
問い:飛行機に乗ったら中年男性一人はどうですか。
答え:快適です。日本人は私を代表するように文句は言わないし、ナンの要求もなければ、親切にしてもらえます。若い女性は無視してくれるし、おばあちゃんは、大人しいアジア人男性に優しいし、スチュワードは基本ゲイが多いので、もう親切満タンです。特にカンタスはほぼ100パーセントゲイですよ。アメリカ系はそうだねえ、8割ぐらいがゲイです。だから、清潔でちっこいアジア人は人気です。アメリカ系でおばあちゃんが多いのは、きっと楽だからでしょう。アメリカ系はシニョリティというか、年功序列ですから、上から順番に決められるから、多分、もうずっとファーストクラスでしか働いたことのないおばあちゃんがいっぱいいます。

問い:ビーチでヌードになった経験がある日本人は、ドイツ人の15分の1
「ビーチでヌードを体験したことはありますか?」トップはドイツ人。15%の人がヌードを経験済みだった。日本人はわずか1%で世界最下位に止まり、開放的なビーチリゾートとは縁遠いことがわかった。
答え:俺は、尻焼いた。もう10代とか20代の時の話だ。今やハワイでもグアムでもパラオでもマーシャル諸島でもミクロネシアでも行っても泳いだことがないという驚愕の事実。

問い:どこの空港会社の「ご飯」がおいしかったですか
答え:好みでいうと、トルコ航空の
成田トルコのビジネスクラスです。

問い:どこの空港会社が安全ですか?
答え:欧米系は厳しく、あと管制塔の連絡が英語なんで、英語圏の欧米系が一番安心だと思います。各国によって基準が違うから、分かりませんが、一時期ガルーダインドネシアなんか欧米乗り入れ禁止されてましたね、其の頃日本に入ってきてましたけど。LCCは安全ですよ、ナンせ、一回事故起こしたら後ろ盾ないから潰れるので、常に死者の出るくらいの事故率0パーセントじゃないでしょうか。まあ、でも、ちょっと前まで事故は100万回に1回といわれてましたが、今は300万回に1回ですね。

問い:最近安い航空会社でも革張りで豪華ですね
答え:スターフライヤーもロイヤルジョルダンも革張りでした。今は禁煙なんで、ほんま、掃除の手間考えたらトータル的に皮の方が安くつくのでしょうね。

問い:機内でする映画の内容はどうですか。
答え:ホラーもないし、ましてや飛行機や空港パニックものはないですが、俺は平気なんですが、インディフェンスディとか、アルマゲドンとか機内でみたよ。でも日本より先取りして見れるのが単純に嬉しい感じ。しかし、不思議ナンは、どこにいるのか分からなくなっちゃうことだよね。コロンボからシンガポールに飛ぶ時に70年代ピンクレディー「ペッパー警部よ」なんか聞いていたら、時代と風景と記憶が入り混じって笑っちゃうよ。

問い:好きな制服はありますか。
答え:それは別にないですけど、民族衣装が異国情緒あってまあいいんじゃないですか。何でもいいけど、モルジブでシンガポール航空の人が島のリゾートホテルにステイしてたのには、びびりましたね。他は空港の対岸の首都マーレ島のホテルだというのに。そういえば、昔はもっと民族してたような気がするなあ。80年代の大韓航空も青と黄色の派手な原色チマチョゴリだったし、エアインディアもサリーだったな。空港降りても、まだ人がサリーだったので、どこまでコスプレやねん、と思ったら、民族衣装そのままの国だった。

問い:飛行機で寒いことがありますが。
答え:いやはや、欧米人は変態が多いので暑がりが多いですよね。2年ぐらい前にサンフランシスコからDCまで飛んだ時、夏だったけど、機内が無茶苦茶寒くて、後ろのトイレ行ったら、後ろに座席にはまっているファットマン軍団(半そではんズボン)がいて、ソバを通ると暑かったです。いやーこれキツイよなあ。座席にすっぽりはまってるジャンなんてちょっと横浜弁で思ったぐらいです。

問い:自由席ってありましたか。
答え:実はLCCでは自由席もあるらしくて、それは、トイレが近いからアイルとか外が見たいからウインドウとかあって、基本真ん中席は誰でもいやジャン、だから早く並んで、出発時間を遵守させる狙いがあって、なかなかローコストエアラインには、空港滞在時間が短くなって、いいらしいね。酷かったのは、バンコクから乗ったパキスタン航空だったよ、もう20年前の話だけど、フリーシートとか言われて、いちいち、開いているか尋ねながら進んでイカネバナランかったんだよね、あれには参った。あと国際線ではバングラディシュ航空もあったなあ。ビーマン、ボンベイから蚊が機内に飛んでて嫌だったな。3年前ぐらいのビルマの国内線も久々のフリーシート、空港職員に席ないのか不安になって尋ねたぐらいだ。でも、まあ、パガンから乗って、マンダレーでいっぱい降りて窓側キープしたけど。
とりあえず、今日は、このあたりで許しといたるわ。
トトトレストラン。魚をトと呼ばせるとは、さすが、パラウ、恐るべしである。

