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私は行政サイドで原子力発電所の温排水が生物に与える影響をしていました。原電の営業第1号炉である浦底原発が営業運転を開始した時から、美浜、小浜、高浜、動燃の各原電の排水口を含めた沿岸海域の生態系が頭の中に入っています。
研究を始めた時には、参考にする文献もなく手探り状態でフィールドワークを続けました。温排水が排水口で6度、数km離れた地点でも1度以上昇温するから、周辺海域の生態系に影響を与えない訳がないと信じ込んでいました。 原電からの温排水が生態系に重大な影響を与えると考えるのが当時の科学者の常識でした。実験室内での昇温実験では水産生物のライフサイクルに影響が見られるという報告が国内でも得られていたからです。 反原発の市民運動家は室内実験の結果を根拠として反原発運動を進めていました。一方、周辺海域から炉心から漏れた放射能が発見されたのも事実です。いずれにしても、今から思えば観念論、神学論争の域を出えてはいませんでした。 生態系が乱れている証拠を見出そうとしましたが、フィールドにおける生物の適応能力は一般常識を超えたものがありました。研究職が先入観に囚われてはいけないのですが、研究の結果は従来の科学的常識とは逆に出てしまいました。 タンカーから重油が流れ出して、水鳥がタールにまみれて死んでいた情景は有名になりましたが、死の海となるとその後考えられていたのに拘わらず、比較的短期間で回復したそうです。現在は被害の後は全く見られないそうです。 おそらく、自然の回復力は人間の常識を越えたものなのでしょう。温排水で生物相が無くなる場合もありましたが、数年後には生態系は回復しました。排水口の中まで潜って何年も観察した結果ですので、そう間違った見解ではない筈です。 しかし、放射能については別です。放射能は人類が存続している間は消え去ることはありません。原発は人間が作った工作物ですから、必ず放射能漏れはありますし、放射能廃棄物は貯まるいっぽうです。 大切なのは、頭の中だけで考えた論理を現実に無理に適用しない態度です。人間の造る物には完全な物はなく、必ずリスクが伴います。リスク評価の基準を何処に置くかを社会各層で冷静に議論しなくてはなりません。 リスク0は原電のない社会ですが、現実的ではありません。エネルギー政策に迎合したリスク管理は大地震、直下型地震が起きた時に最悪の事態を招く恐れがあります。炉心が溶融すれば、回復不能な被害を与える可能性があるからです。 リスク管理が神学論争に陥ったら適正なリスク管理ができなくなります。情報公開を原則とし、討論の場を広く持つべきでしょう。グリーンピース的な環境保護運動は科学的な討論の場に神学論争を持ち込んでしまうので有害だと思います。 リスク管理には科学的な知見が優先しますが、最終的には日本人自身が決めるべき事柄です。政治、経済の論理が優先すると取り返しの付かない事態が起きる可能性があります。放射能による日本沈没が起きるかも知れないからです。 地学的時間は人類の時間とは桁が違います。現在得られている知見では地震の予知すらできません。私たちの感覚とは違う世界の論理で構成されている知見を、私たちの社会にどう適用さすかが問われています。 瀬戸キリスト教会 HP お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006/09/25 07:01:49 PM
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