなる直前だった。 「もうやめろ。宮島!」 ――えっ!? だがその名に驚く前にもう、愛菜は自分自身の手が電灯のスイッチを入れ終えていて……。 目の前に、まどかが立っていたのである。 手に包丁を持って。 「…………」 目を見開いて、少し震えて。 そんな彼女に何と声をかけるべきか、本当に何も浮かばなかった。 犯人が大津を殺しに来るのを待ち伏せて7時間。その間の疲れなど全部吹っ飛ぶショックだった。 紋次郎が、犯人は彼女だと知っていたことも含めて。 彼は数秒ほど次の言葉を考えたあと、 「小説とか漫画とかだと、ここらで推理ショーが始まるんだがな。俺はそういう悪趣味なことはしない。理由は分かるな? 宮島。……いや、まどか」 「…………」 もちろん今の愛菜には分かった。 おまえが犯人だと、みんなの前で暴露される。これほど屈辱的なこともない。相手の精神状態によってはその場で自殺してもおかしくない。そんなことをして正義漢ぶって悦に入るなど、悪趣味以外の何だろうか。 とはいえ、次にまどかが呟いた言葉は、紋次郎の配慮に対する感謝などでは、もちろん決してなかったわけだが。 「なんで……なんでよ! もう少しだったのに……!」 彼女はようやく声を絞り出し、がっくりとうなだれたのである。 「なんでっておまえ、大津には加納殺しは不可能だったからさ。 あいつの死亡推定時刻は、遺体の状態や状況を総合的に考えて、部員の1人と最後に会話を交わした午後6時半から、オーナーの奥さんが悲鳴をあげる8時くらいまでの間。つまり宴会中だ。食事中に1度もトイレに立っていない大津には、時間的に犯行は無理なんだ。俺のこの耳を1本賭けてもいい」 紋次郎は、自慢のその長い耳を指した。 だが、愛菜には1つ合点がいかないことがあった。 「で、でもなんで最初からまどかって分かったの?」 彼が『宮島!』と叫んだのは、明かりがつく数瞬前だ。 「ああ、それは『ごぶりん』って奴を最初に見た時点から、ずっと分かっていた」 「……!?」 それを聞いて、まどかはギョッとした顔をした。 「愛菜、例の書き込み見せてみ」 「え? あ、うん」 愛菜は自分の携帯の画面に、例の書き込みを表示させた。 Re:うちの学校にさ at ごぶりん 2008/07/23 01:23:56 加納の奴 チョーパーうぜえ 1年のクセにエース狙ってんじゃねえよ 先輩は俺の嫁だっつーの! Re:うちの学校にさ at 蓬餅 2008/07/23 01:24:21 あはは。じゃあ、いっそヤっちゃう? Re:うちの学校にさ at ごぶりん 2008/07/23 01:26:03 いいよもう やっちゃってよ! 「2~3年生は男しかいないわけだから、『テニス部の先輩』に当たる人物は男だ。加えて『俺の嫁』ってのは嫁にしてもいいくらい好きって意味だから、『ごぶりんはホモか女か』のどっちか。俺が調べた限りではテニス部にホモキャラはいなかったから、犯人は彼女で7割方決まりだったんだ」 「どうしてよ。男の子同士でも『俺の嫁』とか言い合ったりするわよ」 「そりゃ冗談の範囲でだろ? ここまで激しく堂々と訴えるようなのは、カミングアウト済みの真性ホモだと思う。女のおまえには理解できないかもしれないが、男ってのは本能的に男同士の同性愛を嫌悪するもんだからな。といっても、100%の確信じゃなかったけどさ」 紋次郎は肩をすくめた。(たしかに、確信があるくらいなら、大津の命を狙わせてそれを待ち伏せる、なんて手の混んだ作戦は必要ないだろう) 紋次郎はしばし、鼻をヒクヒクさせて何かを考え、 「……というわけだ。おまえは手口も『蓬餅』に比べてお粗末だし、ボロを出しすぎた。もうあきらめろ。ここで大津の口を封じても何にもならない。ナイフを振り降ろすより、愛菜が大声を上げる方がはるかに早いし、外には刑事さんにも待機してもらってる」 彼女を説得するように、ゆっくりと言った。 「…………」 まどかはしばし静かにうつむいて、ジッと考え込むように押し黙った。 愛菜は、彼女がナイフを手放してくれればいいと信じた。 が――。 「やっぱり嫌!」 突然彼女が叫び声を上げ、こっちに襲いかかって来たのである! 「ま、まどか!」 もう少しで刃がこちらをかすめるところだった。 こちとら伊達に中型2輪を振り回してないが、相手だってスパルタ教育を受けたテニス部員である。スイングがかなり力強い。 「ちょ、ちょっとまどか!」 「嫌! 嫌よ! 死ぬのは嫌! 嫌!」 彼女が叫ぶごとにナイフが宙を掻き、ともすれば当たりそう。 その辺で待機中の刑事さんが来てくれることに期待はしたが、今から声を聞きつけてもたどり着くのに数十秒はかかる。そんなに長くは戦えない。 「何言ってんだこいつ!」 紋次郎がまどかの腕に噛みついた。 「いたっ!」 彼女はとっさにそれを振り払い、紋次郎は飛んで、背中から床に落ちる。 「ぐは!」 「まどか! 落ち着いて!」 だが隙としては充分で、愛菜は一瞬の隙に背後に回り込んだ。 とにかく身体でぶつかって彼女を押し倒す! 「ナイフだ! ナイフを奪え!」 紋次郎の言葉で腕を踏みつける。ナイフが床を滑った。 「なんで、なんでよ! 死にたくない! 死刑は嫌! 助けて!」 それでも必死に武器にすがろうとするまどか。 上から胸を圧迫して取り押さえているが、言ってる意味も分からず、振りほどかれそうだ。 と。 「死刑なんかなるかアホ!!!」 全力で叫ぶ彼女以上に強い、紋次郎の怒声。 耳元で叫ばれ、まどかはようやく抵抗しなくなった。 *** ある程度は大人しくなったが、愛菜はまだ彼女を解放できなかった。 一瞬の隙を突いて立ち上がろうとするのだ。 「どういうことなんだ? おまえを誰が死刑なんかにするんだ」 「何言ってるのよ! あたしのせいで加納が死んだんだから、死刑になるかもしれないじゃない!」 ――やっぱりまどかが犯人なの? それを聞いて愛菜はそう思った。 だがそうではなかった。 「は? いやだから! 加納殺しの実行犯はおまえじゃなくて蓬餅だろ? 大津と同じ理由で、おまえにゃ時間的に無理だからな。たしかに死体を隠したのはおまえだろう。でなきゃ、煮物の味醂で酔った振りして野外を徘徊した理由がないからな。でもおまえは最初のうち、愛菜達をからかうために酔って見せてただけだから、常識で考えて死刑はないだろ」 紋次郎はあからさまに顔をしかめてみせる。 「た、たしかに酔っ払った振りしたのはそうだけど……」 まどかは一瞬言葉に詰まり、だがすぐに持ち直して、「でも分かんないじゃん! それともなに? あんたがあたしの命、保障してくれるわけ!? できるわけないわよね! 裁判なんて大人の胸先三寸で決まるんだから! 『最近の若者』が起こした事件なんて全部『理解不能』で片付けられて、やってないことまで全部あたしのせいになっちゃうのよ!」 と、苦しげな笑みを浮かべた。 開いた口がふさがらないとはこのことだ。まどかとの付き合いは、高校に入学して以来もう半年だが、こんな小学生みたいな考え方をするとは全然気づかなかったのである。 警察や裁判所は、まがりなりにも国家司法組織だ。まさか刑罰を適当に決めたりはしないだろう。 とはいえ――。 「…………」 愛菜には何の反論もできなかったが。裁判所がどんなふうに罪状を決めるかなんて知らないし、死刑は絶対ないかといえば、この世の中に絶対なんてない。 だが。 「いや、おまえは死刑にはならない。未成年者を死刑にしちゃいけないって、少年法で決まってるからだ」 紋次郎はずばり言い切った。