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     トランクルーム貝塚のオヤジ奮戦記

     トランクルーム貝塚のオヤジ奮戦記

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2016.12.26
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「還暦 おいらもドラマー」という題で、今朝の朝日新聞大阪版に私に関する記事が掲載されました。

10年前に織物工場を改造したトランクルームの一部に防音&防振工事を施して、貸しスタジオ(リハーサル音楽スタジオ「スタジオ0724」貝塚市名越661 トランクルーム貝塚 別館1F 072-446-0798)をオープンさせたという記事です。

現場作業をしている時に取材に来られましたので、作業服姿でドラムを叩いている写真が気になりますが・・・(笑)。

ちょうど10年前の織物業からトランクルームに転業した時に、朝日新聞の記者が取材に来られました。

「あれから10年・・・」というのが今回取材の趣旨のようです。

「10年ひと昔」と言いますが、何でも10年経てば相当変わります・・・

50歳目前の49歳の時に、祖父の代から続いていた織物業を自分の代で「辞める」には相当心の中で悩み葛藤しました・・・

しかし「次のステップ」を考えれば、今の「40代しかない」というのが決断を後押ししました。

当時40代と言っても、ギリギリの49歳ですが・・・

この49歳と50歳の「壁」がとてつもなく大きいのです・・・

サラリーマンを辞めたのも29歳の時で、30代になればズルズルと楽なサラリーマン生活を送ってしまうだろうと危惧したのでした・・・

まァ、この決断が遅れて50代に突入していれば、そのままズルズルと織物業を続けていけたかもしれませんが、その2年後のリーマンショックの波に飲み込まれていたかもしれません・・・

後から思えば、私の49歳での決断が正しかったのかと胸を撫で下ろす次第です・・・

「あれ(織物業からトランクルームに転業)」から丸10年。

ついに、今年還暦の60歳を迎えました。

あっと言う間の10年とは、この事を言うのでしょう・・・

トランクルームへの転業から2年後に宅建資格を取り不動産業も始めました。

宅建資格を取っただけのズブの素人が歴史も古く同業者も多い不動産業界への「新規参入」は、当たり前ですが当初から中々思うように上手くは行かず、「戦略」変更に次ぐ変更で大苦戦を余儀なくされました・・・

10年で80%の業者が倒産廃業する業界です。

全くの素人が起業1,2年で不動産1本で食べていくのは、ほぼ100%不可能です。

考えれば当たり前の話で、弁護士でも医師でも秀才が青春を犠牲に死ぬほど勉強してその超難関の国家資格を取ったとしても、1人前に飯が食えるようになるのは「そこから」まだまだ時間がかかるのです・・・

それどころか、コミュニケーション力不足とか根本的に適正不適格とか気力&体力不足で人知れず途中脱落する者がいるのも事実で、残念ながら机上の勉強だけで乗り切る事がデキない非常に難しい仕事だったのです・・・

それが、たった1年程度の宅建受験勉強で資格を取ったとしても、1,2年でメシが食えるはずもありません・・・

強いて言えば、まだまだFAXでのやり取りが中心のITに関してまだまだ遅れている不動産業界だったから、トランクルームで勉強しまくったIT技術を駆使したWEBでの集客だけで生き残れたと言えるかもしれません・・・

まァ、トランクルームの「副業?」でヤッテいるようなものですから、まだ継続できているだけでしょう・・・

奥が深く長い実務経験がモノを言う不動産仲介の世界で確固たる自信を持てるには、この調子で兼業しながらいくとすれば、あと最低10年はかかるでしょう・・・

最終的に「狭く深く」貝塚市に絞り、不動産コンサルティングマスターとファイナンシャルプランナーという資格を活かしてコンサルティングを絡めた仲介オンリーというスタイルに落ち着きました。

あと40年100歳まで生き、あと20年80歳くらいまで不動産の仲介屋をボチボチやるつもりなので、こんなロングスパンでモノを考える事がデキるのでしょう・・・(笑)。

