昨夜、あさみちゃんがわざわざ私たちに会いに来てくれて、また私、サブ、あさみちゃんの四人で夕食に行った。
そして今日は金沢観光に四人で出かけた。
兼六園、21世紀美術館、海鮮丼、コロッケ、忍者寺(?)。。。
楽しかったね。
みんなありがとう。
やっぱりもう一泊しちゃおうかなぁ・・・。
温泉入ってないしなぁ。
サブはどうするの???
・・・ちょっと待って・・・
帰りのチケット。確認。
有効期限4月5日
わぁ。知らなかった。これって変更できるって言われたの時間だけだったんだ!!
最終便に乗らなきゃ~!!!
「お昼の便で予約されてますよね?これは乗り遅れになるんで払い戻しをチケットを買ったお店でしてもらって、改めて予約してください。」
いやいやいや。
変更できるって言葉しか聞いてなかったんだよ。
私、几帳面じゃないし、そういう細かいこと確認あんまりしないんだよね。
急げば最終便に間に合う。
でも、このチケットが使えないと聞いてとっても心配してくれる3人。
バスや電車を探してくれたり、、、。
「私、空港行くよ。がんばってくる。ありがとう~~~」
空港着
なぁんだ。やっぱり意外とイケルのね。
ついでに「窓側の席あいてますかぁ!?」
ホント私、図々しくできてるわ、こりゃ。
今回の石川県、ボランティア参加+金沢観光。
無事、終了しました。
ぱぴよちゃんが言ったんだよ。
九州弁で「そしたらね」って言うのが好きだって。
みんな、そしたらね。
やはり平日バスが減っている。
私が乗ったバスはもう一つの集合場所、羽咋経由だった。
羽咋から参加のボランティアの方たちを乗せて門前へ向かう。
しばらくバスが走った後、乗り遅れの人がいるということでまた羽咋の集合場所へ戻る。
後で知ったことだが、集合場所の明白な表示がなされてなく場所がとても分かりづらかったらしい。
門前に着きグル-プに分かれる。
私たちは6人に分かれ作業に取り掛かった。
私たちのグループは6人のうち3人が連日参加だった。
そしてこの日リーダーを務めてくれたのは消防で働いている方だった。
そのおかけがとてもいいチームワークで活動する事ができた。
とても天気がよく、不謹慎かもしれないがみんな笑顔で笑いながら作業をどんどん進めていった。
でも、不謹慎でも失礼でもなく、地元の方に元気を与えていたのだと知った。
瓦を土嚢につめそれを男性二人が一輪車で運ぶ。
男性二人はかなりの力仕事だっただろう。
みんなで和気藹々と作業をし地元の方に挨拶をする。
後で地元の方がミカンとチョコレートを持ってきてくれた。
お昼に他のグループの方たちと分け合っていただいた。
天気がよくブルーシートが敷き詰められたところでピクニックのように輪になってお昼をとった。
その頃にはすっかりみんな打ち解けていた。
リーダー(消防、新潟)、サブ(福祉関係、埼玉)、俊子さん、ぱぴよちゃん(看護師)、あさみちゃん(大学生)と個性がばらばらで、なのによくまとまっていた。
あさみちゃんとぱぴよちゃんはさすが女の子。
観察力がすごい。
作業を始めてすぐリーダーとサブが一輪車で運んでくれてる間にリーダーの話になり、「あの人、靴から違ったよね?消防士っぽいね」と。
私はまったく気がついてなかった。ヤバイかな。
戻ってきたリーダーに聞いたらやはり二人が言ったとおり消防で今は救急の仕事をしているとのこと。どうりでリーダーシップの取れる人だった。
でもこの二人、面白いことに観察力に優れてるのにチョコレートを持ってきてくれたおばあちゃんがピカピカの鎌を持っていたことは気づいていなかった。
靴よりよっぽど私には目立ったんだけど(笑)
昼食に入ったが水が不足しているはずだから手洗いは遠慮してみんなでウエットティッシュなどを使い食事を始めた。
他のグループの人たちも食べ始めてしばらく時間がたった頃。。。
「ノロウイルスが確定しました。みなさん石鹸を使って流水でしっかり手洗いをしてください」
???
