ある生徒の話
ある中3生(男の子)の話です その子は中3の春に入塾学力は入塾時に平均程度(偏差値50) そのときの志望校は、ちょっと努力すれば行ける程度の高校でした しかし、「本当に行きたい高校はそこなの?」「これからグーンと学力が伸びたとしても、そこの高校を受けるの?」そう尋ねると「いやあ、できることなら〇〇高校(トップ校)に行きたいですよ」 本音は違っていたのです 「いいか、本当に行きたい高校を目指せ。最終的にどうなるかなんて、誰も分からない。本当に行きたい高校をはなっからあきらめたら、、これから妥協妥協の人生になるぞ」 こう話したものの、彼は「はあ」と半信半疑な様子 「お前の力なら十分に狙えるようになるよ。自分のことを自分で信じないで誰が信じるの?自分を信じてやってみようぜ、協力するからさ。」 そんな会話を交わしたのがちょうど1年前彼が中3生になったばかりの頃でした その子は、もともと努力家だったのでしょう半信半疑の状態ながらも、コツコツと努力を重ねてくれました ただ、学校のテストと違って、実力は簡単には伸びません 夏が終わり、秋が過ぎ、受験期に入っても本当に行きたい高校のレベルにはなかなか届かない 「コツコツやっていれば、学力がグーンと伸びる時期がやってくる。そこまで我慢できるかが勝負。あきらめずに続けることが大切。」授業を通して、ずっと伝え続けました しかし、1月になりいよいよ志望校決定まで間近になったときに「先生、やっぱり下げます」その子が僕にそう言ってきました「そうか、いいよ。お前の人生だから、お前が決めた高校を受験すればいい。」「ただ、本当に後悔はしないか、よく考えたな?」「はい、後悔しません。大丈夫です。」と答えていましたが、どうも腑に落ちない声のトーン、表情、しぐさ…どうも本音ではないような感じがしたのです これは、腹を割って話したほうがいいと思い1対1で話すことに すると、その子が弱気になっている理由が分かりました・中学校の先生に昔「お前なんて行ける高校はないよ」そう言われた・言われたときに非常に悔しく、屈辱だった・だから、「俺にも行けるんだよ」ということを示すためにも落ちることだけは嫌だ、絶対に受かりたい・受かるためなら、志望校をワンランク落としてもいい理由はこういうことでした 「でも、中3になってから勉強頑張ってきたよな。夏休みも年末年始も、1日10時間以上頑張った。ここまでやったのは、その先生を見返したいという思いだよな。だったら、その先生のおかげで頑張れたんじゃないのか?」「もう、そのときの屈辱は忘れていいんじゃないか?これからは自分の想いを一番に考えていいんじゃないか?自分がこれからどうしていきたいか。どういう道を進んでいきたいのか。それを最優先に考えてみたらどうだ?もう、矢印を過去ではなくて、未来に向けみてもいいんじゃないか?」そんな内容の話をしたと記憶しています その上で、しっかりと志望校を選ぶように伝えました私立になると、お金のことも出てきますからお家の人を交えてしっかりと話すようにと それで出した答えならば、それが最良の選択だろうと 翌日、報告に来てくれたその子は、憑き物が落ちたような顔をしていました「先生、〇〇高校に挑戦します」「本当にいいのか?後悔はしないんだな?」「はい、そこが自分が一番行きたい高校ですから」前とは明らかに表情が違う、何か吹っ切れたすがすがしい表情それが、受験10日前の出来事 そして、受験当日はっきり言うと、会心の出来ではありませんでした計算では合否ラインギリギリの点数 しかし、本人は落ち込む様子はまったくなく「これが僕の力です。挑戦したことに、まったく後悔はしていません。」 笑顔でそう話してくれました そして先日の合格発表見事、合格 報告に来てくれたとき彼はまだ現実と思えないような顔をしていました「本当に受かったんですかね?」 うれしさと困惑が入り混じったような表情その表情を僕は忘れることはないでしょう 努力で自分の進む道を切り開いた過去の呪縛に縛られた自分を直視し、逃げずに向かっていった この生徒は受験を通して、人として大きく成長してくれたと思います塾に入ってきたときとは、まるで別人になりましたから そして、受験が終わって数日後彼が提出してくれたアンケート そして、その子のお母様が書いていただいたアンケート ありがたいお言葉をたくさんいただきました涙が出るくらいうれしい言葉です ただ、人生を変えたのは僕らじゃありません彼が自分の決断力と努力で変えたんです僕らは背中をちょっと後押ししてあげただけですから きっとこの子はこの経験を糧に新しいステージでも輝いてくれることでしょう 「〇〇人合格」と書かれた、無機質な数字の裏にはその人数分だけのドラマがあります どれもこれも、筋書きのないドラマ そこに関わっていけることが、塾講師の最高の喜びであり最もやりがいがあることなのだと改めて強く感じました