なんでそんなに言えるのかと不思議に思うほどに。 「そんなの分かんないじゃん! 警察なんて法律くらい簡単に破るんだから! 規則で決まってるくらいで信用なんかできるわけないじゃん!」 「……いや、悪いがこれだけは言い切れるのさ。公開裁判制度といって、裁判官は公衆の前で堂々と判決を下さなきゃいけないって決まってるんだ。そういう仕組みである以上、法に反した厳しい刑罰を科すのは不可能だ。それにさ――」 紋次郎は少し呼吸を置いて、「おまえ、蓬餅が加納を殺すなんて思ってなかったんだろ? あいつが『いっそヤっちゃう?』ってヤの字をカタカナで書いているのに、そのあと『やっちゃってよ!』って、ひらがなで返信してた。 これは、奴の言葉の特別な意味に気づいてなかったからだ。オーナーの悲鳴を聞いて始めて、蓬餅が本当に人を殺したことに気づいたんだ。でなきゃ、もっと上手に死体を隠せたはずだからな。だからおまえは、遺体を隠したりしなきゃ無罪だったんだよ」 「なんでよ! あたしが書いたせいで加納が死んだんだったら、けっきょくあたしのせいじゃん! うさぎのあんたにゃ分かんないのよ! 最近は一言『殺す』って書いただけで逮捕されるんだから!」 ――駄目だ。強情すぎる。 愛菜はため息をつきたくなった。 ありもしない罪におびえて、無駄に罪を重ねていく。 これほど典型的な『ローリングストーン』があるだろうか。 だが、紋次郎は眉1つ動かさず、 「だったら訊くけどさ。おまえ、なんで命なんか狙われるんだ? おかしいだろ。ほっといても死刑になる女がさ」 そんなことを言う。 「……は?」 しかしこれはまどかも意味が分からなかったようだ。 すると紋次郎は、また叫んだ。 「いるんだろ? 出てこいよ! 蓬餅!」 と。 おそらく真犯人であろう、殺人鬼のハンドル名を。 「……!?」 愛菜はギョッとして周囲を見渡した。 つづく ![]()
第1話はこちら 第2話はこちら 第3話はこちら 第4話はこちら 第5話はこちら 第6話はこちら 第7話はこちら うさぎ探偵! PROF.1 夏休みは殺人(8) 08 大津が倒れていたのは、駐車場の一番暑い場所だった。 ちょうど直射の当たる自動車と自動車の隙間に、身じろぎもせず突っ伏していたのである。 「ここだ、ここ!」 それを真っ先に見つけたのは紋次郎で、愛菜達は彼の声を頼りに駆けつけた。 「もうすぐアスファルトが50度を越える時間だ。早く日陰に!」 紋次郎はどうにか大津を運ぼうと懸命に襟口を引っ張ってたものの、その小さな身体では、体重が50倍もある巨人を動かすことはできないでいた。 「息は!?」 「まだある! 119だ!」 紋次郎にそう言われたとき愛菜は、自分がそれが何の番号なのかも思い出せないほど慌てていることに、ようやく気づいたのだった。 救急車が到着すると、それを追うように警察のパトカーも到着した。 近所の人達かあるいは観光客なのか、どこからか集まったヤジウマがこちらの様子を見ていた。50歳前後のおじさん達がタバコを吸いながら談笑しているのが見え、場違いを通り越して不快だった。人の死って何だろうと思った。 「遺書があるって聞いたんですけど! って、あれ?」 やってきた警官は昨日と同じ人で、名前はたしか柳瀬(やなせ)と名乗っていたろうか。 飛び込むように慌てて駆けてきて、それからしばしキョロキョロと周囲を見渡して誰かを探したのである。 「先生ならここだぜ」 紋次郎が素早くそれを察知し、案内した。 「すいません。どうも」 「あ、は、はい……」 渡辺先生は自分が死んだものと勘違いしているかのように顔が真っ白で、目立たないところに呆然と立ってるだけだったのである。 人間の顔とは、感情の変化だけでこれほど白くなるものなのか。 「それで遺書というのは?」 「あ、え? い、遺書? は、はい」 なぜだか自分のポケットをまさぐっている。 どうやら、まともに頭も働いてないらしい。なんせ自分の受け持ちの生徒がトラブルに遭い、しかも2人目なのだ。 「あ、はい。これです」 まどかが来て、胸のポケットから茶封筒を取り出した。 中身はワープロかパソコンで印刷された1枚の紙で、自分が犯人であることを告白する文面だ。 本当に申し訳ありませんでした。 加納君を殺したのは僕です。 こんなことで許されるとは思っていませんが、せめて本人に謝ってきます。 大津信次 柳瀬はそれを読んでため息などつきつつ、きゅっと唇を噛んだ。 「犯人が自殺……か。僕、刑事に任命されて初めて主査を任されてたんですよ。カッコよく解決したかったなぁ……」 彼がそう言うと、その場にしんみりした悲しい空気が流れた。 森に吹く風には、夏らしい熱気の中に、どこか冷たい秋のそれも交じっていた。 「大津……」 渡辺先生は途方に暮れて道路を見やったものの、もちろん救急車などとうの昔に走り去っている。 「きっと、あそこから飛び降りたんですね」 柳瀬が指さす。 このホテルは一般客が出入りできるのは2階まで。その高さから飛び降りても、屈強なスポーツマンが死ぬとは思えない。だが屋上に浄化水槽の管理室らしき場所があって、さらにその上に乗ればそこそこの高さが稼げそうだ。ざっと見た感じ7~8メートルはありそうである。それでもまだ低すぎる気もしたが、自殺なのだから、きっと頭から突っ込むとかしたのだろう。 道路に付着した放射状の血痕は、直系10センチ程度の大きさしかなかったものの、本物の血というだけでも充分に生々しい。 「くそっ……!」 紋次郎はいらだたしげに足をダンダンと踏み鳴らし、「萌子! 愛菜! ちょっと来い! 話がある!」 どこかへ歩きだした。 「あ、待ってよ、紋次郎!」 「どうしたのよ!」 彼を追いかけていく萌子に、愛菜も慌ててついていく。 「キリがねぇから賭けに出る。2人にも協力してもらうぞ!」 ピョンピョンと飛ぶように走りながら、紋次郎は少し小さめの声で言った。 「賭けってどういうこと? これ以上なにするつもりなの?」 犯人が自殺して事件が終わったというのに、愛菜には彼の言うことが今いち分からない。 「おまえ、あれが自殺のわけねぇだろ! 大津は可能を殺してなんかねぇよ。これから秘密の作戦を実行する。2人の連携が大事だぞ。まず愛菜、おまえ、オーナーにもう1回バイク借りてこい。それからな――」 紋次郎は、作戦とやらの詳細を話し始めた……。 *** 警察が引き上げた。 それがどれだけ嬉しかったか、おそらく他の面々には分かるまい。ついに警察を騙し通したのだ! どうなることかと思ったが、これで我が身の安泰は守られた。 そして何より、あの邪魔だった加納も消えてくれた。 余計なことと一時は蓬餅を恨みもしたが、今は感謝でいっぱいだ。 「大津先輩……大丈夫かな……」 そんなことを寂しげにつぶやく佐々木を、今はとりあえず大丈夫だと慰めておく。一緒になって寂しい振りをしておくのだ。 彼に限らず、ホテル中が葬式のように静かなので、少なくともそれに合わせなければ。 なに、自分の演技は警察すら騙し通したのである。高校生ごとき、気の利いたことでも言っておけば、実はこちらが喜びでいっぱいなことなど気づくまい。 だが――。 1点だけ……そう、それは本当にただ1点だけ。喜びに浸るこちらに、水を差す者があった。 由川萌子。一度は素朴で純粋でいい子と思いもしたが、今はきっぱりと嫌いだ。 あの忌ま々々しい、しゃべるうさぎの飼い主である。 こちらの邪魔ばかりして……。 