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母校、鳳高校のオーケストラ部が、12月に東京で開催される、第17回全国高等学校選抜オーケストラフェスタに出場する事が決定したそうです
私が所属していた昭和40年代後半は部員も少なく超低迷期で、昭和20年代後半の全盛期にテレビのショーに出演したり、大阪フィルの朝比奈隆氏が来校し共演したりしてたという「過去の栄光」を聞くと、暗くなったりしたものでした そんな折、一部の先輩がロックやジャズの同好会を退部して創ったり、弦楽器(バイオリン、チェロなどの)が少なくなったので、ブラスバンド(吹奏楽部)に編成し直そうとかいう話も出てくるほど、オーケストラ部崩壊の危機でした しかし当時病床に伏していた担当の恩師(創部音楽教師)の事を考えると、あくまでもオーケストラでやって行こうという結論に達しました それまで3年生は秋の演奏会で引退という事でしたが、3学期の卒業まで頑張ってもらい、新入生歓迎会の4月にも、浪人、大学生の先輩にも学生服を着て貰い、同好会を創った先輩や他部所属の楽器経験者にも助っ人として出演して貰ったりして、何とかオーケストラの体制を維持していきました 私も3年になると、トランペットのポジションを後輩に譲り(後輩の方が上手かった?)、誰もなりたがらないスネアドラムや指揮者(あまり楽譜読めへんのに?)をしたりとか・・・・(汗)。 卒業後数年経ってから、オーケストラ部が徐々に復活してきたという噂は聞いていましたけど、まさかここまでとは驚きです 確かに周りを見ているとOBには、大学のオケ部や堺フィルハーモニー所属していた人達がたくさんいましたので、彼らが高校のオケ部をフォローしていったのでしょう 2,3年前から普通科後期試験から単位制の前期試験に変わり、学区関係なしの大阪府全域から音楽好きの生徒が集まるようになり、よりイイ方向に向いているようです オケ部OBに、映画化もされた「ビート・キッズ」原作者の児童文学作家の風野潮さん、ゴスペルシンガーで近大講師の文屋範奈さん、劇団四季の看板俳優だった故小林克人さんらがいますが、彼らもあの夏になると40度近くにもなる、暑い暑いプレハブの音楽室で練習をしていたのでしょうか ※大阪の中学の吹奏楽部を舞台とした『ビート・キッズ』で、数々の児童文学新人賞を総なめにした風野潮さんは、このビートキッズをオケ部時代の経験を元に書かれたそうです。 ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚 ※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.com にほんブログ村< お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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