もう時効なので、隠し事はしないが、子供の頃、考えてみれば、割とお金を貯めていた。私の母はよくできた母で、貯金をしておくからと私からお年玉を巻き上げることもなく、あんたが余計なことに使ったらあかんからと私からお年玉を巻き上げることもなく、私といえば小学校4年のときに双眼鏡を一回買っただけで、後は貯め続けた。双眼鏡は今もちゃんと存在し、箪笥の肥やしになっている。店員がこの臭いがいいのですよといっていたのだが、拡大して風景を見ているうちに臭いで酔って、子供の私には気分が悪くなるということも計算に入れていたのだろうか。
そうこうするうちに中学生になる頃には、既に私のへそくりは14万円になり、既に今の全財産より少し多いくらいになった。
私は時々、そのお金を眺めては、そうだそうだとあちこちの本の間に挟んでは、隠した面白さに贅に入っていた。そのまま捨てたりされただろうから、多分数万円は損しているだろう。
しかし、その圧倒的な財力は大学1年まで続いた。へそくりは、まだ10万円以上あった。おまけに大学に入ると、アルバイトを始める。が、必要なお金以上は働く気もなく、学生の本分である勉学にいそしむ、筈もなく、だらだらしていた。
しかしながら、私は18歳で、いわゆるインド病に罹ってしまっていた。当時、エアインディアが格安航空券でナンと16万円。それもまだHISが秀インターナショナルという社名時代で、一番安くてそれであった。
ようやく、バイトをして16万円+滞在費を貯めた瞬間に、親の車をぶつけて7万円の弁償をした。
もはやインドは諦めなければならないのかと想ったが、ついにへそくりが日の目を浴びる日が来た。秀インターナショナルの私の担当者小西さんに残金を払いに行った。ナントそのお金は、旧1万円札であり、小西さんの目は、驚愕の目であった。私は誇らしくも少し恥ずかしかった。
それで残ったお金は3万円であった。
その3万円を持ってインドに1ヶ月の旅に出かけたのであった。
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