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<私のお気に入り温泉
奥伊豆温泉に行ってきました いろいろなイベントで忙しい日々を送っていると夫婦喧嘩 多くなり、お互いに疲れているんだなァ~! ちょっと息抜きをしなくては・・・ 夫婦で同じボランティア活動をしていると、どうしても意見の 食い違いが出てきます 結婚して30年以上になりますが、お互いに全く違う仕事をしてきたので 相手のやり方が、今ひとつ判らない事が多々あります まして、我が家は今まで<すれ違い夫婦>だったので毎日々々顔を合わせて いると、どうしても意見の相違があって喧嘩になってしまうのです 二人とも頑固なので絶対に自分の考えに固執してしまい、相手の意見を 全く聞こうとしない・・・のが原因です 温泉 朝、7時に家を出て東名高速を沼津まで行きました 良く晴れた日で富士山が綺麗・・・ 西伊豆、東伊豆、中伊豆の温泉は、今までも行きましたが奥伊豆・大沢温泉は 始めてです どんな所かしら? 三島で叔母の墓参をして・・・ 墓地からも富士山が美しく望めました 地魚専門の寿司屋 大沢温泉へと車を走らせました 依田之庄の前を流ている「那賀川」沿いには、桜の木々 植えられています 春になると、さぞ綺麗でしょうね! 那賀川の水は、とても澄んでいて蛍を育てることも出来るそうです さあ、いよいよ到着しました 文化財 歴史と日本文化の良さを体感できる温泉です 玄関を入ると、もうそこはタイムスリップした時代が広がっています 依田氏は、平安時代末期に信濃源氏の一族として、 信州・小県郡依田之庄に興った。 信濃守源為公の六男「依田六郎為真」で、今の長野県小県郡 丸子町に、依田城を築いた。 その城こそ治承四年(1180年)(木曽)源義仲が 旗揚げした所であった。 しかし義仲挙兵が、やがて源頼朝によって破られると、義仲に組した 依田一族も各地に逃れ散っていった。 南北朝初期(1330年)ごろ、飛騨の国にいた依田義胤が再びこの依田之庄に 来て城を築いた。 彼こそが伊豆大沢の依田家の先祖と伝えられている。 南北朝から室町時代にかけ、甲州の武田勢は、依田一族をも従え、 義胤の後、依田出雲守正信は、武田信玄のもとで武功を挙げていった。 それによって甲斐国東河内領宮木(今の山梨県南巨摩郡中富町)に領地を 賜った。 「甲斐国誌」によると、大永から弘治年間(1520~1560年)頃で、 依田正信はここの屋敷内に曹洞宗円通寺を作り、晩年は出家した。 正信の後は、和泉守正治、正房、正義と続くのだが、やがて武田勢が 甲斐から駿河に進出すると同時に、依田一族も駿河の要衡、江尻城 (今の静岡県清水市)の防備を任された。 天正10年(1580年)武田勝頼が、天目山に於いて織田・徳川の連合軍に 破れ、武田家が滅亡すると、依田家は遠く奥伊豆・大沢の地に落ちのびて いった。 天下は、織田から豊臣に代わり、秀吉の北条氏攻略によって伊豆も戦場に なった。 関が原の戦い、大阪冬の陣、夏の陣と戦乱が広がり、落人としての依田氏は、 しばし隠遁生活を余儀なくされた。 そして三代目佐次兵衛貴長になり、ようやく名乗りを上げることが出来た。 今見る瓦葺の母屋と土蔵の一部は、この貴長により元禄年間 (1688~1704年)、約13年間の歳月をかけて完成したと云われている。 母屋を出て、客室へと通じる外廊下の前に3っの土蔵が建っています 一番左の土蔵は客室になっていて泊まれるそうです 「今日は予約が入っていませんので、どうぞ中をご覧下さい」 と言われて覗いてみると、蚕部屋を現代風に改造した部屋でした 3っある温泉は、全て源泉掛け流しです 早速、最上階の露天風呂に行きました 広い浴槽が二つあって、気持ちの良い風が吹いています ふと、上を見ると暮れかかった空に三日月が・・・ 何て綺麗なのでしょう! そういえば、久しく月を見る時間もなく慌しい毎日を過ごして きたのだなァ~と改めて思いました ゆっくり三日月を眺めながら、温泉に入って・・・ 私は、こんな<ひととき タイの想い出・小物を購入したい人は、Deco-styleのショップ ![]() [温泉]カテゴリの最新記事
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