随筆家の串田孫一さんが愛用の小刀を紛失した。それが気になって仕事が手につかなくなった話を随筆に書いたところ、ある出版社が中学の国語の教科書に載せたいという◆ただし、刃物は具合が悪いので、文中の小刀を時計に書き換えてほしい――との注文である。串田さんは掲載を断った。子供から小刀を遠ざけることのばからしさを随筆集『文房具56話』(ちくま文庫)に書いている。〈小刀を使ったことのない人間を想像するのは恐ろしい〉と◆その記事を読み、串田さんは泉下でにっこりなさっているかも知れない◆きのうの本紙連載『学び〈再出発〉』に長野県池田町、町立会染(あいそめ)小学校の話があった。道具を使う緊張感を養い、集中力を高めるために、毎年、「肥後守(ひごのかみ)」の通称で知られるナイフを新入生に贈っているという。「前に指を切ったこともあるけど、だいぶ慣れてきた」と、行間に笑顔の浮かんでくるような1年生の男の子の談話が載っている◆自分が負った小さな傷の痛みを知るなかから、ひとを傷つけない使い方を学んでいくのだろう。小刀という道具は、どこかしら「言葉」に似ている。
読売新聞 コラム 編集手帳 12/6付 より引用
傷つきやすい人が増え、傷を恐れる人が増えたと言われる今日この頃。
しかし、傷に気付かないことほど罪なことはないでしょう。
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