彼女の言葉は、静なる水面に落ちた水滴のように、確実に、波紋を広げるものだった。 「みんな! 大津先輩、助かりそうだって!」 彼女が歓喜を上げたその瞬間。ロビーはワッと喧噪に包まれた。 ――マズい! 大津が目を覚ませば全てが無駄になる。元の木阿弥だ。 皆と一緒に喜びながらも、内心、ドッと汗が吹き出すような気持ちだった。 「病院は? お見舞いの準備しよう!」 思い切ってそう訊ねてみる。 「うん! えーとね、軽井沢健康保険病院だって。明日の朝になったら来てもいいって!」 萌子は、嬉しくてたまらない、という顔でピョンと跳びはねた。 ――明日か! よし! 彼女と同じように喜んで見せながら、心の中でも喜んでいた。 どうやらまだチャンスはありそうだ。 明日まで誰も見舞いに行かないなら、今夜中に何とかすればまだ助かる。 そう。生きていられるのだ……。 *** ホテルを出たとき、時計はすでに午前2時を回っていた。 一部の部員達が、加納と大津の追悼会と銘打って騒いだせいである。 彼らが完全に寝静まるのを、自室で悪態をつきながら待った。 ついでに河原に落ちていた石で、ナイフを研ぎながら。 渡辺先生に怒られて、どうにか連中が静かになったのが12時半。 昼間は元気がなかった先生だったが、酒でも飲んだのか先ほどはやたら声のキーも高く、ガミガミとうるさかった。 その彼も寝静まり、ホテルが闇のとばりに完全に包まれたのが、草木も眠る丑三つ時。 森に包まれたこの町では、夜は本当に静かで、真っ黒だった。道は左右を草藪に囲まれ、ほんの10メートル先も見通せない。 だがこんな人っ子1人いない場所でもタクシーはいるもので、それを拾って現場の病院へ。30分とかからなかった。 軽井沢健康保険病院は、町中にある比較的大きめの病院で救急病棟が騒がしかったが、それ以外は静まり返っており、忍び込むのは比較的容易だった。裏手の通用口のカギがかかっておらず、すんなりと入れたからである。 もちろん病室の番号も聞き出してある。203。 廊下は、たまに看護婦が通る以外は無人だったが、たまに病室から人のうめき声などがするのが少し不気味だった。 目的の病室には鍵もかかっておらず、都合のいいことに人のいるベッドも1つだけ。 暗い中どうにか顔を確認する。間違いなく大津だ。 ――よし! 決意を固め、ナイフを取り出す。 こんな殺し方をすれば他殺だとすぐバレるが、こいつを屋上から落としたのが自分だということが、彼自身の口から漏れるよりはいい。 そんなふうに思いつつ、彼女はナイフを振り上げ――! 「ストップ! そこまでだ!」 「……!!!」 パッ! と部屋の明かりがつき、本当に脳天に飛行機が落ちて来たかと思うほどの衝撃を受けた。 振り返ると、例のうさぎが、佐々木愛菜に抱えられていた。 「もうやめろ。宮島!」 つづく ![]()
第1話はこちら 第2話はこちら 第3話はこちら 第4話はこちら 第5話はこちら 第6話はこちら うさぎ探偵! PROF.1 夏休みは殺人(7) 07 ホテルに程近い雑木林の中――。 無人の民家の軒先に、彼は埋められていた。 愛菜達は警察とほぼ同時に到着し、青いツナギを来た人達がドヤドヤと現場に入るのを見ていた。 「加納君で間違いありませんか?」 「……はい」 渡辺先生が、めくられたシートの中身を確認していた。先生の顔は本当に真っ白で、文字通りの顔面蒼白というものを愛菜は初めて見た。 その隣では、清水が部員達をなだめている。 「みんなご苦労様。特に本田、お手柄だったな。見つけてもらって加納も喜んでると思う。さて、一度帰ろうか。多分取り調べを受けることになるから、今のうちに昨日今日のことを、なるだけ正確に思い出しておくんだ。みんなで加納を報ってやろう」 清水は次期部長と目されてるのだそうで、なるほど、たしかに人をまとめる能力は高いようだ。 「冗談ならよかったのに……」 亡くなった人が別に仲のよかった人でなくても、萌子は今にも泣きそうだ。 「……ホントね」 愛菜も、待っていればそのうち、加納が「嘘ぴょ~ん」と跳び起きるような気がした。 だがいつまで待っても、そんな愉快なことが起こるわけはなかった。 木の陰で、何もできずにただジッとしていると、不意に声をかけられた。 「あの。先ほどお会いしましたよね?」 「あ、さっきの……」 誰かと思えば、長野原警察署に捜索願いを出したとき、受付にいた警官だった。 20の中盤の男で、どちらかといえば、迫力のないウダツの上がらない感じの。 「このたびは力及ばず、すいませんでした」 彼は恐縮したように、ぺこりと頭を下げた。 「いえ……」 彼らのことを本当に無能とも思ってなかったが、かといって魔法のようにパッと解決してくれることを期待してたわけでもない。警察に対する怒りみたいなものはなかった。 彼は少し、次の言葉を考えるような仕草をし、 「それでなんですが、彼の私生活のことで心当たりはありませんか。たとえば、自殺をほめのかすようなことを言ってた、とか」 「自殺……ですか?」 愛菜はその可能性に少し驚いたが、考えてみれば当然である。 もしかすると自殺かもしれないのだ。紋次郎の推理が全て正しいと分かったわけではない。 「ええ。教えていただいた掲示板はこちらでも見てみましたが、恨まれていたといっても『生意気だから』という程度です。こうした動機での殺人の場合、イジメてるうちに誤って殺してしうケースが多くて、周囲の誰にも心当たりが全くないことは少ないんですよ。だから自殺の可能性もあると思うんです」 それを聞いて愛菜は、一理あるような気がした。 「加納君は小さい頃からずっとテニスやってたからって、上級生にも尊敬されたりしてたみたいです。だからたしかに、あまりイジメに遭うタイプではない気がします。ただ、なまじ上手な分、周囲にプレッシャーを感じていたのかもしれません」 「そうですか」 彼はそれをメモしながら、少し考え込んだ。 だが。 「おまえらホントに自殺だと思ってんのか?」 そんなことを言った奴がいた。もちろん紋次郎だ。 「いえ、もちろん可能性の1つというだけで、そうと決まったわけでは……あれ?」 そんで他の大勢の人と同じく、その彼もキョトンとしたわけだ。 別にわざとやってるんじゃなかろうが、毎度々々人を脅かすうさぎである。 まぁ、うさぎなんだから当然といえば当然なのだけども。 彼が戸惑っているのを歯牙にもかけず、紋次郎は加納の身体を覆っているシートの一部をめくり、 「他殺だよ。自殺に使ったロープが事故で紛失したと考えても、こんな形の線状跡はありえない。かなり手慣れた感じの首の絞め方だ」 と、なんだか探偵にでもなったような顔をした。 「え!? うさぎがしゃべってる!?」 「って、ツッコむとこそこじゃないだろ!」 「そこであってるわよ!」 なので、愛菜はかなり激しくツッコミ入れたのだった。 「ご、ごほん……。そ、それで、どういうことなんだい?」 ただ、この刑事の利口だった点は、素直に現実を受け入れたところだ。 おかげで話が脱線せずにすんだ。 「見てみろ。首を絞められた跡が普通じゃないんだ」 「普通じゃない?」 愛菜は遺体に少し近づいてみた。そばにいた鑑識官が「あまり見ない方がいいよ」と囁いてくれたが、好奇心も手伝って思い切って目を開けた。 問題の首の部分だけしか見えないよう、他の部分は紋次郎が巧みに隠していたものの、その人の遺体の皮膚は宇宙人のものかと勘違いするほど変色しており、息を飲んだ。 