もちろん仕事オンリーではなく、これから趣味や旅行の遊びの比率をドンドン上げていき、80歳では夏と冬はハワイにロングステイし、文字通り80%くらい遊んで暮らしているのが理想です・・・(笑)。

そして3つ目のビジネスである、今回の記事にある「リハーサル音楽スタジオ」を還暦の節目である今年の3月から始めたのでした。

60歳になって思う事は、記事の通り「やり残し」感がまだまだあった・・・という事です。

結婚前の20代前半までの未だ悔いが残っている、ヤリ足りなかった、やりたかった、不完全燃焼だった・・・

これらを還暦を機に「再挑戦」するのです。

20代前半でバンドでドラムをやっていて、自宅納屋でドラムを叩いていましたが、当時はドラムスクールもなく自己流でドコドコ叩いていた為、1年半で挫折してしまいました。

当時は朝5時から家業の織物工場で3時間働いてから大学に行き、大学では空手やウインドサーフィン、土曜の夜はディスコやライブハウス、盆踊りやだんじり祭に近づくと青年団活動・・・という忙しい青春を送っていた為、ドラムだけに集中できなかったのです・・・(笑)。

もちろん自分なりにそれぞれ青春を掛け一生懸命取り組みました・・・大学体育会で空手をやり、その後地元の空手道場に通い、ウインドサーフィンも大学に学連加盟のクラブを創部し、ドラムは中学の同級生らとバンドを組んみ・・・

結果的に空手もウインドサーフィンもドラムも、みんな中途半端に終わってしまい、早々と26歳で結婚してしまったのです。

それが、いつまでも「悔い」として私の頭の片隅に無意識のうちに蓄積していたのでしょう・・・

それが今回のスタジオ開業という「行動」の発端だけでなく、16年前のウインドサーフィン・ショートボードへの再挑戦であり、数年前の35年ぶり空手の再開に繋がったのでしょう・・・(涙)。

見方を変えれば、青春時代に「中途半端」にイロイロかじった空手やウインドサーフィンやドラム・・・これが逆にヨカッタのだと・・・(笑)。

若さに任せて、空手やウインドサーフィンやドラムを「一筋」に追求してしまった結果、ドツボの人生に嵌ってしまった人の多い事多い事・・・(焦)。

これら趣味嗜好のプロでメシを食えるのは、日本でも極々僅かだったのです・・・

若い頃から「これ一筋」は確かに美しく話題になったかもしれませんが、挫折挫折の連続の恥ずかしい青春でも細々と「趣味として」長く続ける事によって、やっと60のジイサンになって本当の楽しみがワカッタという事か・・・

もう30代や40代の仕事と子育てに忙しい年代ではなく、子供全員が結婚独立し、ある程度時間的にも金銭的にも余裕がありますが、何より残った人生に時間がそれほどありません・・・(焦)。

これが、あと10年待つ・・・なんて悠長な事を言っていたら、身体が思うように動かない「健康寿命」の70歳になってしまいます・・・

50からの10年が「アっと言う間」だったのに、60からの10年はもっともっと早く感じるでしょう・・・

もうアレヤコレヤ、ぐずぐずしている間が本当にないのです・・・(焦)。

文字通り、ヤルなら60歳の「今でしょ」・・・という感じです。

これを逃せば、一生悔いが残ります・・・

悔いが残る人生なんて、誰もがイヤです。

もちろん、誰もが60歳ともなればイロンナしがらみだらけに加え、残された気力&体力と健康状態に不安を抱えている人も多いと思います・・・

2,3年前に長年入会していた地元の商工会議所や経済クラブを辞めました。

団体で加入するのは不動産の宅建協会だけにしようと。

もう一度入会している意味を「新人」に戻って雑念を取り払って考え、残り少ない時間を考えれば自ずと結論が出ます。

当り前の事ですが、これもこれからの人生を考えての布石です。

残された人生(というよりも健康寿命70歳まで)で、何をやれるか何が出来るかを真摯に考えれば、デキる事はたかが知れています・・・

と同時に、自分の残りの人生で「何が大事で、何がどうでもイイ?」事かを見極める絶好の機会でもあったのです・・・

トランクルームとスタジオと不動産の「仕事」、ウインドサーフィンと空手とドラムの「趣味」・・・そればかりではなく、母屋の跡取りの長男としての親戚付き合いやファミリー全体の取りまとめ等モロモロの雑事も・・・

