希望を持ちたいと思うときはたいてい希望を失いかけている時。
希望が必要なとき程、希望が持てないもの。希望さえ持てれば今どんなに辛くても耐えることができる。アウシュビッツ収容所で心理学者が書いた「夜と霧」という名作に学生時代心打たれたものです。いったいどのようにして希望を持って生き延びることができたのか。生きて出ることは不可能に近いといわれた、いつまでそこにいなければならないのか分からない状態で。
人々はガス室に送られるのが日常となり自殺しないで済むという意味合いでしかなくなっていた。またクリスマスから正月にかけて大量の方が亡くなった。この間に家に帰れるとかすかな希望を抱いていた人が多かったから、絶望が生命の抵抗力を奪ったといえる。そんなエピソードが続く。
作者は、は発想の転換が必要だという。
私達が絶望しても、まだ何か人生に期待する、というのではなく、人生が私達に何を期待しているのかが問われるという。人生の意味を考えるのではなく、問われている者として人生を体験していかなければならないという。
人生とは、人生の意味の問題に正しく答えることであるという。
人生は私達に期待している。最愛の子供がいる、やるべき仕事が待っている、自分にしかできないことが自覚できたとき生命を放棄することはできないと。
いかに苦悩から逃れたり、死を避けるかではなく、いかに苦悩や死を含めた全体の中に人生の意味を見出すかを問うべきだと主張している。苦悩や死は無意味なことではなく何らかの意味を持つ、この問いを立てることにより苦悩を抑圧したり安易な楽観を避けることができるという。
・・・・続く、多分。
ギリギリで生きてきた人の言葉や考えたことは重いです。
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最終更新日
2003.10.29 20:20:51
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