「普通は首を絞められて出来るのは環状の紐の跡だ。紐で絞めるのが一番手っ取り早いし、殺人犯の多くはそうするからだ。ところがこいつは違う」 見ると、喉仏の上を覆うようにV字の赤い筋があり、頸動脈の部分と思われる箇所に左右1つずつ、丸い形の内出血が見られるだけだった。首の背中側には何の跡も付いておらず、テレビドラマで見るような、首全体を紐でギュウギュウ絞めた感じではない。 「犯人はまず左手を後ろから回して、喉仏を押し上げるように圧迫した。こうされると苦しくて声が出なくなる。それから右手の指先で頸動脈をグッと押さえて血を止めたわけさ。するとこういう形の跡になる。 全力で抵抗する被害者を、最後までその姿勢で拘束し続けたわけだから、犯人はそうとう手慣れてるよ。爪の跡がない点から、手袋を忘れない冷静さも見える」 彼の話を聞いて、この熱帯夜に寒気がした。最低限の動作で、本当に効率よく人を殺しているのである。 「…………」 愛菜はおろか、慣れているはずの刑事達ですら、二の句を継げずにいた。 たしかに、これは殺人である。 プロレスラーのような大柄で、凶悪で、かつ人情などカケラもない無差別殺人鬼。 ごぶりん。そして蓬餅(よもぎもち)――。 どちらが加納を殺したにしても、ネット上のハンドル名しか分からない謎の人達のイメージは、そんなふうに固まってきた……。 その夜、愛菜は久しぶりに悪い夢を見た。 言うまでもなく、顔の見えない誰かに襲われて殺されそうになる夢だ。 *** 翌朝の寝起きも最悪だった。 紋次郎を殺すという書き込みが、一晩中忘れられなかったからだ。 「おはよ、愛菜。昨日眠れなかったの?」 「うわ! もうこんな時間……」 たしかまだ明け方だと思っていたのに、時計を見たらもう10時である。 「おまえらだらしねぇな! 俺なんかこうだ! こう!」 対し紋次郎は余裕綽々だ。 「あんたのせいでしょ! 夜中にブツブツうるさいのよ!」 彼が床の寝心地について延々と独り言をつぶやいているのを、愛菜はずっと夢現つに聞いていたのだ。 「布団の具合が悪いと眠れないだろ。それくらい当然の権利だ」 かといって、眠れなかったのはそのせいではないのだが……。 自分の命が狙われてるかもしれないのに、大した動揺もしていない彼がうらやましい。 2人と1匹でロビーに出てみると、そこはとても静かで、2年生が1人静かにコーヒーを飲んでいるだけだ。 「あ、こんにちわ。えーと、本田さん」 「やあ、おはようお寝坊さん。名前、覚えてくれたんだ」 ひょろりとした背の高い彼は、軽く手を上げて答えた。 「そりゃあ、お手柄でしたから」 彼は昨日、加納の遺体を見つけた男だ。 「今日は練習はないんですか?」 萌子がキョトキョトと周囲を見渡した。いくつかのテーブルの上に、ラケットが出しっ放しになっている。 「今日は中止さ。みんなは散歩に行ったよ」 「そうですね。こんなときくらい……」 萌子はうなずき、そしてまた寂しげに目を伏せた。 殺人事件という現実を、不安がっているのである。 とはいえ、落ち込んでばかりもいられない。愛菜は自分がまず落ち着こうと、自販機の前に立った。 コインを入れ、飲み物が出てくるのを待って紙カップを取る。 ところがだ。 「なんでたったこんだけしかいないのよ!」 唐突に叫んだ者があって、危うくカップを落としそうになったのである。 まどかだった。 「ちょっと! 脅かさないでよ!」 「ジュースなんでどうでもいいわよ!」 しかも抗議もスルーだ。酷すぎる。なけなしの小遣いで買った豆乳マンゴーサイダーなのに。 とはいえ……。 「大津先輩の部屋の前で見つけたの!」 どうやらそうも言ってられない状況のようだったが。 まどかがテーブルに叩きつけた茶封筒の表に、字が書いてあった。 『遺書』 つづく ![]()
第1話はこちら 第2話はこちら 第3話はこちら 第4話はこちら 第5話はこちら うさぎ探偵! PROF.1 夏休みは殺人(6) 06 訪れた長野原警察署の界隈には、静かな空気が漂っていた。 全体的にのんびりしていておカタい感じがせず、警察署のことを怖い人達がたくさんいる場所だと思っている人にとっては、拍子抜けかもしれない。 「――じゃあ、昨日到着されて、すぐいなくなったんですね?」 「ええ。そのうち帰ってくるかもしれないので、待ってはいたんですが……」 渡辺先生は神妙な顔つきで、若い警察官の質問に答えていた。 「その加納政貴君……ですか? いなくなってどれくらいですか?」 「そろそろ丸24時間です。バスを降りて点呼を取ったときは、間違いなくいましたから」 「しかも何かの事件に巻き込まれたかもしれない、ってことですよね?」 「そうです」 「分かりました。念のため、顔を配布してみましょう」 警官はどこからかマイクを取りだし、「すいません。行方不明者の捜索願いをメールで送ります。巡回中のパトカーに通報願います。緊急です」 と言った。 こちらが手渡した顔写真をスキャンし、パソコンでどこかへ送ったようだ。 それで全ての手続きは終了。自分らがここを訪れてから、わずか10分ちょっとの出来事だ。 それ以上の何かがあったわけでなく、熱血刑事が息巻いて飛び出してくでなし、正直、アテにはならないなと感じた。 もっともそれは無理からぬことで、自分達ですら本当に事件なのかどうか確証が持てないのである。起こったかどうかも分からない事件のために、何百人もの捜査員が一斉に動いてくれるわけではない。 ちなみに提出した写真は、部員の1人が携帯に入れていたもの。カラオケボックスのような場所で、加納が楽しげに歌っているところだった。 もちろん、唯一の目撃者であるオーナーの奥さんには見てもらった。だが目撃した遺体(らしきもの)と同一人物かは、分からないとのことだ。 警察署の玄関を出るとき、萌子がふと、つぶやくように言った。 「全部取り越し苦労ならいいのにね」 と。 「そうね……」 愛菜は、どこからかの茅蜩(ひぐらし)の声に耳を傾けながら、そろそろ沈んでしまう夕日に目を細める。 たとえ直接の友達ではなくても、『人が死ぬ』とは、ただそれだけで怖い。 悲しいし、不安でもある。たとえば、5分前の自分らが跡形もなく全て消え去ったような。または、今までと違う異次元に突然放り込まれたような。 もし加納がひょっこり帰ってくるなら、これまでの苦労が水の泡でもいい。 少なくとも、昨日までの日常は戻ってくるのだから。 「さて! 帰ろうか! みんなにも、今日の捜索は終わらせよう」 だが、やけに元気のいい振りをする先生の言い方に、これが間違いなく現実なのだと確信させる何かがあって、それが嫌だった。 *** ホテルに帰り着くと、テニス部員の面々はぐったりと疲れ果てていた。ロビーで三々五々椅子に座り、ただ時を待つだけ、といった風体である。 それはそうだろう。練習で疲れてる身体で人探しをしたのだから、無理もない。 ただし紋次郎だけは例外だったようで、萌子が玄関から入った途端、目をキラキラと輝かせてターッと駆け寄ってきた。『おかえり! 寂しかったよぅ』とか言うのかと思った。 そしたら違った。 「萌子! メシッ!」 ビシ。 「うわ! 可愛げなっ!」 少しは空気読めよ的なその言動に、愛菜はほぼ反射的にツッコんだ。 「うるせぇよ!」 思えば、自分の中の『常識』が昨日から突き崩されっぱなしである。 今までは、うさぎは寂しがりで怖がりで、物静かな生き物だと思っていた。 ところがここへ来ての紋次郎の登場で、そのイメージもすでにズタズタ。