一応結婚してます。何故一応なのかと外国人に聞かれそう。
行くか行かないかは微妙です。微妙とは、行く行かない正反対のことが何故微妙なのヵと外国人に聞かれそう。
とりあえずやっておきます。やることに、何故とりあえずという枕詞がつくのと外国人に聞かれそう。
HELLO,I LOVE YOU
おじいちゃんおばあちゃんがかわいいという最近の風潮があるが全く失礼な話だ。
いや、金さん銀さんブームが去ってから、老人が隠蔽された感さえある。
ただ、死だけを待つだけの余りの人生(=余生)になるように仕向けている装置づけをしている日本社会構造に
我々はなかなか気がつかない。老人が愉しむ場所はない、かどうかは分からないが、生きがいを持ちにくいの
ではなだろうか。ただ毎日を送っている老人を見ると侘しくなる。
そういえば合州国のアリゾナかどっかにサンシティという55歳以上のみ住める老人の町があったな。
いつの時代から、何故生きているのか、人生とは何ぞやと考えるようになったのだろうか。
戦時中は自殺の割合が非常に低いことが分かっている。
疎外感の時代から。
役割分担で他人が何をしているか分からなくなってから。
道徳がはじまってから。
ただ生きているだけが許容されなくなってから。
神戸には福原という花町がある。
かつて、そこに住む最後の三味線流し芸人さんがいた。
菊丸さん。
いつも自己紹介で「今年でパーよんになりました」と言っていた。
皺は年輪、年輪は経験。良しも悪しも吸収してきた筈だ。
三味線の技術はさておき、愛嬌と雰囲気、そしてときどきちょっと
エッチな歌。
菊丸さんの歴史があった。厚味があった。とりわけ謙虚さがあった。
年齢と共にエゴがそり落とされていった。
僕は好きだからやっているんだ。もし聞いてくれるならありがとう。
そう聞こえてくる。
休憩中、舞台裏で話をした。彼はいまいち焦点が定まらず、恍惚
とした様子で夢心地であった。最後の魂を燃やしていた。熟練が
呼吸していた。
皆さん、生きてますか生きてますか、本当ですか?私は生きていません。
私は生かされているのです。
菊丸さんはそう話していた。
その後地震があり、菊丸さんはめっきり元気を失い、そして亡くなった。
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/57/070/hon_19.html