いや、あのね。。。!?みんなもう食べちゃってるよ?
もうちょっと早く言ってくれないかな。。。
ボランティアコーディネートの方が帰りのバスの中で「ボランティア活動についての反省会(今後の対策)の話し合いがあるので、意見がある方は言ってください」と。
この話し合いにより、改善されることを願う。
この6人は帰りのバスの中では互いに連絡先を交換した。
同じ気持ちで作業をともにした連帯感から生まれたのかな。
リーダーとあさみちゃんは羽咋で降りてしまったけど、金沢に戻り四人で食事に行くことにした。
それプラス私のピピでの友人のまさ(ヤクルト一気の)が合流することになり5人で食事をとった。
俊子さん、そんなに気を使わないでくださいよ。。。
結局、俊子さんがほとんどご馳走してくれた形になった。
ほんとすみません。ごちそうになりました。
今日はいい出会いに感謝。そしてまさには初めて日本で会ったね。
あっ、それから私の親友、ケーちゃん誕生日おめでとう。
人と人との繋がりは大切にしていきたい。
集合するがバスが三台に減っていた。
やはり平日だからだろう。
土曜日と同じ顔ぶれを見かける。
週末は人数がかなり多かったので気がつかなかったがやはり連日参加されている方がいるのだろう。
この日の活動場所は穴水のごみ処理場だった。
ここの職員の方もはっきりと指示を出してくれた。
私は電気班といって男性と二人任命される。
なんのことはない冷蔵庫やテレビ、洗濯機などを数える役だ。
マジックを持って印をつけながら二人で手分けして数えていく。
かなりの年代物のテレビや真新しいパソコン。。。
かなりの数だった。
きれいに見えるが雨にさらされ使い物にならないのだろう。
私たちは作業を終え、他の活動を手伝いたいと申し出るが、これからまた運ばれてくる電気製品があるのでそれらを車から積み下ろし数えないといけないといけないので持ち場を離れられなかった。
しかし午後からは下に下り他の人たちと一緒にゴミの分別をした。
とにかく膨大な量のゴミだ。
それをみんなで手作業で分別していく。
ガラス、燃えるゴミ、燃えないゴミ、瓦、、、。
ひとつひとつ手作業だ。
片付けても片付けてもトラックが入るたびにまた増えていく。
始めからある程度分別されていたらずいぶんと違っただろう。
この日、ゴミ処理場という場所で活動したことにより、いかにゴミの分別が大切かを痛感した。
ボランティアは一応4月4日までの募集になっているが、ここの方は延長を頼んでいると言っていた。
確かにこの量はなかなか捌ききれないだろう。
なんとここにいた職員の方の一人は普段は門前の火葬場で働いているらしい。
とても気さくな人だった。
この日も同じ時間に集合。
門前の鹿磯という町がこの日の活動場所だった。
バスを降りると説明を受け、グル-プを作る。
この鹿磯でボランティアを仕切ってくれた男性はとてもきびきびとしていて私たちボランティアとしては何をやっていいかが明白になり、とても動きやすかった。
仕切っている人が「それでは男性のグル-プのかた」と呼びかけた。
しかし男女合わせたグル-プそれぞれ作るように最初に言われていたので男性だけのグル-プはなかった。
男性グル-プと最初に呼びかけたということは力仕事だろう。
「それじゃあ、どなたか?」
私たちのグル-プのリーダーが手を上げた。
ちょっとびっくり。
だが昨日、まったくやる事がなかったのでやりがいのある事をしたかった。
二つのグル-プが一緒に行動をすることになった。
私たちに任されたのはお寺の掃除だった。
他の人たちは瓦の処理だった。瓦を土嚢につめていくのだ。
これは瓦のほうが大変じゃないのか? ちょっと疑問だ。
お寺は真覚寺という名前だったと記憶している。
階段がある分、大変と言うことだろう。
私たちは流れ作業でどんどんゴミを下の道まで運んでいった。
運搬手段は一輪車だ。
一輪車というのは思ったよりも力が必要で男性がそこを引き受けてくれていて私たちはどんどん不必要と分けられたものを運び出した。
その次は中に入り、奥の本が置いてある所を徹底して片付けた。
