|
|
|
|
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
amedeo21の日記 [全140件] 昨年の手術から丸一年、あれから何事もなかったように静かに過ごしている。 私も一緒に高熱を出して寝込んだ手術後の日も、今ではもう話題のネタだ。 今年はなんて静かな時の流れだったんだろう。。 チロルの時間は忙しい人の毎日と違い、実に緩やかに流れている。 人はチロルの年を聞いてもう老犬だね、というけれど、今も子犬の時に対する気持ちと何も変わった事はない。実年齢はもうとっくに私を追い越しているのだろうけど、いつまでも子供だなぁ、、なんて思ってしまう。 心臓に雑音があると言われながらも、医者は何を言ってるんだろう?と思うくらい、外では元気に走っている。 もちろん、若い頃に比べたら風のようなすばしこさはなくなってきているけれど。 それでも今年も穏やかに安らかに、楽しく過ごしていける事を願いつつ、元日も同じ日を一緒に迎えたいと思う。
この頃すっかり大人しくなり、、 大人しくなりすぎてあまり遊ばなくなっちゃった。 若いころ大好きだった羽つきの猫じゃらし、(犬なんだけど)お友達との駆けっこ。 これまで好きだったことから少しずつ遠ざかってゆく。。。 その分他の人や犬に対してうんと穏やかで優しくなった。 癒されるちいさなぬくもり。 これがおばあちゃんの姿なのかなぁとふと思う。 私は先日虚血性の大腸炎にかかり、初めての病気の驚いたものの、今は回復に向かっている。 自分の衰えを実感し、あらゆることにこだわりがなくなってきたのだろうか。 でもまだま仏の境地に至るには早すぎるなぁと思っている。
先日友人との電話中、受話器の後ろでずっと猫の鳴き声が聞こえていた。 力強く、よく通る声で約30分の会話の間ずっと絶える事がなかった。とても甘えん坊で、かまってやらないといつもこの調子なのだという。私には何かを訴えているように聞こえていたのだけれど。。 そんなニャン太が彼女の家にやった来たのは4ヶ月前、彼女の前の家で血を吐いて胸を汚していたのを発見された時だった。すでに3年ほど前から近所でアイドルのようだった野良猫の彼は、彼女が容態に気づくまでご近所で見て見ぬふりをされていた。 向かいの初老の奥さんが『この子は野良に生まれてきてこうなる運命やったんや。しょうがないわ。』といい、自宅の猫は家の中で過ごさせていても、彼には餌だけ時々与えて家族として受け入れるつもりは全くなかった。 彼女がニャン太を病院に連れて行ったとき、すでに白血球は多く、肝臓も通常の三倍でいつ死んでもおかしくないと言われていた。医師が治療の際、飼い主がいないのではどうしたらいいのでしょう、と処置に戸惑いを見せたとき、彼女は 「この子は今日からウチの猫です!ウチで最後まで面倒をみます!」 そうきっぱりと宣言した。 その後、彼の食欲はめざましく、缶詰はもちろん、お刺身のマグロまで平らげてしまう大食家だった。今年定年退職し、一日の大半を自宅で過ごす彼女に、影のようについて回った。彼女のひざの上でうたた寝し、これまで経験した事のないエアコンの下で体を伸ばしてくつろいだ。 時折、そんな暮らしをしながらも外の風が懐かしく、窓の隙間から何度か脱走を試みるが彼女に見つかって失敗に終わった。彼女も外に出て行けばそれが最後になるのを恐れていた。 そんな調子でで日は流れ、先日彼女にあったとき、『医者の言う事はあてにならないねぇ、どこがすぐに死ぬのよ。』『一人暮らしだから自分に何かあったら頼める人を考えておかなくちゃ。』などと、私も本当にこのまま元気なニャン太がいつまでもいるんじゃないかと思い始めていた。 そんな話をしていた翌日の深夜、思いがけない彼女からの電話があった。 「ニャン太が死んだの。」 涙声で聞き取るのが精一杯だった。 あまりにあっけなく、突然の宣告のように彼の死はやってきた。覚悟はしていたはずなのに、悲しみがとまらなかった。近所の人たちも集まって彼にさよならをしに来ていた。 最後は急に痙攣を起こし、病院にかけこんだが医者は、気休めだろうけどいつもの薬か、安楽死の注射どちらにしますかと選択をせまった。彼女は少ない望みに希望を託したのだけど、帰宅後再び激しい痙攣を起こし、それが少しずつおさまり、最後は大きく伸びをして眠るように亡くなった。。。 もっと早く家の子にしてあげたらよかったのに、と私は言った。でももしまだ彼が健康だったら? 彼女は家には入れなかったという。もうニャン太が最初で最後の子だといい、翌日お葬式も済ませた。 私の近くの淀川河川敷も沢山の野良猫たちがいる。人の思いやりに触れることなく亡くなっていく猫たちなど山のようにいるのだろう。 最後に家の猫として彼女のそばで過ごせたニャン太の魂は、今でも幸せに空の向こうに漂っているのかもしれない。
