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私は日本で初めて原子力発電所の環境アセスメントに関する研究をしましたが、原発反対派知識人の科学者としてのモラルを問いたくなるような言動に苦しめられました。
原発立地は政治・行政が判断すべきであり、科学者は科学的な根拠に基づく判断をすべきであると考えましたが、彼らに言わせれば御用学者の一人であったようです。 高レベルの放射性廃棄物についても、科学的見地からではなく、反原発の雰囲気で議論されているような気がします。 少なくとも、私たちの生活が原子力発電所に依存している事実を抜きにしてはこの問題は語れないと思います。 原発は既に放射能廃棄物で一杯です。これをどこかに廃棄しなければならないのが現実の日本が置かれている状況です。 「ゴミを出すがゴミを処分するのは他所で」、という論理は単なるわがままです。目の前のゴミの山を先ず片付けなくてはなりません。 考えられるのは、ゴミを減らすことですがそれには限界があります。ゴミを出し続ける原発依存の社会を変えなくてはならないでしょう。 しかし、高レベルの放射性廃棄物の安全性を議論する前に、感情的反発で科学的議論を封殺するのは間違っています。 文明が生み出したゴミを引き受ける自治体があるのならば、先ず安全性についての議論を住民に公開された場で議論すべきでしょう。 議論の前提は情報公開が担保されるかどうかに掛かっています。かつての原発立地の現場では情報公開が十分になされず混乱を招きました。 電力会社はもちろんですが、市民の立場に立つべき行政すら情報を隠蔽し続けたのが原発に対する不信感を増大させました。 原発に対する不信感の根底には、技術的な不信感よりも電力会社、行政の情報隠蔽体質からくる不信感の方が多かったと思います。 現代の技術水準がどの程度なのかは知りませんが、感情的な反発が科学的な評価を曇らせ、行政の判断のみで永久貯蔵が決定されれば将来に禍根を残します。 過去の任地は、ある調査によれば日本一住み安い県だそうです。原発立地による経済効果かも知れません。 いずれにしろ、判断するのは地元住民です。メリットとデメリットを冷静に評価し、町の将来を自らの判断で決めるべきでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006/09/18 10:56:08 AM
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