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南京の「侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館」です。
虐殺された方々が埋められていたという広場に設けられている石碑です。 8つ目の石碑です。 「正覺寺」で犠牲になられたという方々に対して建てられた石碑です。
侵華日軍南京大屠殺正覺寺遇難同胞紀念碑 一九三七年十二月十三日、日本侵略軍が武定門正覚寺で、同寺の僧侶でめる彗兆、徳才、寛宏、道禅、劉和上、張五、源諒、黄布堂、暁侶、彗横、彗光、源悟、能空、*修、広祥、広善など十七人を集団的に射殺した。同時に、日本軍が中華門外で尼でめる真行、灯高、灯光などを殺害した。特にこの碑を建て、死者を追悼し、永遠に後人に歴史を銘記し、中華を振興させよう戒めるものとする。
文言中 : 覚 → 覺 め → あ ( 2か所 ) * → 人偏に「昌」 振興させよう戒める → 「振興させるよう戒める」 の誤りか
ネットで南京事件をチェックしてみると、こういう発言をしている旧日本軍の方がいらっしゃるのです。 1937年12月13日、日本軍が南京城に入城したときは、人っ子一人いなかった。 皆、逃げてしまっていたと。 そして、思うこと。 もし、中国軍が日本に攻め込んで来て、明日、東京に入ってくるということになれば、それでも、東京に残っていると思いますか。 中国軍は何するかもわからないんですよ。 とにかく、東京を離れるべく、逃げるでしょう。 この石碑に書かれていること、ほんと不自然でなりません。 日本軍にどんなことされるかもわからないのに、それでもなお、悠長に南京市内に残っているものなのでしょうか。
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最終更新日
2017年02月08日 20時21分10秒
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