世界各国お決まりの、どこか変なマッサージシリーズ。さすが、パラオいちばん、だいへ気である。

その国で、オリジナルでない切手作ることもあるのだろうか。

ショッピングセンターの1階はスーパー、2階は土産屋等、3階は服屋等、4階は台湾大使館。中国大使館ちゃうで。パラオは珍しい台湾承認国家である。
覚えてたわ。まあ、正式には、二重問題とかあるけどね。

3人のは分かるが、2人用サンダルは、行き先が違うって話。

庭の軒先にジーザス。

おお、パラオにも、フーターズがあった。
未だ、日本に上陸した際に1回行っただけである。

カボ~ン。

ナップです。

洞窟を自転車で行け、サッカーボールを蹴れ、そんな感じの意味の道路標識。

パラオ公園やけど、公園なし。(もしかして、この坂状の5平方メートルぐらいの芝生が公園かも)

ネコマーケット、特にネコは売っていなかった。ここが、夕方、ネコバスという循環無料バスを走らせている。ペイレスではあるが、特に大幅に安いわけではない(何故か、1件目の雑貨屋で買ったビールが、そのあと3件行ったスーパーのどこより安かった)

ピーターに聞け。

ストーリーボード、ポストカード、ティシャツ、ボクシ、民族カバン、切手、パラオのジュエリー、ヤスイヨヤスイヨ。

芝に生えるきのこはヤバイよ。
ナンマドール以外の紹介です。
学校も、子供だらけです。ラップムージックが鳴り響いていました。たまたまです。

これがポナペオリジナル製品だ。オイルやシャンプーや石鹸とか書いてあるが、しかし、ポナペでこれはという一押しは、ペッパーだ。レストランで使ったがパンチが効いている。しかし、土産物屋に置いていないというか、土産物屋がない。空港にあるのも、マジュロと同じ貝殻製品だけだ。島の南部にあるペッパープランテーションの前を通ったが寄ったらよかったと思う。何せ、スリランカのペッパーガーデンで、カックンだったからだ。何がカックンだったかというと、まあ、ペッパーそんなになくならんやろって話。このポナペペッパーは日本人と現地の女性が結婚して創立したとかって話。

スーパー入口では、日本でもあるように張り紙情報交換。ボートも36万円(4500ドル)でどうだ?

台風の心得もあって、住民を鼓舞しているよ。

パラボラアンテナがいっぱいあるところもあって、使われてなくて朽ちていくアンテナもあったよ。その道の前には、日本食の何だったかな、テイクアウトの屋台もあって、前を通ったら日本人女性らしき人が座っていた。その奥にも、日本人女性の名前のついたレストランがあって、そういえば、日本が統治した時代だけ、この国貿易黒字になったという。

猫も随分前になくなったようだ。

昔、インドのシャンティニケタン(タゴール大学のある村)という村に滞在してたとき、毎晩、同じ場所に同じヤモリが出現した。ほんま、同じかというとまあ、大きさが同じであるからそう思っただけかも知れない。明るさに寄せられた蛾や蟻を信じられない速度で壁伝いに走り、捕獲する。

棘のある植物。

啓蒙看板。

ポルトガル人がインドネシアの途中、ヤップとユリシー環礁に来る。スペイン人がミクロネシアの島々に来航。
1886 スペインがマリアナ諸島、カロリン諸島の領有権宣言。
1899スペインがミクロネシアの島々をドイツに売却。
1914第1次大戦始まる。日本は現在のミクロネシア(南洋群島)連邦、パラオ、マーシャル、北マリアナを含むミクロネシアを占領。
1920国際連盟から日本のミクロネシア(南洋群島)委任統治が認められる。
ミクロネシア全体で、日本人の人口が10万人を超える。(当時、ミクロネシア人は、4万人。)
1945太平洋戦争終結。米軍の占領始まる。
1947国連の太平洋信託統治領(TTPI=Trust Territory of the Pacific Islands) として米国の統治始まる。
1951 TTPIの統治が終わり、権限がミクロネシアの省庁に移される。
1965ミクロネシア議会発足。
1969信託統治終了後の政治的地位に関し、米との交渉を開始。
その後、北マリアナ、マーシャル、パラオ、その他のミクロネシア地域(現ミクロネシア連邦)がそれぞれ米と個別に交渉することとなる。
1978ヤップ、トラック、ポナペ、コスラエの4州で連邦を構成する憲法草案が住民投票の結果承認される。
1979憲法施行。自治政府発足。初代大統領に日系のトシオ・ナカヤマ氏が就任。
1982.10米国との間で自由連合に調印。
1986.11米国との間で自由連合関係に移行。
1988.12日本はミクロネシア連邦と外交関係開設。
1991.9国連加盟。
参考 : ミクロネシア連邦政府ホームページ