GWは過ぎ去り、すっかり昼間が暑くなっていることに最近ようやく気づいた今日この頃。(普段屋内にいるとよくわからないもの) 「あらぁ、久しぶりぃ。前より白くなったわねぇ~。」 ・・・散歩仲間から時々そんな事を言われるようになった。 チロルを毎日見ている私にはよくわからないのだけど、たまに会う人達が言うのだからきっとそうなのだろう。。何だかすこし悲しい気分だ。 先日蛍光灯の下で瞳がうっすら白く見えるのが気がかりで獣医さんに診てもらった。 白内障かと思って心配していたら、核硬化症という加齢による症状だった。 今のところしっかり見えていて問題はないという。高齢者用の目薬で緩和されるでしょうとの事だった。 心臓の雑音についても加齢によるもので、散歩は時間を短く、あまり走らせないようにとのアドバイスをいただいた。 来月12歳、まだまだこの調子で元気を保ってほしい。
さつまいもがそろそろいたみ出したことに気づき、早く食べてしまおうと思った。一人で食べきれない食材はいつもおすそ分け。 寒い中、面倒ながらも思い切って一緒に散歩に出かける。帰宅したとき、自宅の暖房が意外に効きすぎていたことに気づく。 一人部屋でぼんやりと、思考が悪いほうに傾きだしたとき、私のひざを小さな前足が軽く私のひざをたたく。つぶらな目でチロルが真っ直ぐ見上げて座っていた。 まだ寒い日が続く中、一日の終わりに一緒にお布団に入ってやすむ。。。
『歯槽膿漏は犬にとって命取りなのよ。』 高齢犬と暮らすご近所様の一言に冷やりとし、先月初めての歯磨きにチロルを連れて行った。犬に歯磨きは不自然と思っていたのだけど、昨年手術を受けて以来いろいろなことが心配になっていた。 お店のお姉さんが明るく迎えてくれて、新品の歯ブラシに歯磨き粉をひねり出してくれた。チキンの香り漂うペーストは食べても大丈夫とのことだった。このまま与えたら一気に食べてしまいそうないい香りだった。『歯垢はあまりついていないですねぇ。』との言葉に安心、日頃から歯ごたえのあるおやつをあげていたからかな、と思った。 私との会話の合間、歯の表面をクチュクチュ、と5分ほど磨いてチロルの歯磨きは終わった。あっというまの時間だった。 三日に一度はやって下さい、と言われてもらった歯磨きのセット、あれからずっとさぼって手をつけずに放っている。
10月の末にチロルが手術を受けてから丸一ヶ月が過ぎた。 はじめてお腹を切った事に一番うろたえていたのは私だったかもしれない。 診療中や手術後もあばれて先生たちを手こずらせる事なく、無事に手術を終えた。 抜糸のとき診療台の上で仰向けになるのを私も手伝い、体を支えていた。 その時チロルは仰向けにされたままずっと小刻みに震え続けていた。 本当は怖くて飛び起きて逃げ出したかったはずなのに、抵抗してはいけないと悟っていたのか、一生懸命に耐えている様子が辛いほど伝わってきた。病院のスタッフや私の顔を伺いながら不安を訴えているようだった。『大丈夫、もう少しで終わるよ。』鼻先にそっと手をあてて声をかけた。 一方、手術を終えてチロルを迎えに行った日の夜、私は38.4度の高熱を出した。まだ傷口の生々しいチロルを部屋へ連れ込み、自分も布団に倒れこんだまま約3日間、ほぼ寝たきりですごした。 そして、3週間前、ついに8年間愛用していたパソコンが壊れてしまった。はじめ頻繁にフリーズしていたが、ある時全てを再インストール中に電源が入らなくなってしまった。 生きているものだけでなく、いろんな物に手入れが必要な時期に来たのだなぁと痛感した。
先月の雷雨を境にめっきり涼しくなった。 早朝チロルと河川敷を歩いているとじっとしていられない程寒かった。 川沿いの木の枝の上で猫の親子が丸くなって座っていた。 まだ薄明るい中、真っ黒なキジが通路を早足で横切っていった。 芝生の上で鳩達が誰かが落として言った食べ物のくずをつついていた。 高い木の上に止まっている沢山のカラス達が賑やかに話をしている様だった。 猛暑のときも雷雨の中も長年変わらずに命が育まれている。動物達はそんな根強い力を持つ自然と人をいつも結び付けてくれる。。。 ![]() 話は変わって、チロルが就寝中若干おもらしをしているようだったので翌日病院で診てもらった。 食欲は相変わらずで、若い頃ほどの俊敏さはないが今でも走り回る位元気だ。 診断の結果は『子宮粘液症』。高齢によりホルモンのバランスが崩れた為との事だった。完璧に治す唯一の手段は子宮の摘出…。 「えっ、こんなに元気なのにもう手術!? 早速取り去ってしまわないといけないの…!?」 いきなり腹を切る話を聞くことになるとは、衝撃だった。 今更ながら、これまでの元気さと明るい愛嬌ぶりに安心し、老いが確実に近づいている事の認識が薄かった。 血液検査で全身に影響のないことがわかり、今は抗生剤で様子を見ている状態だ。 ![]() 犬の更年期、なってしまったら「取りましょう」…なんて、即物的だなぁ。。。