考えれば、キリがありません・・・

結局、最終的には「ヤルか?ヤラナイか?」という言葉に集約されるのです。

今回のリハスタに関しては、単なる思い付きで始めたのではなく、遡れば10年前のトランクルーム開業時に、会社の定款も変更して2室だけ「防音室」として売り出していたのです。

ところが、時代が早かったのか、全く反響が無く1年後には普通のトランクルームの部屋として貸さざるを得なかったのです。

それから、紆余曲折・・・やっと昨年秋に最終計画が練りあがったのです。

というか、家族の大反対を押し切ってヤッタのでした・・・

「どうしてもスタジオをヤリタイ・・・」「人生最期の勝負・・・」という、この岩をも通す強い一念が自分を駆り立てました・・・

と言っても、借金をせず全て自己資金で賄い弊社のポリシーである「無借金経営」を貫き、新たにスタッフを雇う事もなく、イニシャルコストもランニングコストも掛らないように、リスクゼロで起業したようなものですから家族を説得する材料は充分にあったのです・・・

そして改造工事・・・毎日工事現場に足を運び、工事内容も業者の職人さんに説明してもらい、納得のいく防音&防振工事が完成したのです・・・(涙)。

スタジオ経営の肝は、何と言ってもスタジオの基礎の基礎である「防音&防振性能」だったのです。

対策をしても音と振動が外に規制値以上に漏れたら、営業できるはずもありません。

投下資金と防音性能が必ずしも比例しないところに防音&防振工事の難しさがあり、このコストパフォーマンスを上げる事こそが、リハスタ経営のカギを握っていると言っても過言ではないでしょう・・・

平たく言えば防音工事専門会社に委託して、その職人さんにリハスタ経営者がへばり付いて工事を見守り監督すれば、安い割に高性能なスタジオが出来るという意味です。

万難を排して経営者自身がそこまでするか否か、出来るか否か・・・それだけの事です。

そして大手建設会社や一般的な工務店では絶対出来ないところに、この工事の特殊性と難しさがあり、何より経営者自身がミュージシャンとしてシビアな防音&防振理論と技術を本質的に理解できているか否かがポイントというのが、リハスタ経営の参入障壁を上げているのです・・・

これは正に、織物時代に24時間355日稼働だった工場の防音&防振工事と、全く同じ理屈だったのです・・・

織物時代に新工場建設と同時に、この防音と防振対策で夜も寝れない日が続いた苦悩の日々が思い出されたのです・・・

ALC壁の織物工場(エアージェット織機)の防音と防振なんて当時前例がなく、大手防音コンサル会社に見積もりを取ると3000万円と言われたものですから、費用を掛けずに自分の脳ミソで捻りだすしかなかったのです・・・(涙)。

そんな恐ろしい事を今更父親に言える筈もなく、自分がそのアイデアをコストを掛けずに考え出さなければ最悪「工場操業ストップ」というプレッシャーに頭が爆発しそうでした・・・(涙)。

この時の苦労がスタジオ経営で役に立つとは、夢にも思いませんでした・・・

そして、スタジオ開業と同時に再開したのは40年ぶりのドラムです。

6年前に35年ぶりに再開した空手は、その間20年ほどはコナミとジョイフィットといったスポーツクラブのボディコンバットというスタジオプログラムで「準備運動」していましたので、スッと入れましたが、ドラムは正味40年ぶりでしたので上達に関しては全く未知数です・・・