しかも萌子にいわせると、これは別に彼に限った話でもないらしい。 「うさぎって元から威張りン坊だし、バタバタうるさいし、大食漢だし、夜中に急に模様替えとか始めちゃうし。他の子に翻訳機つけても多分こんなもんだよ」 とのこと。 「ふふん。どうだ」 いばりっ。 「いやいや、全然全く褒めてないから」 そんな生き物のどこがいいというのか。完全に理解不能である。 それを訊くと、飼主はこうおっしゃる。 「紋次郎のいいとこ? んー、そうねぇ。寂しいとキス魔になるとこかな」 「えー!? 紋次郎ってそうなの!?」 「ふざけんな! 誰が寂しがりのキス魔だ!」 「だってあんた、あたしの顔ペロペロするの大好きじゃん」 「なっ……! ちちち、ちげーよ! あ、あれはだな……! その……そう! ミネラルの補給だよ! おまえの皮膚を栄養供給源として使ってやってるんじゃねぇか! 食事だ、食事!」 あと、意外なほどプライドが高い。猫並みだ。 「ふーん。あっそー」 萌子がイタズラっぽい視線を投げると、 「と、とにかく飯だ! めーし! めーし! めーし!」 ごまかしついでに周囲を走り回り、そんでときどきブッブッと鳴く。すでにもう、実はうさぎには鳴き声があるということなど、どうでもよくなっていた。 「はいはい」 萌子は仕方なさそうに苦笑しながら、ポーチからハードビスケットを取り出してあげた。 「サンキュ!」 すると奴はそれを手にパッと駆け出し、植木と本棚の間の狭いとこに自ら入り、くつろぎの姿勢で熱心にムシャムシャ食いだす。 そしてその彼の食事を、萌子がジーッと、母親のような目で眺めているという構図である。 全く、たまらない可愛さだ。 ふと気づくと、性も根も疲れ果てていたはずのテニス部員達も、いつの間にか彼らのやり取りを見てほんわりとなごんでいたりする。 実際、彼らは可愛いのだ。うさぎとロリっ娘の組み合わせだし、可愛くないわけがない。 「こんちきしょー今に見てろ……。あたしだって……」 悔しさに歯ぎしりしがてら、そんなことをつぶやいてしまったほどだ。 するってぇと、それを聞き付けた紋次郎がすかさずこっちを見て、ニヤッとか笑うわけである。 「…………」 すげームカついた。 *** 旅行先では、晩飯が終わって寝るまでの時間が長く感じるものだ。 修学旅行なんかだと、『どこかに遊び行こう』などとよからぬ算段をする者が1人くらいいるものだが、気持ちくらいは分かる。なんせ、何もすることがないのだ。 もっとも、晩飯の席が通夜のように寂しかったことを思えば、みんな今日のところは静かにしてるのかもしれないが。 加納が行方不明と聞かされたとき、部員達は誰ともなく彼を探そうという雰囲気になったそうである。愛菜達が先生と警察に行ってる間、その辺を歩き回ったみたいだ。 彼がすでに死んだかもしれないことは、さすがに先生も確信なく口はしないが、だが皆なんとなく感づいているようではあった。 「なぁ、しんみりしてるとこ悪いんだが、残念なお知らせだ」 自室に戻り、窓際でぼんやりと外を眺めていたところ、紋次郎に声をかけられた。 彼は、また性懲りもなく携帯を弄っていた。愛菜も萌子も、もう彼のすることをとがめることも、覗き込むこともしなかった。 「どしたの?」 返事をすると、 「あんまそういう気分じゃないかもしれないが、これは見といた方がいいかと思ってな」 紋次郎は自ら携帯の画面を見せにきた。それを見て萌子は、ゲーム機をパタンと閉じた。 「なによ……」 嫌な予感がしたが、愛菜は仕方なくそれを手に取る。 Re:うちの学校にさ at ごぶりん 2008/08/06 15:34:22 あの紋次郎とかいうウサギ うぜえ また片づけてくんない? Re:うちの学校にさ at 蓬餅 2008/08/06 18:06:43 え? ウサギ? なんだいそりゃ。 まあいいよ。ヤってあげる。誰のこと? 萌子は息を飲み、 「何よこれ!」 と、横から携帯を奪った。 愛菜も、胸の辺りが不快にムカムカするのを感じた。 ――どうしよう……!? 血の気が引く感覚とはこのこと。 今日は眠れないかもしれない。なぜなら次の標的が紋次郎なのである。彼らが本気なら、自分や萌子も危ないからだ。 と、そのとき、急にドアが激しく叩かれた。 「おい! 佐々木! 由川! 開けてくれ!」 大津の声だった。 「どうしたんです?」 愛菜が入口を開けてやると、その巨漢はニュッと現れざまに、 「加納が見つかった!!」 と、天も裂けよとばかりに叫んだのである。 「彼は無事ですか!?」 「よし! 行こう!」 それを聞いてすぐさま反応を返した萌子と紋次郎に対し、 「は、はい! 今準備します!」 愛菜は一拍ほど返事が遅れた。 つづく ![]()
第1話はこちら 第2話はこちら 第3話はこちら 第4話はこちら うさぎ探偵! PROF.1 夏休みは殺人(5) 05 ちょうどいいタイミングでそこを通りかかったのは、全くの偶然だった。 喉が渇いたのでジュースでもと、買いに来たのである。 軽井沢といえば昔は避暑地の代名詞だった場所だけに、吹く風も、都心あの赤外線ヒーターのようなドロリとした感はない。だがそれでも昼下がりになれば、10秒で熱中症を起こしそうになる程度には暑い。飲み物でも飲まなければやってられない。 ロビーは静かで、アルバイトの男性がフロントであくびを噛み殺していた。 だが、一角だけやけに騒がしい場所があって、がやがやと不快な雑音がこっちまで伝わってくるのである。 例のしゃべるうさぎと、その飼主達だ。 何かに夢中でこちらには気づかないようだが。 「これ、どういう意味だろう……」 紋次郎が何かに悩んでいて、その相談に愛菜と萌子が乗っているようだ。 「どういう意味も何も、そのままでしょ? 『加納の奴チョーパーうぜえ。1年のクセにエース狙ってんじゃねえよ。先輩は俺の嫁だっつうの』。つまりこの人、加納君のことが嫌いなのよ」 「…………!」 自販機のボタンを押そうとした、まさにその瞬間だった。 本当に心臓が止まるかと思った。 「それくらいは分かるさ。そうじゃなくて! 文章全体がしっくりこねぇってことだ。たとえばこの『俺の嫁』って言い方とか」 「どこが? アニメの気に入ったキャラとかに言う奴でしょ?」 「アニメのキャラねぇ……」 「ねぇねぇ。この書き込み自体が実はあたし達とは何の関係もなくて、単にアニメの話をしてるだけ、ってことはないの? ほら、名前だってただ『加納』としか書かれてないし、どこの加納さんか分からないよ」 「いや、萌子、それは1つ前の書き込みを見れば分かるぞ。間違いなく、今行方不明になってるあいつのことだ」 「ん? えーと……『なんて名前なの?』『加納政貴だよ。目中高1年。すっごい生意気な奴。そもそもテニスラケットが似合ってねえんだよ』。あ、たしかに」 「いちいち声に出すなアホ愛菜!」 「うるさいわね」 「いいけど。……でも何だろう。なんでこれ、わざわざ区別してやがんだ?」 「え? 区別?」 彼らの会話はその後も続いたが、もはや詳細に聞き入る精神的ゆとりはなかった。 「…………」 自販機のボタンを光らせたまま、立ち尽くす。 ――どうする……!? どうすればごまかせる? そんな考えばかりが、頭の中をぐるぐると駆け巡った。 だが不思議なことに、加納という人間がこの世から消えた事実に関しては、後悔や感慨、もしくは自責の念といったものは一切浮かんでこなかった。 *** 死体らしき物を目撃した人がおり、1人の生徒が行方不明になり、さらにその生徒を罵倒する書き込みがある。 それぞれは単なる状況証拠でも、ここまで重なればもう偶然ではない。 やはり加納は殺されたのかもしれない。 警察に捜索願いを出す時間までまだ間があるが、それまでに調べられることは調べておきたい――。 愛菜達3人(2人と1匹)が聞き込み捜査をすることにしたのは、そんな気持ちからだった。 テニス部の練習は、ホテルの裏手にあるテニスコートで行われていた。 1コート1時間2000円のレンタルを、4コート全て5日間みっちり貸し切ったそうで、バスでわざわざ軽井沢くんだりまで来たことといい、全く豪勢な部だ。 もっとも、豪勢なのにはそれなりの理由があって――。 「おらああああああああ!」 「そっち行けそっち!!」 「死にくされ!」 「とろとろしてんじゃねえ!」 「顔じゃなくてラケットで打ち返せよ!」 ほとんど怒号しか聞こえない。叫び声そのものが独特の世界を形成し、部外者の侵入を拒んでいる。 テニス部は激しいことで有名なのだ。ただ激しいだけなら他校も同じだろうが、うちは練習風景がまるでプロレスの乱闘のようなのだ。女子部員が増えないのもそのためだそうで。 それだけに全国大会では常連らしいのだが。 「……え? 次期エース?」 45分に1度しかない休憩の時間を見計らい、愛菜達は部員に話しかけた。 練習中は鬼の形相だった清水は、話しかけた途端、シュウッと魔法のように表情を穏やかにした。ビフォア→アフターみたいでちょっと怖かった。 「はい。加納君がそれを狙ってたって聞いて。ホントなのかな、って」 「ああ、その話か。うん。本当だよ。といっても、うちじゃ常識だけどね」 「常識?」 萌子の腕で紋次郎は眉をひそめてた。 「だって、テニスが好きならみんな上手になりたいさ。きっぱり言えば、たかがそれくらいの野心も持てないような奴は、うちにはいらない。プロを目指す連中って、そういうもんだろ?」 「……はぁ。そうですね」 愛菜は曖昧にうなずいた。 「ありがとう。よし、次行くぞ。練習再開まで間がない」 紋次郎も早々に話を切り上げる。 言葉はもっともだが、あくまで一般論であり、今はそういう話が聞きたいのではない。 そこで、別の人に声をかけることにする。 1年生の金田がちょうどいい。彼はたしか加納のクラスメートだ。 「金田君……いい? 加納君のことなんだけど……」 愛菜は、ヘタリ込んでいる男の子を横から覗き込んでみた。物凄い激しい息を繰り返しており、話せる状態には見えなかったが。 「……ちょ……ちょっと待って……。これが3日間はキビシすぎる……」 少しだけだが他の男の子に比べて華奢なため、ハードな練習についていけてない気がする。 「少し放っておいてやれ。1年どもは3時間ラッシュは初めてだからな。加納がどうしたって? あいつ、昨日からずっと見かけないけど」 対し、大津はやけにひょうひょうとしていた。 だが行方不明のことは聞いてないらしい。 「…………。さ、さあ、どこに行ったかまでは……」 愛菜は一瞬答えに戸惑ったものの、とっさにごまかした。ボール拾いをしていた先生が、こちらを一瞬見て、首を小さく横に振ったように見えたからだ。 「いやね、あいつが次期エースを狙ってたって聞いて。エースとかキャプテンとかって、普通3年生がやるもんだろ?」 紋次郎は、萌子の腕の中で、楽な姿勢を探してうだうだ動いていた。それを萌子が鬱陶しがって下に降ろそうとするので、静かな攻防戦の様相を呈していた。 「ああ、あいつの意気込みは特別さ。あいつはテニスのこととなると、いつもみんなに噛み付いてるよ。口喧嘩くらいならいつもなんだ。それくらいの熱意だから、当然エースくらい狙ってるんじゃないかな」 「口喧嘩って、『熱意の現れ』ですむことなんですか?」 部の雰囲気としては分からなくもないが、愛菜としては、日常的に喧嘩する人ってどうよ、と思う。 すると金田が、ようやくといった様子で息を整え、 「それは部活中だけだよ。見てると面白いんだよ。終わると『生意気言ってすいませんでしたー!』とか、コメツキバッタみたいに謝るんだ。そういう意味じゃ、彼も清水先輩タイプだね」 と少し笑った。 「ああ、あれか……」 紋次郎が苦笑気味につぶやいた。 愛菜は、さっき清水に話しかけたとき、鬼のような形相をパッとほころばせたのを思い出した。 「ふぅん……。じゃあ、部活中の態度のことで、あいつを悪く言う奴はいないってことか?」 そして頃合いを見て、紋次郎が核心を突く。そもそもそれが知りたかったのだ。 彼が殺された理由だ。 「多分だけど……いないと思うよ。彼、何げにテニス歴が2番目に長いから、怒りながらアドバイスとかくれるんだ」 「割とツンデレ系だしな」 金田と大津は口をそろえてそう答える。 この2人に関しては、本当に彼に悪意を持ってないようだ。 と――。 「おーい! 紅白やるぞ! 今日はそれでラスト! 佐々木! 由川! すまんが後にしてくれ!」 先生がそう言ったので、聞き込みは終わりである。 だが紋次郎としては収穫はあったらしく、 「なるほどな」 何やら1人で勝手に納得し、ブッブッと鳴いた。 *** 人間、自分でも驚くほど頭の回転が早くなるときはある。 今がちょうどそうなのだろう。 ――どうする……? 後悔などしても遅いし、意味がない。問題は、これからどうすべきかだ。 もう随分長いこと悩んだ。 「…………」 ――そう。簡単なこと。 だが考えた時間の長さの割には、答えは単純だった。 「あいつがいなきゃいいんだ」 名案に思わずほくそ笑んだ。 つづく ![]()
第1話はこちら 第2話はこちら 第3話はこちら うさぎ探偵! PROF.1 夏休みは殺人(4) 04 朝の風の涼しい時間は終わり、太陽がジリジリと熱を発し始めていた。 「捜索願い、出しませんか?」 最初にそう言ったのは、他の誰でもなく愛菜だ。 何だか無性にそうした方がいい気がしたのである。 いなくなった生徒がいる。 加え、もしかすると起こったかもしれない殺人。 どちらか片方なら気のせいで済むかもしれないが、今回は2つ同時に起こっているのだ。 「警察に?」 だが渡辺先生は眉をひそめた。 彼は昨日の紋次郎の推理を聞いていない。夏休みの旅行に浮かれている生徒の気持ちを思えば、少し消えたくらいで大袈裟だ、と考えたのだろう。 たしかにそれも理解はできる。 「彼の携帯に電話しても駄目だったんですよね?」 「あいつ元々持ってないんだ」 「そうなんですか……」 愛菜は心配になってきていた。 事件という非現実的なものが、じわじわと現実味を帯びてくる。焦りにも似た感覚。 だからこそ人は、大丈夫な可能性に逃避しようとするのだろう。 「でも愛菜ぁ。加納の奴、こっちに着いたらなんか計画があるとか言ってたし、案外その辺で女とフケてんのかもよ?」 耳をポリポリと掻きながら、まどかは考え込むように眉間にしわを寄せた。 果たして事件なのか、若気の失踪なのか。本人が不在なだけに、その区別は非常に難しい。 「昨日着いたばかりでいきなり現地妻か? ……まぁ、そういうのは、その場で口説いてすぐ床に入るもんだけどさ」 紋次郎は後ろ足で立ち、鼻をヒクヒクさせて小さくブッブッと鳴く。 「ねぇ、そんな言葉どこで覚えたの?」 「知るかよ。だったら萌子はどこで覚えたんだ。エロ本か?」 「ち、違うわよ!」 昨日から何度も聞いた2人のかけ合い漫才も、あまり笑いたいという気持ちを起こさせはしなかった。 