この日は気持ちがいいくらいよく動いた。
みんな本当によく動いていた。
昼食をはさみ午後からは地元の方を訪ね、人手が必要な方たちの手伝いをした。
ここで水が出る家があったことに驚いた。
午後3時の集合時間までいろんなことを手伝って気持ちよくこの日の作業を終えた。
ホテルに着くが体中が筋肉痛で痛む。
普段いかに体を動かしていないか分かる。
ホテルは集合場所には近くていいがコンビにまで10分かかる。
しかも集合場所と反対方面にある。
ということは朝から弁当を買いに行くためには20分以上歩くことになる。
食事をするところも遠く、面倒だったがコンビに弁当だけを食べていては体が持たなくなりそうなので元気を出して外に出た。
そのとたんホテルから流しっぱなしになっている、水に濡れた道に足をとられ転んでしまった。(多分、常に流れているので苔状態になっていたと思われる)
この寒空の下、服がすっかり濡れてしまうほど転んだ。。。
悲しいかな、いつもこうだ。
集合場所へ向かう。
朝6時20分頃着いた。
そこでは想像していたよりも、はるかに多くの人が集まっていた。
たくさんのボランティアの方、職員の方、そして市長の話があっていた。
みんなの服装を眺めると山にでも登りそうな格好、長靴の人、へルメットを用意している人など様々だ。
私は慌ててボランティア参加をしたせいか十分に揃える事ができなかった。
そして正直こんなに寒いとは思っていなかった。
なんと私の足元は素足にビ-サンだったのだ。
かなりの勢いで恥ずかしい。
どうにか足元を隠したいが隠せない。
一般参加のボランティアは館内にて受付をしバスに乗るように指示される。
受付に長い列ができる。
しかし今度は並ばされたボランティア達は受付する間もなくバスに乗せられる。
並べといったり乗れといったり忙しい話だ。
6時40分、バスが動き出し能登半島、輪島へ向かう。
窓から見える遠くの山に雪が積もっている。
そして私の足元はやっぱりビ-サン。
バスの中で職員の話が始まり、ボランティア保険名簿、名札を書き、名札を首から下げる。
現地までは約2時間かかる。
少し落ち着いたところで持ち物をチェックしてみる。
えっと、、、あれ?軍手は?タオルは?マスクは?
・・・忘れてきた。
いったい何しにきたのかと落ち込む。そしてまた足元を見て落ち込む。
「自分の存在が何なのかさえ 解からずに震えてる32の朝」
「なんてちっぽけで なんて意味のない なんて無力な32の朝」
・・・そのとき私の頭の中で尾崎が歌った。
8時50分老人ホームでバスを降りる。
しかし職員が場所を間違えてみんなを降ろしてしまう。
そこから徒歩で現地の受付である小学校に向かう。
そこにもたくさんの人々。
一般のボランティア、職員、そして報道関係者、空にはヘリコプター。
約800人が集まったらしい。
そこで受付を待つこと約1時間。
しかし受付のないまま私たちが乗ってきた12号車の職員は説明を始めた。
「自主的に、と言う事で」と。
テレビ関係の人が声をかけてくる。
「つまりやることがないと?」と。
数人のグループに別れそれぞれ活動を始める。
ゴミ処理を手伝ったり、物を運んだりと地元の人々に声をかけながら何か手伝えることを探す。とても遠慮深い人たちでほとんどの方が大丈夫ですと答える。
私はゴミを運ぶのを手伝っていた。
建物は損傷が激しくゴミもたくさんでているのに、こんな状況なのに可燃ごみしか出してはいけないという。
私はそれを知らずゴミ捨て場まで近所の人のゴミを捨てに行った。
ペットボトルをつめた袋と割れ物を詰めた袋だ。
しかし、不燃ごみを捨てると他の可燃ごみ全てを持っていってくれないと聞き、だからといってゴミを突き返すわけにもいかず集合所の小学校に一度運び指示を仰いだ。
すると
「自分たちで市役所に問い合わせてください」
「自分たちのゴミを持ってこないでください」
「どなたの指示ですか?」
と、まくし立てられた。
なんだか悲しくなった。
少しでも役に立ちたいという思いだったのに。
2006年12月27日
二年ぶりのダイビングへ出る。