真夏の出会い(後半) 連絡してきた女性の家には先住猫が一匹いた。 子犬を連れてくる前から必要なものを取り揃え、いつ来ても暮らせるように準備が整えられていた。ところがいざ子犬がやって来ると、その猫は家からぴょいと出て行ってしまい、ご飯を食べにも来なくなった。じっと塀の上に座り込み、それ以上近づかなくなってしまった。そんな状態が4日間続き、彼女はついに泣く泣く子犬を手放す決心をした。 その後しばらくして別の貰い手からも連絡があった。今度は先住犬が飼い主がいない間子犬に噛み付いていじめるのだという。 どういう状況だったのかはともかく、結局何の責任もない2匹が出戻ってきた。 その頃、私は隣町の木造アパートに引っ越してきたばかりだった。当時無職、求職活動中だった私は動物に対する興味どころではなかった。子供の頃大好きだった犬猫なども、長らく縁のなかった間自分とはすっかり別世界のものになっていた。前職で心身ともに消耗し、再就職のあてもなく、活動する度貯金は減り続けるだけで馬鹿馬鹿しくなり、2ヵ月後には一日の大半をご飯もそこそこに寝て過ごすようになった。 そんな様子を覗っていたのか隣部屋の女性が心配し、ある日表で出くわした時お茶に招いてくれた。玄関で体重8キロに及ぶ大きな猫2匹が足元に寄ってきた。 「誰かのために存在すると、感じることが必要なの。」そんな話から始まって時は流れ、また同じアパートの住人が加わって、お茶がいつの間にかビールへ変わっていた。彼女の家にも猫がいた。後日、私のアパートは近所で動物園といわれるほど皆が犬猫と住んでいるのだということを知った。 それまで私は失ったものにばかり固執していた。社会的な人望やお金は何もないけど、拘束されないたっぷりの時間はあった。今の自分だからこそ出来る事を考えてみた・・・。 毎週ポストに入る地方紙に「もらってください」のコーナーがあった。 心強い留守番役がほしいと思い、目に留まったのは犬の貰い手募集だった。しつけに必要な時間は充分ある。連絡後、早速隣町までバイクで走った。 私が行った時、出戻り子犬は再度もらわれ最後の残り1匹になっていた。母犬のコーギーに似ず長い足のその子は、人形のように大人しく飼い主の小脇に抱えられて現れた。初めの貰い手が揃えていたドッグフードや室内トイレまで譲り受け、私は子犬をどきどきしながらバックパックに入れ、ハンドルにかけた後安全速度以下のスピードでパイクで走った。 11年後、すでにバックパックに入らなくなってしまった初老の犬は、今も健康で穏やかに暮らしている。 捨てる神あれば拾う神あり・・・、私自身も拾う神の見えない手で今まで過ごしてきた一人だ。 ![]()
休日の朝早起きしてチロルの散歩に行くつもりがこの日は寝坊してしまった。暑い日中外を歩かせることもできず、結局犬を置いてバイクで買物に行くため家を出た。 マンションの一階まで駆け下りたとき、肝心のバイクの鍵を忘れたことに気づいた。また四階まで汗をにじませ家へ戻った。又出かける前のチロルの真ん丸な瞳と視線が合った。「やっぱり私を置いていくのね...?」体を起こし、ピンと立てた耳を少し傾け、それが自分からは何も行動できない一抹の自己表示に思えた。しょうがない、連れて行こう。そう決心した。 太陽が降り注ぐ中、チロルをつないでスクーターの足元に座らせた。足で落ちないようにガードし、ゆっくりとバイクを走らせた...。 11年まえの6月、大阪のある町で7匹の子犬が薄暗いガレージの中で静かに誕生した。その家の家族は両親が共働き、子供たちは大きな学生で皆あまり犬に構わなくなっていた。ガレージにいつもつながれていた母犬は外からやってきた犬と知らぬ間にかかっていたのだ。その家の奥さんは子犬達が生まれた後、早速貰い手探しに奔走することになった。身近な手段で地方誌のもらって下さいコーナーに掲載した。母犬がコーギーでよく似た子犬もいたのだろうか、貰い手はあっけない位順調に決まっていった。平静だった母犬が最後の一匹がもらわれいなくなった時、鼻を鳴らしながらしばらく探し回っていた。。。 子犬達がいなくなってから一週間後、貰い手の一人から元飼い主のところに電話があった。 「すみません、やっぱりうちでは飼えなくなりました...。」 (つづく) |一覧| |
|