時効なので白状するが、実は、5年程ゴルフをしていたことがあった。
残念ながら、自主的に練習はしたことがなく、コースの経験しかない。デビューから5年後までスコアは微妙だに動かず、クラブが折れた瞬間、引退を表明した。
ゴルフとはいえ、チームを組んでプレイする訳なので、とにかく、迷惑はかけてはならぬと、打っては、走りと言う構図ができあがる。他者との同時進行であるが故、我侭な単独行動は許されない厳しい運動なのである。
キャディーさんが、ゴルフ暦5年にも関わらず、素人丸出しの私を憐れみ、「仕事なんかも真面目にされているんでしょうね。でも、ゴルフなんかにのめり込んでは駄目ですよ」と訳の分からない謹言を呈してくれた。いや、囁いてくれた。
すこしばかり惨めな気分になった。まるで、私が仕事で無理矢理誘われて、嫌々やっているように見えたのである。私が嫌なのは、ゴルフシューズのヘロヘロのヒダヒダの部分であった。
自慢だが、フォームは褒められていたが、いかんせん、飛ばないので、OBしてプレイング4に行った方がスコアがいいのである。3打ではそこまで飛ばないのである。致命的であった。「くそー」といって練習してもっとうまくなってやる根性が足りなかった自分を憎悪する余裕もなく、イソイソと走る。勿論、休憩場でビールの一気飲みはする。
負けても勝っても味わいのあるものだ、とぼやぼやしている私に、闘争心を!ともう一人の私が心の奥底で小さく叫ぶ。
真面目にやると病気になってしまう、と真面目に考えているので、病気回避の為にふざけている。ふざけたことを真面目にやらないように紳士になる、つもりになる。貴族とは、金も地位も自由に使える特権階級ゆえに、自ら抑制させ、欲望を暴走させないように、紳士の発想を生んだのが始まりだ。だから、よく考えたら、私には関係なかった。
もうロストボールを帰りに買うこともないと思いながらも、少なくとも小学校6年生までは偽善者ではなかったなあと思いながら、パットする。
文集に「僕は金持ちになりたくないと思う。もしなってしまったら、恵まれない人々に寄付したい」と書いて、母に恥ずかしいこと書くなと叱られた。
プレイが終わり、一同軽い食事が催された。その日のプレイを語り合っていたが、ゴルフ暦5年の私は、専門用語が良く分からず、取り敢えずただ聞く人に徹していたのだが、まわりは悲惨で優雅な成績を収めた私が、底に落ち込んで深みにはまっていっているのだと勘違いし、慰めの言葉もなく、ナンだか、本気で惨めな気分になってきてしまった。
その日、久し振りに夜明け前に起き、車を走らす窓から朝日直前の形容し難い美しい空と、都会と、オレンジの海を見て気分がよかったのに。
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