新幹線が九州の一部開通した。
思いのほかニュースにならなかったような気がする。
開発当初と違って、時代は変わり、新幹線の意味合い
がなくなってきたのか(実際新幹線が黒字を出せ、便利
なのは東京博多間ぐらいじゃないのか?)
新幹線と聞いて思い出すことは江戸時代の人間がいきなり
この新幹線をみたら、きっと妖怪おばけにみえるだろうな
ということ。知らないものは怖い。ましてやすごい勢いで
走っている流線型で運転台が目として鉄のまっすぐな蛇
にも似てなくはない。
スペインセビリア万博時に開通したマドリードセビリア間の
新幹線。ガイドブックは古く、駅も違い、新幹線の情報も
乗っていなくて高く早く着いた覚えがある。
少しの間だけでも不在にしていると事情が変わる場合がある。
先日の吉野家に中国人が入ってきて、メニューも見ずに、
「ギュウドン」といった。が、しかし今、牛丼はない。
彼はくにでを出る前に日本で働いていた友達に、「吉野家っちゅう
のがあって、290円ちゅう日本にしては安価でメシが食えるぞ(大阪弁ではない)」
というアドバイスを忠実に再現したのであろう。
吉野家店員も北京語も上海語ででも昨今の事情を説明することは出来ず、
ナイナイナイに一点張り、中国人は発音がおかしいから通じないと思った
のか「牛丼ギュードン、ギュウウドン、ギュドン」等唱える昼下がりであった。
クエートの王族は、自家用ロールスロイスの車内の灰皿がいっぱいになれば、
買い替えていたという本当の話がある。
しかし、日本とてそう変わらないものかも知れない。モデルチェンジや新発売
してくれるのは車でも家電製品、機械類でもいいのだが、旧式の部品もなくなる
という企業の論理。直せないのだ。やだなやだやだ。
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最終更新日
2004.03.15 03:14:17
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