と。 不意に、食堂の入口にオーナーが顔を出した。 「あの! 皆さん! 妻が目を覚ましました!」 彼はその、限りなく中年太りに近い腹筋を揺らす。 「お、待ってました! 彼女が起きたら教えてくれって、頼んどいたんだ」 加納の捜索願いの話が一時中断したのは、彼に紋次郎が飛びついたためだ。 どのみち110番するなら、唯一の目撃者の話を聞いてからでも遅くはないだろう。愛菜はそう考えた。 もっとも、加納政貴は決して遊びに出かけたわけじゃない――。 それが彼女の中で、いつの間にか確信に変わってはいたのだが。 オーナーの奥さんは、彼自身よりも少し年上に見えたが、だからといって姉さん女房という感じはしなかった。 慌てたように制服を着込み、バタバタと騒がしく登場した。 「申し訳ありません! 寝坊してしまいまして……」 掃除道具を持って、謝りがてら食堂の前を横切る。 玄関の方へ向かう彼女を、だがもちろん、紋次郎は止めたのだ。 「待ってくれ。昨日の話を聞かせてくれないかな」 「……!」 すると彼女は、身につまされたように急に立ち止まり、何事かを考え込んでしまったのである。 やはり昨日なにか見たのだ。 よほど恐ろしかったのだろうか。こちらを見ようともしない。 「昨日の夜、あんた何を見て気絶したんだ?」 「…………。いえ……あのときは暗かったですし……何かの勘違いかもしれません……」 「ああ。勘違いならそれに越したことはねぇ。けど、その勘違いも含めて聞きたいんだ。あんたが見た物は、いったい何に見えた?」 紋次郎が訊いても、彼女はしばらく何も答えなかった。 数秒も黙りこくり、ようやく考えをまとめた、といった様子で、 「……あの……その……知らない男性が……倒れていました」 ゆっくりと言う。 「で、それが死んでるように見えた、と」 「はい。首にロープが巻かれて……変な方に、曲がって……」 彼女にとってはかなりショッキングな光景だったようで、しゃがみこんでしまった。 「何を見てそう思ったんだ? 僕が駆けつけたときは何もなかったぞ」 オーナーは奥さんの肩に手を当てて、支えるようにして立たせる。 「本当に!?」 すると彼女は驚いたように振り返ったのである。 「本当だ」 紋次郎はほほのヒゲを震わせ、「その男……まぁ、男に見える何か、かもしれないけど、俺達が現場に着いたときには何もなかった。念のため朝起きてすぐも見に行ったけど、同じだった」 「じゃ、じゃあ、あれはやっぱり気のせい……?」 「分からない。実は男子生徒が1人、行方不明なんだ。遊びに行っただけかもしれないそうだが、もしかすると……」 「…………」 紋次郎が語尾を濁すと、それっきり、言葉を続けようとするものはいなくなった。 場がしんみりした頃になって、紋次郎は渡辺先生に言った。 「なぁ、加納の写真とか持ってないか?」 「写真? ……ああ、誰か携帯に持ってるかもしれないな」 先生がうなずくと、奥さんがそのとき初めて食堂内を、「えっ!?」という顔で見た。 ずっと向こうを見ていたため、色々話しかけてきているのは先生だと思っていたようで、自分が会話を交わしていた相手を慌てて探したのである。 「あと、昨日時点でどんな服を着てたか、思い出せる奴を探してくれ。ありったけの情報を集めて、昨日奥さんが見た男が加納だったのか、確認するんだ。そんで、今日の夕方までに奴が戻らなかったら、捜索願いを出そう」 「そうだな。妥当だ」 「…………」 先生が獣と普通に会話してるのを見た奥さんの顔。 愛菜は一生忘れない自信があった。 *** 色々不安を抱えていても、たとえ殺人事件が事実だろうと気のせいだろうと、時間は否応なく進む。 時計の針は午後2時を指していた。 「ありがとうございました。助かりました」 愛菜はエンジンを切り、ペコリと会釈した。 オーナー所有の400ccバイクは、普段250ccに乗ってる彼女としては、かなり大きく見えた。 「構いませんよ。ゆっくり遊んでくればよかったのに」 「いえ、貸してもらえただけで充分です。1人で遊んでもつまんないですし」 愛菜は背中の大荷物を抱えなおし、鍵を返した。 どこへ行ってたのかというと、町内にある牧場へだ。人間と同じ物は食べられない紋次郎のために、飼葉を調達し行ってたのである。 動物をホテルに勝手に連れ込んだことを謝ると、オーナーは簡単に許してくれ、あまつさえバイクも快く貸してくれた。 パンパンに膨らんでいるリュックの中身が、その飼葉。 しかも紋次郎の奴、自分はお菓子しか持ってきてないくせに、味だの噛みごたえだのとワガママを言い、飼葉の種類まで「アルファルファじゃなきゃ駄目だ」などと注文つける始末。全く贅沢なうさぎだ。 んで、こっちゃ苦労して戻って来たってぇのに、当のうさぎとその飼主ときたら、ロビーでイチャイチャしていたりする。 「ちょっとお! あんたまたあたしの携帯使って!」 「気にすんな。どうせ共用だ」 「いつからそうなったのよ! パケット使うとあたしが怒られるんだから」 2人で携帯取り合ってやがる。紋次郎がひざに乗せると、それはノートパソコンのようだ。 「持ってきたわよ! ご注文の飼葉!」 リュックを降ろすと、肩が急に軽くなった。 「あ、ありがとー!」 萌子はぴょこんと飛び上がって、ひょこひょこ駆けてきた。 「こんだけあればいいでしょ?」 「うん。充分よ。ほら、紋次郎も何か言いなさい」 「おう! ありがとな!」 こっちなんざ見もしねぇ。 「何やってんの?」 なので、愛菜の方から覗いてみる。 うさぎが何やってんのかと思ったら、ネット掲示板だ。 しかも背景がドス黒い感じの、あんまし健全とも思えない類の。 「うわ。何見てんのあんた!」 「これだよ。この会話の根っ子を探してるんだ」 器用にいくつかのキー操作をしたのち、画面を見せてくれた。 無論――。 「何よこれ……!!」 それを見て、愛菜が驚かないわけがなかったのである。 「え? 何だったの?」 覗き込む萌子にも見せてやると、やはり驚いていた。 Re:うちの学校にさ at ごぶりん 2008/07/23 01:23:56 加納の奴 チョーパーうぜえ 1年のクセにエース狙ってんじゃねえよ 先輩は俺の嫁だっつーの! Re:うちの学校にさ at 蓬餅 2008/07/23 01:24:21 あはは。じゃあ、いっそヤっちゃう? Re:うちの学校にさ at ごぶりん 2008/07/23 01:26:03 いいよもう やっちゃってよ! 彼を名指しで中傷する書き込みだった。 行方不明になった、その男を。 つづく ![]()