あわよくば、ディープパープルやレッド・ツエペリン、トト、ボストン、フォリナーといった7,80年代洋楽ロックのコピーバンドに加入させてもらって・・・という「なんちゃってドラマー」が最大の目標だったのです・・・

このスタジオ経営という未知なるビジネスを、どうやって料理?しようかと興味津々です・・・

ミュージシャンの年齢層は中学生から70代まで、演奏キャリアはゼロ(興味を持ち始めた)から50年、演奏レベルは全く素人から現役プロまで・・・とすそ野が広いです。

住居エリアはもちろん堺市以南の南大阪(泉州)が中心ですが、大阪市内から北摂、和歌山、奈良、京都、兵庫まで会員が広がっています。

驚く事に、トランクルームの客層と被っています・・・

「値段を半額に下げると(1時間1部屋1500円)、商圏が広がる」というビジネスの根本的セオリーを証明しています。

更に大手が寡占状態のチェーン店や設備産業でない限り、品質を伴って「相場の半額」なら、トランクルームやスタジオといったニッチマーケットで中小零細でも「大手チェーンが局地戦に弱い」というウイークポイントを突く事が出来ます・・・

まァしかし、需要を100%満足させるのは不可能です。

自分のミッション(使命)は地域戦略にあり、南大阪(泉州)の音楽文化発展の「一助」になる・・・これに尽きます。

その為には、これから有望な高校生や20代のミュージシャンを中心に応援していき、バンドの要である「ドラマー」人口を増やし技術向上に注力していきます。

その為に高校生以下は1時間1000円という「特別価格」を設定し、大手チェーンに負けない内容と低価格なドラムレッスンを開講しているのです。

幸い今の日本の世の中の趨勢は、モノを売る物品販売は減少し、体験型ビジネスが増加傾向にあります。

成熟した先進国になってしまった今の日本に於いて、製造業の第2次産業が減りすぎて、サービス業である第3次産業が実店舗とネット販売が入り乱れて増えすぎる事による競争過多でデフレが固定化しまい、更に過去数年のデジタル化社会の目覚ましい進歩に対する「アナログへの反動(回帰現象)」だと思います・・・

織物業でいくら「残存者利益」を狙って頑張っていても、その最終販売先の衣料小売りがデフレ地獄に陥っていれば全くナンセンスだったのです・・・

SPA(製造小売り)全盛のこの時代に、日本の繊維の歴史が古く長い流通の「真ん中」でいくら奮闘しても、エンドユーザー相手の末端の小売りが糞詰まり状態では全く努力の無駄だと悟ったのでした・・・(涙)。

これは正に、音楽業界がCD売り上げ減少に歯止めがかからない現象を尻目にライブやコンサートが毎年増加傾向という、新しく始めたミュージシャンがライブ本番前の練習場所として利用する「リハーサル音楽スタジオ」にとってある意味追い風だったのです・・・

資源が何も無い日本がメシの種であった製造業(加工貿易)が沈没していく姿を見るのは忍びないですが、我々零細企業は国を当てに出来るはずもなく、一刻も早く織物業を廃業そして転業し「明日の飯のタネ」を捜さなければならなかったのです・・・(涙)。

という事で、10年前の朝日新聞掲載時や5,6年前のNHKテレビ取材時もそうでしたが、その後電話での問い合わせが鳴りやまなかった経験がありますので、午後から電話対応の嵐に備えます・・・(笑)。

やはり、日本人は「朝日新聞」「NHK」というトップメディアブランドに弱いんですねェ・・・

そして昨今、大手新聞社は紙媒体と共にWEB版もありますから、記事をその日に見逃しても、1年くらいは私の記事がWEB上に掲示されていますから、この宣伝効果ってスゴイものがあります・・・(嬉)。



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Last updated  2017.01.10 06:19:56
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