今回は絶対にダイビングへ復帰したいと思っていた。
ヤスコチャン、まさと三人でファンダイブを予定した。
そこでまず悩んだのはどこのショップで潜るかと言うことだった。
お互いが元々働いていたショップは知らない人ばかりになっていたからだ。
私たち三人はピピでのガイド経験のおかげでピピの海は判るのでガイドはいらないということにした。
私たちはピピのあるダイビングショップにお世話になった。
私は滞在日程が短いので時間のある限り潜ろうと思い、五日間潜った。
ロ-カル三日間、ヒンデン、ヒンムアン二日間だった。
でもダイブサイトが突然当日予告もなく変更になりロ-カルでは三日間同じポイントになってしまったのが、ちょっと残念だった。
でも久しぶりのダイビングを十分に満喫することができた。
お世話になった船のスッタッフ達に感謝します。
働いているときは毎日のように当たり前に海に潜っていたのにかなりのプランクをかかえ、冗談を言い合いながらも不安もあった。
でも水に入るとすべての不安はなくなった。
ただやはり思いっきり脂肪が増えた体はウエイトが3キロ必要になっていた。
2006年12月26日
あれから早、二年の月日が流れた。
追悼式の場所へ向かう。
あの津波の日は一番被害が大きかったであろう場所あたりかもしれない。
去年は小さなステ-ジでタイ人の男性の話があり、そしてその瞬間を知らせるサイレンが鳴り渡った。
みんな心にさまざまな思いを描きながらそっと黙祷する。
私の姿を見かけて涙を流してくれた現地の女性もいた。
あの日以来、私の姿を見なかったからと心配してくれていたと。。。
そしてそれからさらに一年が経ち今年の追悼式。
同じ場所でありながら、去年とはまったく違う光景が目の前にはあった。
そっと近づくと仏教の人たちが僧侶の前で手を合わせている。
その少し隣にはイスラム教の人々、そしてそのとなりにはキリスト教。
私はそんな光景を一度に同じ場所で見たことはなかった。
初めて見るその光景に物凄いエネルギ-を感じた。
私は特に宗教を持たないが、仏教のところで手を合わせた。
大きな木に花を供えたり、写真がかざってあったり、どれも心に痛みが走るような光景だった。
そのせいか、やはり私はカメラを向けることはできなかった。
その日にシンゴ、マサと再会した。それから当時ホワイトアンドブル-で働いていたアキエさんにも。
みんなそれぞれの思いを胸にこの日にこの島を訪れたのだろう。
夜にみんなで食事をすることになった。
当時のメンバ-だ。日本人はその他にhatさんも一緒だった。
それからタイ人の友人達。
食事の後、ビ-チに誘われた。私は少し疲れていたしアルコ-ルを飲む気分でもなかったので断ったのだが強く誘われた。
しかし、そうだ。
去年もそうだったが、ビ-チに火を灯すのだ。
砂を掘り、そこに思い出の人の写真を飾り、花を飾り、ロ-ソクに火を灯し火を守り続けるのだ。
みんなで火を囲み、消えないように火を守った。
去年に比べたら人はほとんどいなかった。
タイ人のジュリ-とアンは私が今年もピピを訪れたことをとてもよろこんでくれた。
来年も必ず来てと言ってくれた。
12月25日クリスマス
昨日は結局、一人でイブを過ごした。
といっても移動疲れでちょっと買い物に出て寝ただけだが、、、。
私が泊まったところは一番広い部屋しか空いていなかった。
しかもプ-ルなんてついていた。
余計に寂しさが増す。
朝からミニバスとフェリ-チケットを宿で手配してもらい、ミニバスが送迎に来てくれるまで買い物に出かける。
ダイビングの器材を買いたかったからだ。
そこで偶然にヤスコチャンと再会。
でも宿は別々なのでとりあえずフェリ-で合流しようということになった。
しかしぐずな私はミニバスの時間に買い物が間に合わなくなってしまう。
そこでミニバスに荷物だけのせて港まで運んでもらい私は買い物を終わらせて急いで原付タクシ-で港に向かう。
ちょっと不安だったが、ちゃんと荷物を私に受け渡すまで待っててくれたドライバ-。
いい人でよかった。
そして一年ぶりにピピへ着いた。
なんだ、なんだ!?
ピピが変わってしまっている。
私が大好きだったピピが津波後の再開発が進みすぎたのか、なんだか都会化している。
おさえていたはずの宿は前の人が延泊すると言い出して泊まれない。
私はヤスコチャンに荷物を任せ、走り回って宿を探した。
ありえないくらい跳ね上がった値段。
それが最後の部屋だと脅かされるがその値段は無理。
さらに走りやっと見つけた部屋。
ヤスコチャンと相部屋なので割り勘だ。
今回は二人とも旅行者なので贅沢にエアコン、ホットシャワ-、テレビに冷蔵庫・・・。
快適。
島を歩き周るがなんだか変わってしまったピピに寂しさだけを感じた。
もうこれでピピにくるのは最後になるかもしれないと心の中で思った。
去年の事を今頃さかのぼろうと思ったら日記がもどれなかったので一月にかかせてもらおうと思う。
12月24日クリスマスイブ
福岡発、バンコク行きの飛行機に乗り込む。
一年ぶりのタイだ。
今年は去年とは違い少しだけ時間に余裕がある。
去年は出発は25日だったが今回は一日早い。
当日のうちにプーケットに着いた。
ちょうど同じころにピピに向かうヤスコちゃんと待ち合わせをする。
プ-ケットにつき携帯をつなげ、電話番号をメールでしらせ待つ。
・・・まてどくらせど連絡はない。
私のミスで電話番号を下一桁かいていなかったせいで繋がらなかったのだ。
ヤスコちゃんは待ち合わせした場所の向かいのバ-で、イントラ仲間のシンゴとともに私の姿を探してくれていたらしい。
しかし、私があまりにも軽装だったため気づかれなかったのだ。
ということで結局、諦めて部屋を探した。
その前にお腹がすいた私は一人寂しくタイスキを食べた。
クリスマスイブに一人タイスキは結構悲しいものがあり、ほかの食べ物にすればよかったとちょっと後悔。。。
私とヤスコチャン達が出会えなかったのは私が予定より遅くパトンに着いたのも原因かもしれない。
空港のイミグレで予想以上に時間がかかってしまった。
【プーケット空港にて】
長い列がなかなか進まない。
じりじりしながらみんな待っている。
そんな時、私の前にさりげなく外国人の女の人が入ってきた。
あれ???
すると後ろの方から別の外国人女性がその人に向かって「みんな並んでるのよ!ちゃんと並びなさい!!」と怒っている。
それはそうだ!すると割り込みした人は聞こえない振りをして連れの男性を呼び、二人して完全に割り込んできてしまった。
きっとみんな怒ってるはず。。。
私ももちろん腹が立つ。。。
みんなずっと並んで並んで待ってるのに二人して周りの苦情に耳を塞いでとうとう女性は先に通ってしまった。
あ-あ、非常識・・・。
ここで私ができることは一つだろう。
はい。やりました。
先へ進もうとする男性の横を無理やり通り抜け「私の番!」とパスポ-トを差し出した。
その後、周りで苦情を言っていた女性に偶然出会いすっきりしたといって喜んでいた。
やっぱり並ばないとだめですよね?
みなさんにとって この一年が
平和で幸せなものでありますように。。。
ピピ島より。。。
ユ-コ