第1話はこちら 第2話はこちら うさぎ探偵! PROF.1 夏休みは殺人(3) 03 ガヤガヤと騒がしい宴会場に、突如として届いた声。 「死んでる! 死んでる!」 思わず目を見合わせた愛菜と萌子の前に、その場にいた誰よりも先に押っ取り刀で飛び出してきたのは、紋次郎だった。 「おら、お前ら急げ!」 愛菜はそのときまだ、どこからの声だったのかを探しあぐねていたのだが、うさぎである彼にとって、それは難しいことではなかったらしい。 「多分、駐車場の方だ!」 その長い耳を左右別々にキョロキョロさせながら、タンタンッと階段を軽快に駆け降りて行く。 2人は慌ててついていくのが精一杯だった。 このホテルは何度か増築されて今の広さになったらしく、比較的奥まった場所にある宴会場から外へ出るには、ジグザグと複雑に連なった廊下を駆け抜けねばならなかった。 普段ならちょっとした探検気分を味わえるんだろうが、急いでるときはもどかしい。 駐車場は、大型バスでも入ると満杯になってしまう広さで、今は軽自動車とバイクがそれぞれ1台ずつあるだけだった。 靴をいい加減にはいて飛び出す。 だがその途端に思った。――夜が暗い。 この山間の集落には街灯などなく、しかも今日は雲が多く月明かりもやや弱い。 「おい! ここだ、ここ!」 紋次郎がほんの数メートルの場所から呼ぶのが、声の方向でようやく分かり、近寄って初めて女性が倒れていることに気づく。 女性はこのホテルの従業員服を着ており、そして気を失っていた。 ところが――。 「……??」 おかしなことに、それ以外、これといって何もなかったのである。 「この人、さっき死んでるって叫んだ人よねぇ?」 萌子は首を捻った。 「あの!? ……何があったんですか!?」 と、小太りの男性が血相を変えて飛び出してきた。このホテルのオーナー。 ちなみに常勤の従業員は、アルバイトを除けばこの2人で全部である。夫婦で親族経営してるそうだ。 「私もたった今来たんで……」 愛菜は困惑した表情を、そのまま彼に見せた。 「あれじゃないかな。ほら、虫が死んでる」 不意に、一緒についてきた清水が、メガネを整えながら停車中の車の脇を指さす。 そこにはたしかに虫がいた。 「うわ!」 かなり大きく、愛菜は本気で後づさった。 目算で5センチ以上あり、潰されて内臓が飛び出ている。なるほど、これは驚く。 「俺はこの人を運ぶ。清水、おまえ戻ってみんなを落ち着かせてこい」 「はい、渡辺先生」 「あ、申し訳ありません、お客様。私が肩の方を」 オーナーと先生が女性を抱え上げる。 それを見て、愛菜は宴会場に帰ろうと思った。 しかし。 紋次郎だけはそう思わなかったようで、しきりに周囲を嗅ぎ回るのである。 「行こうよ」 萌子が自分を捕まえようとしても、それをスルリと抜けた。 「いや、おかしい。何もねぇはずがねぇ」 と、油断なく周囲を見渡し、「オーナー! ちょっと待ってくれ」 自分が無断で泊まっている立場だということも忘れて、オーナーを呼び止めた。 「はい?」 当の本人は、誰に呼ばれたのか分からなかったようだが。 「あんた、実は新婚ホヤホヤってこたぁねぇよな?」 「えっ!?」 彼は、うさぎがしゃべってることに気づいて、本当にギョッとした顔をした。 「結婚して何年目だ?」 「は、はい。今年で3年目です」 「分かった。ありがとう。連れてってやってくれ」 「はぁ……」 首をかしげつつ去っていく。その気持ちよく分かる。 その場に残ったのが自分と萌子だけになると、愛菜は紋次郎に訊ねた。 「どういうことなの?」 なぜオーナーが新婚かどうかが問題なのだろうか。 だがその質問に、紋次郎はあからさまに顔をしかめ、 「これだから人間は! あのな? 土や泥に触れたこともねぇお嬢様じゃねぇんだ。こんな半分ジャングルみてぇな場所に3年もいて、たかがオニヤンマの死骸で気絶までするわけねぇだろ!」 「……あ、そっか」 トンボの大きさに惑わされたが、蚊もいないような都会で生まれ育った身には珍しい巨大昆虫も、田舎では比較的日常的な存在だったりする。 「でも……だったらあの人、何を見たの?」 萌子が改めて周囲を見渡すが、とにかく暗くて何も見えないのだ。 草藪はもちろん、ただ建物の明かりが届かないだけの場所ですら、常闇の地獄のようである。 これが田舎なのだと痛感した。 とはいえ、念のため携帯電話のフラッシュライトで周囲を照らしてみても、同じだったのだが。 だがそれでも、紋次郎は腕を組み、半分確信があるような言い方をした。 「問題は、彼女が『キャー』と叫んでから、『死んでる』って言うまでに2~3秒の間があったことだ。つまり自分が見た物が気のせいじゃないって、確認する時間があったのさ。トンボと同じ理由で小動物の死骸も考えづらいから、それを思えば可能性は1つ。 ……人間だよ。人の死体しか思いつかない。しかも今はないってことは、彼女の声に驚いた犯人が運び去ったか、彼女が運ぶ最中の場面を見たのか、とにかく被害者は人に殺害されたんだ」 「えー!?」 もしそうなら大変なことだが、話が突拍子もなさすぎだ。 「本当なの? 紋次郎」 萌子もあまり信じられないらしく、小首をかしげた。 「もちろん絶対の確信があるわけじゃないけどな」 紋次郎は飼い主の肩によじ登り、軽く首を振った。 「じゃあ。警察に連絡しとく?」 彼の言ったことが事実なら、当然そうすべきなのだろうが……。 「ん~……。オーナーの奥さんが目を覚ますのを待とうか。単に俺がトンチンカンな推理をしているだけなら、それはそれでいいんだから。残念ながら、それなりに自信はあるけどな」 言って、紋次郎は後頭部をポリポリと掻いた。 *** 最終的に、オーナーの奥さんはその夜、目を覚まさなかった。 ここ数日ほど忙しかったのだそうで、その疲れもあったようだ、とのこと。 愛菜自身は、今いち実感が沸かなかったこともあり、眠れないということはなかった。 翌朝7時頃になって、ベルの音で目を覚ます。 寝起きで不機嫌な萌子に無理やり身なりを整えさせ、ロビーで朝食をとった。他の部員はとうに済ませたらしく、2人だけだった。 ごはん、みそ汁、卵焼き、総菜、お茶。オーソドックスな日本食。 「ほら、萌子。箸の持ち方が悪いわよ」 彼女は相変わらず握り箸が直らない。 「んー? えーと……こう?」 「こうよ」 「こう?」 「こう!」 「こう?」 「こう! ほら見て。こうよ、こう! 分かる? こう!」 「愛菜あたしの卵焼きちぎんないでよ」 そんな話をしていると、ふと、外で食べられる雑草を探していたはずの紋次郎が、駆け込んで来た。 「おい、面白いもんが来たぞ」 「ん?」 そう言われ、彼が指す方向を見やると。 「おはよー……」 まどかだった。 しかもなぜか全身泥だらけで、命からがらといった様子だ。 そういえば昨日あの騒ぎのあと、彼女は宴会場から消えていた。みんなからは部屋に戻ったと聞かされたのだが。 「うわ! あんたどうしたの!?」 「それがさあ、なぜか見知らぬ草藪の中で目が覚めてさ。やっとの思いで戻って来たのよ」 と彼女は、腕をポリポリ掻きながら言った。虫さされだらけである。 「草藪……!?」 ってゆーか、煮物のアルコールでどんだけ酔っ払ってたっちゅーねん。 と。 「あ、いたいた! おーい! 宮島!」 今度は渡辺先生が来た。 「あ、おはようございます」 「おはよう。おまえらどこ行ってたんだ。練習始めるぞ!」 「げ~! パスパス!」 「げ~! じゃない。加納はどうした? 一緒じゃなかったのか?」 「は? なんであんなのと一緒なんです?」 加納といえば、行きのバスの中でまどかをハエトリ草呼ばわりした男の子だ。 まあ、普通に考えて、彼氏でもない男と朝っぱらから2人きりにはならないと思うのだが、ところが先生は心底意外といった顔をしたのである。 「なにぃ~~!? 困ったなぁ……あいつも行方不明なんだよ」 と、大きな声を出す。 その瞬間――。 「……!!」 「それって……」 「お、おい!」 昨日の紋次郎の推理を思い出したのは、なにも愛菜1人というわけではなかったようだ。 そういえば、昨日の宴会のときには、すでに見かけなかった気がする……。 つづく ※次回 第4話は8月23日(土)の更新です。 ![]() │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |